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【言語系電波大祓】

1 名前:海底少年 ◆7marinKw 投稿日:2002/01/09(水) 22:57 ID:7GXCY7Nk
電網掲示板に居わり坐す、集いどころを やふうぎ・ぐうぐるみ の検索もちて、
七、八人ほどのコテハンを窓開きに開き賜ひ、ネット繋げに繋げ賜ひて、
あらぶる名無したちどもをば、スレ立たしに立たし賜ひ、レス返しに返し賜ひて、
マジの議りに、ネタの問はしに、ラウンジ・半角・速報板をもコトやめて、
弐ちゃんねる本家放たれ、みにふろ総督府を分家とちわきて、書き込み依さし奉りき。

朝の鮮やかな…と、しろしめさむ半島に成り出でむ高麗のニダ人らが、
過ち犯しけむくさぐさの罪事を法り別けて、
拉致・誘拐・領海侵犯・破壊工作・武器密輸・麻薬密輸・不正送金、は北鮮の罪と…
剽窃・捏造・竹島占拠・おのが歴史犯せる罪・おのが文化犯せる罪・女犯せる罪
橋落ちる災・ビル倒す災・狗くびり鍋物せる罪、は南韓の罪と…ここだくの罪出でむ。
かく出でば、非常立法もちて大臣ら、援助を打ち切り、国交うち断ち、半島に置き去りて
電波の源を刈り集め調べ尽くさば、国際舞台に引き出して電波祓えの太祝詞事を宣れ。

    ラオウ「…われ、コリアンに一片の興味なしっ!」

かく宣らば、報道陣は禁忌門を押し開きて、電波の障り祟りを世界万民に聞こしめさむ。
大倭日高見之国の人らも改めて、実の謂われ、虚の謂われを別け知るべく聞こしめさむ。
かく聞こしめしてば、電波と云ふ電波は在らじと、朝の報せ・夕の報せを、
韓流熱風に吹き出し笑う事の如く、日本海に居る密猟船を巡視船で追い沈める如く、
東シナ海に居る不審船を20ミリ機関砲もちて撃ち薙ぎ、自沈を誘う事の如く、
今日より始めて電波と云ふ電波は在らじと、祓へ給ひ、清め給ふ事を、
もろもろ聞こしめせと、かしこみ かしこみ もうす。

2 名前:海底少年 投稿日:2002/01/09(水) 22:58 ID:7GXCY7Nk
これら、ふた柱の前スレは過去スレとなりて身を隠り給ひき。
@【日本語と韓国語】
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1000210540&ls=50
A【民俗と言語】貴方と支那と朝鮮と〜♪
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1004354476&ls=50


3 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/10(木) 19:26 ID:teWaBr42
 おや? 新スレ立ってたんですね。今度は祝詞のパロですか。うまいですね。
総督府も何かトラブってるようですし、ま、ぼちぼちやりまひょ。


4 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/10(木) 20:54 ID:teWaBr42
 過去スレですが、総督府はデータ落ち後はどうなるのか今イチ
不安ですので、海底少年さんの方でも個人的にフォローアップを
して置いてはいかがでしょう。海底少年さんは確かシナプスに
個人のHP領域をお持ちでしたよね。HPをお作りになって、過去ログを
そこに置いておけば、何があっても安心だと思うのですが。
とりあえずご検討を。

5 名前:海底少年 投稿日:2002/01/11(金) 00:35 ID:ZkDQ627I
ホームページは以前から考えてましたが、本格的なモノは時間を
果てしなくかけてしまいそうなので、とりあえず、ダウンロードが
できるだけの書庫置き場として、制作に取り掛かろうかと思います。

…ところで1は、またもや悪ノリのような気がしてきました。
…かなーり浮いて見えますね…(冷や汗

6 名前:名無しさんは今年も・・・ア、アイゴー 投稿日:2002/01/11(金) 21:50 ID:Zd3WNtpE
新スレですね。おめでとうございます。

質問です。古ハングルとか神代文字とか、なんといえば良いのか音韻学
の知識がないと作れない古代文字?ってありますよね。
文字ではないけどアイウエオも音韻学の賜物。
それで思ったのですが、アジアの音韻学って何時頃から確立したのです
か?仏教と古典学が重要なのは予想がつきますが……。
ハングルは仏教文化抜きで成立したという点ではアジア圏では珍しい文
字なのかも。
(あ、元になったパスパ文字は仏教の影響ですね)

7 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/11(金) 23:04 ID:G8K7X3s.
>>6 無しさんは今年も・・・ア、アイゴー さん
 う〜ん。正直、日本語以外の音韻学の歴史についての知識には乏しいので、
間違いがあるかも知れませんが、少なくとも中国語音韻学が生まれるに
あたっては、仏教と深い関わりがあったはずです。中国の最初の韻書である
『切韻』が編纂されたのは601年のこと。当時中国は隋によって統一され、
南北朝時代にようやく終止符を打ったばかりの頃です。仏教そのものは1〜2
世紀頃の後漢の時代に中国に伝わっていますが、梵語で記された仏典の漢語
への翻訳が盛んに行なわれるようになったのは三国〜南北朝時代です。
このような仏典の翻訳を通じ、自然と漢語と梵語との相違点が強く意識された
結果、『切韻』のような体系化された韻書が生まれたというのが私の理解です。

 一方、インドでは、6世紀に悉曇文字が登場します。当初は梵字の書体
及び字母を悉曇、梵語文法や語句の解釈などを梵音または梵語と称して
区別していましたが、後には転じて梵字の書体の他、梵語の書法や読法、
文法などを含めて悉曇と呼ぶようになりました。それらを学問的に体系化
したものが悉曇学です。悉曇学も早く中国に伝わり、唐代には玄奘三蔵が
梵語学を伝え、更に密教が伝わるに及んで悉曇学は大いに興隆します。
その成果を日本に持ち帰ったのが空海です。以降、主に密教系の宗派で
悉曇学は盛んに研究され、その過程で五十音図も生まれます。時期は
10〜11世紀です。

 以上を整理すれば、アジアにおいて音韻学がある程度学問的なものとして
確立したのはやはりインドが先でしょう。その時期の特定は難しいですが、
「悉曇学」ということに限定すれば6世紀ということになるだろうと思います。
ただし、悉曇文字以前にもインドには勿論文字が存在しており、悉曇文字の
もととなったグプタ文字が4〜5世紀、更にその祖先のブラーフミー文字に
至っては紀元前6〜5世紀には成立していたようです。これらの文字は
言うまでもなくアルファベット(フェニキア文字系ともセム文字系とも言われる)
の一種ですから、音韻学の萌芽という点で言えば、十分その頃にまでは遡る
ことが可能でしょう。

8 名前:あけまして今年も反省しるニダ 投稿日:2002/01/13(日) 03:12 ID:BAAPISKY
前スレがあがっているのでage

9 名前:のなめ=前スレ221 投稿日:2002/01/13(日) 13:34 ID:xcNTJN6M
よく分からないのは、韓国が「王仁」にこだわることだ。
津氏・船氏など、文氏よりよほど活躍した連中が、自ら百済王の子孫を称しているというのに(前スレ「菅野朝臣」。王辰爾は著名だろう)。
といっても、「我々は百済王の子孫です」と称したのは、かの桓武天皇の時だから、本当に百済人だったか不明。
対する文氏は、翌延暦十年四月「実は、王仁は漢高祖の子孫でした」と奏上して宿禰姓を得た(ということは、やはり支那系なんでしょうなあ)。
念のため、文氏は古参の史、船氏は新参の史であったことも書いておく。

10 名前:海底少年 投稿日:2002/01/13(日) 17:06 ID:Hvi4Oljg
さすが娜々志先生、博学っ。
ブラーフミー文字ってヒンドゥー教の神のブラフマンから付けたんですかね。
ヒンドゥー教が、仏教の普及に貢献したような話にも聞こえますね。
異なる宗教でも「宇宙観を探る学問」という共通点で根元が繋がるからでしょうな。
ユダヤ教はキリストを否定しながら、キリスト教の根を支えてる皮肉がありますね。
ところで、梵字って独特な書体ですよね、毛筆とは異なるタッチというか…まるで
竹のヘラで書いたような、レタリング用語での「リボン」という書体とそっくりです。
平面に書かれても、立体的に見えるデザインはバランスも絶妙。
文字の意味が判らなくても、その非凡な美しさは理解できますな。

>9 のなめさん、今後ともこのスレをよろしく!

11 名前:のなめ 投稿日:2002/01/13(日) 19:01 ID:zvNSTxMM
私も頭数に入っているんですか?
(頭数は「とうすう」ではなく「あたまかず」と読む。)

12 名前:のなめ 投稿日:2002/01/15(火) 15:35 ID:d1YoRKc6
そういえば、金大中が「韓国とゆかり発言を評価するニダ」と仰せになったそうだが、
元ネタの『続日本紀』の編纂にあたったのは菅野真道だったりする。
蘇我蝦夷が自殺するにあたって焼こうとした『天皇記』『国記』を
いち早く持ち出したのは船史恵尺。(持ち出せたのは、これらの編纂に
関与していたからでしょう)

これとは別に、新羅人が「祖先は日本の神」を称した例を挙げておきます(『新撰姓氏録』)。
新良貴氏について、
「稲飯命之後也。是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者祖。『日本紀』不見。」
異本には「出」が無く(二つとも)、「王者祖」が「王之祖」になっているそうな。分類は「皇別」。

13 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/15(火) 16:32 ID:n48WhiDM
>>12 のなめ さん
 その『天皇記』『国記』が、一部でも現存していればよかったのですがねぇ。
船史恵尺が持ち出した段階で既に燃え残りの状態だったとは言え…。一部でも
『日本書紀』(或いは『古事記』もそうか)の基礎資料として活用されたのは
慶賀すべきことですが、貴重な推古時代の資料なんですから、原文の写本くらい
残しておいてくれてもよさそうなのにね。ぶつぶつ。


14 名前:<丶`∀´>ノ 投稿日:2002/01/16(水) 15:37 ID:iqc4PAV.
あげニダ

15 名前:のなめ 投稿日:2002/01/18(金) 00:57 ID:hDM2fLyI
あ、復活してる。
ハングル板の方に武寧王陵のことを書いたんだけど、
どちらかというとデムパ追求の方に流れ、発展せず。

日本史の授業では、「飛鳥文化は世界各地の影響が見られます」と教わったと思う。
「朝鮮人が教えたニダ」と言われても、実物の持つ世界性の前には霞んでしまう。

16 名前:名無しさんは今年も・・・ア、アイゴー 投稿日:2002/01/18(金) 13:51 ID:cXoPMjTM
>>15
>ハングル板の方に武寧王陵のことを書いたんだけど、
>どちらかというとデムパ追求の方に流れ、発展せず。
どのスレですか?
どんなデムパなのか少し興味があるので読んでみたいです。
武寧(一発変換!)王陵といえば、棺材に日本特産のコウヤマキとスギが
使われていたとか、勾玉や管玉がたくさん出てきたとか聞きますが…

17 名前:海底少年 投稿日:2002/01/19(土) 00:37 ID:Gn523Y/M
すんません…またボーッとしてました。
年末から調子が今一つで…そういや、この「みにふろ」もかなり不安定ですな。

娜々志先生、2ちゃん本家で「いちゃいちゃ・いちゃつく」は朝鮮語の
「イチャ」(二次という意味だとか?)が語源だという主張を見かけました。
意味が繋がらないからダウトでしょうな。

のなめさん、もはや重要なレギュラーですぜ。ええ…俺なんかよりずっと!

18 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/19(土) 08:57 ID:vuFY0St6
>>17 海底少年さん
 え〜。私、今日・明日と、全国で行なわれるさる国家的行事のため、
夕方までレスを返す時間が取れませぬ(泣)。ご了承下さい。

19 名前:素人ニダ 投稿日:2002/01/19(土) 10:43 ID:yvj.QFPI
ああ、こちらで復活ですか。
 
>娜々志先生
昨日ハン板の方で「日本語の時制は英語の直訳が定着したものか」などと書いて、
「1000年前からある」などという意味のきついお叱りを受けましたが(別の人から)、
どうも釈然としないのは、「ぬ」、「つ」、「き」などの助動詞が過去にあったとはいえ
英語に出会った時点では消滅しており、「た」しか無かったのでは―と。

当時理屈抜きに使い分けられていたのは現在形と過去形だけで、完了や未来の
用法は直訳的表現「〜したところだ」、「〜であろう」などとしてて100年使っている
うちに何となく定着して、

「将来深刻化するであろうエネルギー不足に対処する為に政府が推進してきた
原発建設計画は〜」なんて文章を書くに至った―と、漠然と思ってるんですが、
話にもならない妄言でしょうか、やっぱり。

20 名前:海底少年 投稿日:2002/01/19(土) 18:13 ID:BmEpjjEY
おっと、そういえば「勤勉若者オーディション全国キャンペーン」の時期でしたね。
娜々志先生は採点作業で…おおわらわ。お仕事ごくろうさまでござんす。

それにしても…このスレッドの並び方は読みにくいっ!
ハックル★元帥閣下!元の並び方にもどしてっ!
…って…もしかして…俺だけ?ブラウザのせい?…ひゃあ!

21 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/19(土) 20:32 ID:vuFY0St6
>>17 海底少年 さん
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1011308054/24

で述べられている説のことですね。「いちゃつく」の語源は
簡単です。男女が戯れたり言い争いをするさまを表わす
擬態語である「いちゃ」(また畳語となって「いちゃいちゃ」
とも)に動詞性の接尾語「つく」がくっついて出来たものです。
成立時期は江戸時代中期(18世紀中頃)。「つく」は擬声語や
擬態語に付いてそれを動詞化する接尾語で、「ぐらつく」
「ざわつく」「ぶらつく」「ふらつく」など、類例はいくらでも
あります。上の説のまずい点は、「いちゃつく」のもう一つの
意味である「言い争う。もめる」という意味を説明できない
ところです。この意味で使われたのは江戸時代だけですので、
おそらくこの方はそのことをご存じなかったのでしょう。
この方ももう少し上等な国語辞典をお買い求めになって
いれば、このような生き恥は晒さずとも済んだものを。
アーメン(-/\-)。

>>20
 マークシート方式は機械に採点させるために導入されたものです。
人間の私が採点するわっきゃないでしょ。私はただの監督っスよ。

22 名前:なぞなぞ 投稿日:2002/01/19(土) 20:34 ID:jJGTnCR2
ははには二たひあひたれとちちには一たひもあはす

は何?

『後奈良院御選の名曽(なぞ)』より

23 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/19(土) 20:34 ID:vuFY0St6
>>19 素人ニダ さん
 奈良時代や平安時代においても現代とまったく同じテンス・
アスペクト表現が存在したかと言えば、答えはNOということに
なりますが、完了や継続、過去、未来などの表現はそれぞれの
時代に何らかの形で常に存在していました。ツ・ヌやタリ・リ、
キ・ケリなどの古典の助動詞が衰退した中・近世以降になりますと、
そのテンス・アスペクト表現はかなり現代語に近いものになって
います。

 例えば、江戸時代の国語学者である富士谷成章は、古典文法解説書
である『あゆひ抄』(1773年成立)において、完了の助動詞ヌに対し、
「テシマフ」「ダンニナル」「ヤウニナル」「テシマフタ」「ヤウニナッタ」
という口語訳を与えています。このうち、「テシマフ」「テシマフタ」は
現代語における完了の表現「〜てしまう」「〜てしまった」と完全に対応
しています。また、完了・存続の助動詞タリ・リに対しては、「テアル」
「テヰル」と、これまた現代語と同じ表現の訳が与えられています。

 興味深いのは、過去の助動詞の連体形シの口語訳に関して、成章が
以下のように述べていることです。

   今よりいにしへの事をいひ、今日より昨日の事を言ふたぐひ
   なり。里(引用者注:口語訳のこと)「タ」と言ふ。ただし、
   里には「タ」と言ふこと、常にみだりに言ひて〔し〕といふ
   べき所ならずして、〔ぬ〕〔つ〕〔き〕などの脚結(引用者注:
   あゆい。付属語の類を指す成章独自の文法用語)にわたりても
   言へど、これならでよく当たるべき言葉もおぼえねば、しばらく
   かく当てたり。見む人、きしかたの心を忘れず、心に浮かべて
   心得べし。近くいはば言葉の上に「サキダツテ」など言ふ言葉
   を添へてみればまがはず。

これは要するに、江戸時代の口語で「〜た」となるものがすべて古典の
シに置き換えられるわけではないという指摘です。口語の助動詞「た」
が完了と過去の両方の意味を兼ねていることに成章自身も気付いて
いたことがよくわかりますね。

24 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/19(土) 20:35 ID:vuFY0St6
(続き)
 また、成章は、推量の助動詞ラムの口語訳として「デアラウ」という
訳を宛てています。このことからもわかるように、別に明治になって
「〜であろう」という表現が生まれたわけではありません。ついでに
言えば、〔ぬらむ〕には「テシマフタデアラウ」、〔つらむ〕には
「タノデアラウ」、〔タルラム〕には「テアルデアラウ」、〔なるらむ〕
には「ノデアラウ」「ヂヤモノデアラウ」という訳がそれぞれ宛てられて
いますが、いずれも現代語の表現にかなり近いことがおわかりになると
思います。

 ただ、問題は素人ニダさんも挙げられた現代語の「〜ところだ」という
表現でして、いろいろ調べてみたのですが、明治より以前にアスペクト
表現として「〜ところだ」という言い方が使われている例を見出だす
ことができませんでした。アスペクト表現でなければ、例えば、
キリシタンの作った日本語の教科書である『ロドリゲス日本大文典』
(1604〜8年成立)に、

   Mairu tocorogia.(参る所ぢや。)

のような例があっていかにも良さげな感じなのですが、その直後に、

   Mairaideuano cotogia.(参らいではの事
   ぢや。)と同意。行かざるを得ないとか、行く義務があるとかの意。

と解説があり、アスペクト表現とは何の関わりもないものであることが
わかります。日本語の「ところ」という名詞そのものには平安時代から
「その時」「その場合」という意味の用法が存在していましたから、
アスペクト表現として「〜ところなり」という言い方があっても
おかしくないはずなのですがねぇ。そんなわけで、「〜ところだ」に
関しては、明治以降の西洋文学の翻訳から生まれた可能性を考慮する
必要があるようです。或いは、元は漢文訓読における表現で、後に
関係代名詞の訳語として多用された「〜するところの」の影響などが
あるのかも知れませんね。

25 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/19(土) 20:53 ID:vuFY0St6
>>24
 修正ニダ。
明治以降の西洋文学の翻訳から生まれた可能性を考慮する
必要があるようです。
           ↓
明治以降の西洋文学の翻訳から生まれた可能性も考慮する
必要があるようです。

26 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/20(日) 00:52 ID:5/f0.8As
ちょっと本家で小祭りがあったんでそれに関連する質問があります。
明治の近代言語の形成以前には今、日常的によく使う文末の疑問の「か」や断定
の「だ」等、「いる」「た」などは頻繁に使われてたんですか?
古文の授業では断定は「たり」「なり」ですが、断定の「〜だ」とかはいつごろ
定着したのでしょうか?
参考に小祭の様子、
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1011192443/l50
の>>294からあらされるまで


27 名前:のなめ 投稿日:2002/01/20(日) 01:02 ID:14F7S99U
>16
「韓国にゆかり発言」関連のスレ。
専門書を借りに行くのが面倒くさかったので、検索結果を転用しているだけだったりする。
==
ついでだから、日系百済官僚もクローズアップされて欲しかったね。

28 名前:素人ニダ 投稿日:2002/01/20(日) 01:08 ID:.TXkAupo
>娜々志先生

素人のいい加減な疑問に対して丁寧なお答え、有難うございました。

仕事が押してちょっと御礼が遅くなりました。スレ違いとも思いますので
またROMに戻ります。

29 名前:韓察官 投稿日:2002/01/20(日) 08:49 ID:pz2koFY6
うーん。アカデミックだ。言うまでもなく良スレですな。うーむ。
読んで勉強しよう。

30 名前:企業家 投稿日:2002/01/20(日) 11:46 ID:73jep8As
>娜々志先生ニム

おはようございます企業家です。この度の地鎮祭は本当に有難うございました。
このスレで質問するのははじめてなのですが、日韓の「擬態語」についてのご意見を
聞かせて下さい。日本語と同様に韓国語も「擬態語」を多用します。
日本語と韓国語の擬態語は全く同一性を感じないのですが、日本側の擬態語が韓国語の
動詞の音の影響を受けている可能性はあるのか?というのが質問の趣旨です。
例えば、「コツコツ」(コッタ:歩く)、「くるくる」(クルダ:転がる)、「ぺこぺこ」
(ペコップダ:腹減った)「のっぽ」(ノップダ:背が高い)等です。

それから日本語の人名で「足」を「タリ」と読ませる場合がありますが、こちらでは足を「タリ」
と言いますね。又「オモニ:母」は「母屋」のオモとの共通性があるようにも思われます。
これは単純に日本語の発音が一部古代において半島の影響を受けたものの証左といえるものなのか
、あるいは偶然かについてもご意見頂ければと思います。

なんでもかんでも「半島→日本」という電波は置いておいて、古代半島からの日本への影響は、日本語に
多少残っていてもおかしくないというのが私の考えであるのですが、このあたりの先生の考察をお聞かせ
頂ければと思います。




31 名前:名無しさんは今年も・・・ア、アイゴー 投稿日:2002/01/20(日) 13:06 ID:t1HI4b12
>>22
くちびる、でしょ。

昔は「はは」は「ふぁふぁ」に近い音で二回唇が触れるけど、「ちち」は今と
同じく触れない。

32 名前:名無しさんは今年も・・・ア、アイゴー 投稿日:2002/01/20(日) 13:48 ID:A0H62/..
>>27 のなめさん
深謝。早速探しに行ってきます。

>ついでだから、日系百済官僚もクローズアップされて欲しかったね。
百済で生まれて、国王に仕えた日羅などがいますよね。
日本(倭)→半島というベクトルは古代にもちゃんとあるのに、
どうももう一方ばかりが取り上げられがちですな。

33 名前:16 投稿日:2002/01/20(日) 13:50 ID:A0H62/..
32=16です。


34 名前:のなめ 投稿日:2002/01/20(日) 14:38 ID:PleTwRp6
>オモとの共通性があるようにも思われま す。
万葉集では、「母」を「おも」と読む場合がある。
「韓衣/裾にとりつき/泣く子らを/置いてそ来ぬや/-無しにして」
なお、「韓衣(=唐衣)」は「朝鮮製の衣」ではないので注意。

乳母である場合もある。
(但し、「母」にあたる言葉が似ていても、と言う気はする)

35 名前:企業家 投稿日:2002/01/20(日) 15:03 ID:73jep8As
>>34
そうです。それからイモ(韓国語ではおばをイモという)等。
「韓衣」についてはどうでしょうか?日本語では「韓」「唐」共に(カラ)って
読ませるけど、韓国語では「韓」と「漢」を共に(ハン)て読みます。
この辺の関連性についてはどうなんだろう?
ちなみにこの結果韓国では「漢方医学」が最近では「韓方医学」に統一されてきて、
「韓方医学」はウリジナルな医学として既成事実化されつつあります。


36 名前:74式 投稿日:2002/01/20(日) 16:23 ID:r3WKR1r2
>>30
「母屋」【もや】という言葉もあるし、オモニとは関係ないと思われます。
それとも、日本語のお母さんと同じようにオ-モニなのでしょうか。
「オ」という音が抜けるとも思えません。
もうひとつ、昔も「オモニ」と発音されていたのでしょうか。
この例は、ちょっと電波かなと思います。

このスレをROMってましたが、
ある単語(日本語が)が韓国語の影響があるを言いたいときは

・いつ頃その言葉は使われ始めたか。
・使われ始めた頃の発音はどのようなものだったか。
・使われた当時から現在までで、どのような変化を遂げたか

を日本語、韓国語の双方で調べてからでないと、電波扱いされるかと思います。

「くるくる」:今昔物語にも載っている表現らしいです。
当時の韓国語が(以下略)
「コツコツ」:昔は土の道に草鞋、草履か下駄だし、こんな表現しないかと
維新後に導入されるならば、西洋の言葉のほうを導入するのでは?

韓国語の影響はあったと私も思いますが、企業家さまが挙げた単語に関しては
まったく関係ないといって良いと思います。

長文失礼いたしました。

37 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/20(日) 16:45 ID:MuIjFRyo
>>24の補足です。

 現代語のアスペクト表現としての「〜ところだ」に関しては、

(1)天下ノ為ト存、改元ノ儀申上候処、聊ノ雑用ヲ御厭ナサレ、…
                   (『信長記』1622年刊)
(2)エソポ、風呂に行ってみる所に、その風呂屋の前にするどな石が
        一つあったが、…(『天草版伊曽保物語』1593年刊)
(3)エソポ、彼の二人の言いやうを大きに嘲った所で、シャント、
     エソポに問わるるは、…(同上)
(4)蔡の者が呉元済にあいて難儀していた所が、裴度が立ちて呉元済を
     退治したことの喜ばしいことは、…(『玉塵抄』1563年成立)

など、中世から近世にかけて多用された接続助詞的な用法である「〜ところ」
「〜ところに」「〜ところで」「〜ところが」もその成立に大きく与った
ものと思われます。特に(2)や(3)は、「ところ」に格助詞「に」「で」が
接続した形であり、助動詞「だ」の連用形「に」「で」と発音が共通して
いますので、「〜ところに」「〜ところで」を含む重文を単文にしさえ
すれば容易に「〜ところだ」に変化します。このように、この問題に
ついてはいろいろな要素が関係していそうですので、私としても
なお考えたいところ(笑)であります。

38 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/20(日) 16:46 ID:MuIjFRyo
>>26 竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
>明治の近代言語の形成以前には今、日常的によく使う文末の疑問の「か」や断定
>の「だ」等、「いる」「た」などは頻繁に使われてたんですか?

 まず文末の疑問の「か」ですが、用法そのものは

   玉かつま 逢はむと言ふは 誰なるか(万葉集巻12・2916)
   物思ふ時に 鳴くべきものか(万葉集巻16・3822)

のように、既に奈良時代の頃から多数存します。ただし、古代においては
文中にあって疑問文を構成する係助詞の用法がありましたから、これらの
「か」は中世まではまだ係助詞の文末用法であると見なくてはなりません。
現代語のように「か」が完全に終助詞化するのは、論理的格関係の発達に
伴い係結びが完全に消滅した江戸時代以降のことです。江戸時代の終助詞
「か」は現代語とまったく同じものと見てよく、また盛んに使用されても
おります。

 次に、断定の助動詞「だ」は「にてあり」が変化した「である」が室町
時代に「であ」を経て関西で「ぢゃ」、関東で「だ」になったというのが
通説です。「だ」は室町時代には東国資料にしか見えませんが、江戸語が
共通語になった近世後期には現代と同じようにごく普通に「だ」が文献に
使用されています。

 ついでに言えば、「である」は鎌倉時代に既に用例が見え、室町時代
には漢籍等の講義ノートである抄物(しょうもの)などに使われていますが、
「ぢゃ」や「だ」に押されて近世になると使用例は減ります。そこで、
中世語の「である」と現代語の「である」は起源が異なる(幕末の蘭学書の
翻訳文から)という説も提示されましたが、上述の抄物は江戸初期にも
多数出版されていますし、>>23のように国(語)学者関係の口語訳、
更には僧侶の説教類にも使用されています。長崎通詞とてこの種の和漢の
教養書には当然親しんでいたはずですから、やはり中世語の「である」と
現代語の「である」は連続的であると見るべきでしょう。

39 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/20(日) 16:47 ID:MuIjFRyo
(続き)
 続いて「ている」の成立ですが、これは「ゐ(い)る」の補助動詞化と
深い関わりがあります。平安時代にも「てゐる」の用例はありますが、
この時代にはまだ「ゐる」の本義(存在する、座っている、留まっている等)
が残っており、完全には補助動詞化していないというのが通説です。
補助動詞化したのは鎌倉時代、更に「ている」の形で定着したのは江戸時代
初期と言ってよいでしょう。なお、近世上方語では主語が有情物である
場合は「ている」、非情物である場合は「てある」が付く傾向が強いよう
です。一方、近世後期以降の江戸語では、主語の有情・非情に関わらず
「ている」が付き、「てある」はもっぱら他動詞に付けられるように
なりました。これは現代の共通語と用法的にまったく同じですね。

 最後に、過去・完了の助動詞「た」は古代の完了・存続の助動詞「たり」
の語尾が脱落して生じたもので、鎌倉時代中期に関東において先に成立し、
室町時代には京都でも同様の変化を起こし、現代に至ります。室町後期〜
江戸初期に「知った」「存じた」など一部の動詞に付いた場合に存続の
意味が存した(知ッテイル、存ジテイルの意)ほかは、「た」に関しては現代と
大差はないと言ってよいでしょうね、

 というわけで、「〜か」「〜だ」「〜である」「〜ている」「〜た」は
いずれも江戸時代の段階で完全に定着して使用されており、明治になって
新しく生まれた語ではありません。

40 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/20(日) 16:54 ID:MuIjFRyo
>>30 企業家 さん
 >>18にも書きました通り、本日は準公務のためレスの時間がまともに
取れません。>>37-39までは休みの時間を利用して何とかレスしたものの、
今晩は打ち上げもありますので、申し訳ありませんが、企業家さんの
書き込まれた内容に対しては明日以降にまとめてレスさせて頂きたいと
存じます。悪しからずご了承下さいませ m(_"_)m。

41 名前:企業家 投稿日:2002/01/20(日) 20:37 ID:xu1YyMic
>>36
ありがとうございます。「おもや」は「お+もや」なんですね。それに他の「擬態語」
もこじつけの観がありますか。
>・いつ頃その言葉は使われ始めたか。
>・使われ始めた頃の発音はどのようなものだったか。
>・使われた当時から現在までで、どのような変化を遂げたか
この基本条件は十分に理解できます。ただ実際にこれを韓国語に当てはめてしまうと
結局は学問的な考察は出来ないという結果になるしかないんでしょうね。

42 名前:企業家 投稿日:2002/01/20(日) 20:41 ID:xu1YyMic
例えば新羅や百済の宮廷や貴族達が使っていた言葉について、あるいは中世(世宗王
時代以前)に一般庶民が会話で使っていた言葉について、それぞれ当時の「発音」に
ついて記載あるいは言及した文書というのはあるのでしょうか?

43 名前:74式 投稿日:2002/01/20(日) 21:46 ID:o8UGaaak
>>41
すみません。ちょっと脊髄反射的に書いてしまったようです。
読み返して恥かしいです。
「もや」という言葉も実際あり、「おもや」と同じ意味でも使われるのですが、
主屋とかいて「おもや」と言うこともあります。
36で書いたような「お+もや」と言いきれないでしょう。。
いいかげんな発言をしてスミマセンでした。m(_"_)m

44 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/20(日) 22:37 ID:.BvYGR1.
レスありがとうございます。忙しいのにすいません。

45 名前:のなめ 投稿日:2002/01/20(日) 23:02 ID:27TeTNwA
>42
ほとんどありません。
『鶏林類事』あたりは有名だろうけど、高麗時代(1103-1163)で353語。
『朝鮮舘訳語』(15世紀)は『華夷訳語』の一編にして、高麗語600を収める。
以上、二つとも支那側の文献であるが、私は未見。

小倉進平氏は新羅郷歌の解読にあたって
・十数年にわたる方言の収集(古語が残っているかも)
・ハングルで書かれた古書を、古語の解釈の補助に用いる
ということをしています。

ところで、「父」(「ちち」または「ち」)にあたる語は、朝鮮では何というのでしょう。
「アバ・オボ」かな。日韓で全然違ってたりして。

46 名前:企業家 投稿日:2002/01/20(日) 23:18 ID:xu1YyMic
>>45
「アボジ」ですね。「アッパ」が親称。
そうですか。しかし韓国の方言ってどうなんでしょう?
日本の方言のように標準語と全くかけ離れた言葉って済州島位しかないですよね。
ほとんどが語尾や語頭の変化及び抑揚の違いって感じですが。
あとハングル自体が15世紀の成立ですから、ハングル古書はそれ以降の成立ですよね。
そうなると半島や渡来人の影響が最も大きかった時期から7、8百年後になりますし
既に統一王朝になっている。どこまで参考に出来るんですかね。
やはり「そうだったはずだ→そうでなければならない→そうであった」っていう理論の
すり替えでしか韓国側の対応は難しいのかな。

47 名前:名無しさんは今年も・・・ア、アイゴー 投稿日:2002/01/21(月) 07:04 ID:qJWn5YWU
>>45
アバイ(父)という言葉聞いたことありますから(聞いた、というそれだけなのですが、汗)
「アバ・オボ」に、名詞の語尾につける「○|」(イ)をつけてそうかのかな、と素人考えを
してみるのですが・・

48 名前:のなめ 投稿日:2002/01/21(月) 09:59 ID:Tx54A.sA
実は、「アバ」「オボ」の語は『記紀万葉の朝鮮語』(金思[火華]著)から取ったものです。
この本は、かなり電波が入っているものの、日朝の単語比較にあたって
前述した『鶏林類事』『朝鮮舘訳語』あたりも参考にしているようなので。
いや、書名だけ挙げて実は見ていなかったというオチだったりして。
朝鮮の古語が分かる方、フォローお願いします。

>どこまで参考に出来るんですかね。
もう、参考にすべきものは全て用いた、ということでしょう。
苦肉の策か。
==
朝鮮語に関しては、全然力になれそうもないな。

49 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/01/21(月) 11:12 ID:RMSfgP0.
センター試験の監督や警備、お疲れさまでした。私もしんどかったです。

50 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/01/21(月) 11:13 ID:RMSfgP0.
失礼しました。
40 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 先生宛でした。

51 名前:企業家 投稿日:2002/01/21(月) 11:23 ID:48JmuuqE
>>48
「アバイ」は今でも使いますね、北朝鮮で。
「オボ」はもしかして「父母」ですか?
韓国の5月8日は「父母の日」(韓国では父の日、母の日が分離されてません)で
「オボイナル」と言います。

52 名前:のなめ 投稿日:2002/01/21(月) 12:50 ID:Tx54A.sA
>51
上記の本からの孫引きなので、よく分かりません。
この本は、(題名の通り)日朝の古語の対比が目的なので、もしかすると古語かも知れません。
(金思[火華]氏は、「『父』は日本語『ち』で、朝鮮語では『アバ』『オボ』だ」と書いている。)
==
ソースとしては、甚だ心許ない。
「知らない」とだけ書いて済ませればよかったかのう。

53 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 17:03 ID:yo/6VUdY
>>30 企業家 さん
 大変遅くなりましたが、レスの方をば。

 まず、日本側の擬態語が朝鮮語の動詞の音の影響を受けている可能性は
あるのか、というご質問ですが、まずもってそれはあり得ないことである
と思います。日本語が外国語を借用する場合、もとの言語における品詞に
関わらず、まずは名詞として受け入れるというのが原則です。その上で、
「四角い」とか「綺麗だ」とか「フォローする」のように接尾語を付けて
他の品詞にするわけです。ですから、朝鮮語の動詞が日本語の擬態語に影響
を与えるためには、まず朝鮮語の動詞が日本語の名詞として借用される必要
がありますが、私の知る限り、「コッタ」「クルダ」「ペコップダ」のような
名詞が日本語にかつて存在した形跡は一切ありません。

 唯一、企業家さんの挙げた中で「ノップダ」という語に対しては、「のっぽ」
という名詞が日本語に存在しますので一応考慮の余地はありますが、「のっぽ」
そのものは明治後期以降の用例しかなく、江戸中期の資料に見える「のっぽり
(飛び抜けて高いさま。また、間抜けなさま)」という副詞や、幕末の資料に
見える「のっぽんぽん(背が高いさま。また、すっからかんのさま)」という
形容動詞から派生した新語である可能性が高いのです。

 更に言えば、これらの語に先立って「のっぽう」という名詞・形容動詞が
江戸初期の資料に見えるのですが、この語の意味は「間抜けなさま。愚か者」
なのです。「のっぽり」には「間抜けなさま」という意味がありますから、
「のっぽう」「のっぽり」「のっぽんぽん」「のっぽ」は同一のグループに
属する語であると考えてよいでしょう。これらの「のっぽ」系の擬態語の
中で最も古い「のっぽん」の意味が「間抜けなさま。愚か者」なわけですから、
「のっぽ」系の擬態語の原義は「愚かなさま」であり、後に「大男総身に知恵が
回りかね」的発想から、背がひょろっと高い人をからかって使うようになり、
新たに「背が高いさま」という意味が付け加わったものと思われます。

 次に、日本語の人名に見える「足」の読み「たり」と朝鮮語の「タリ(足。脛)」
との間に関係があるかどうかですが、これはまったく関係ないと言って
差し支えないでしょう。「足」の読みの「たり」は「足る」という動詞の
連用名詞形です。「足」という漢字には「百足」のように日本語の「あし」に
相当する意味のほか、「満足」や「充足」のように「たりる」また「たす」と
いう意味があります。日本語の「たり」という読みは勿論後者の意味に基づく
訓というわけです。

54 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 17:03 ID:yo/6VUdY
 最後に、日本語の「母屋」の「母」の読み「おも」と朝鮮語の「オモニ(母)」
との関係ですが、これは結構厄介です。なぜなら、>>34でのなめさんも指摘
されているように、日本語には「母」を意味する語として「はは」のほかに
「おも」という語もかつて存在したからです。

 日本語の「おも」は日本書紀や万葉集などに用例が見え、「母」乃至「乳母」
の意味で使われています。「おもちち(母父)」という用例から推定するに、
原義はおそらく「母」の方でしょう。興味深いのは、「はは」と「ちち」を併せて
言う場合は「ちちはは」と「はは」の方が後に来るのに対し、「おも」と「ちち」
を併せて言う場合は、常に「おもちち」と「おも」の方が先に来るということ
です。これを「めをと(夫婦)」「いもせ(妹背)」などと考え合わせて、「ちちはは」
は大陸から新たに伝わった父系制に基づく呼称であると見、それに対して
「おもちち」「めをと」「いもせ」など、女性の方が先に来る語は古い母系制の
名残りであると解する説もあります。

 何にせよ、古代日本語においては、母親を指す語として「おも」という語が
あったことは確かなわけで、日本語と朝鮮語とを言語系統的に結び付けようと
いう場合には、本語はまさに打って付けの語であることは間違いありません。
ただ、世界的に母親を指す語は幼児語由来であることが多いので、どうしても
赤ん坊や幼児が発声しやすいマ行やパ行などの唇音に集中してしまいます。
要するに、この程度の一致は偶然でも十分起こり得ることなのです。まぁ本語
を日本語と朝鮮語の系統や言語交流の一つの可能性(あくまで「可能性」ね)
のある例として取り上げる分には反対する気はありませんが、本語だけを
大々的に取り上げて朝鮮語との関係を云々するのは危険であるということは
声を大にして指摘しておきたいですね。

55 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 17:04 ID:yo/6VUdY
 ちなみに、「母屋」を「おもや」と読むのは「母」を「おも」と読むことに
基づく訓ですが、>>36で74式さんも指摘されているように、「母屋」には
もう一つ「もや」という読み方もあります。問題は、文献の用例を見る限り、
「おもや」よりも「もや」の方が古くかつ伝統的な語のように見えるという
点です。

 「おもや」の初出例は『竹取物語』ですが、『竹取物語』は古い写本に
恵まれておらず、室町末期のものが最古です。ですから、『竹取物語』に
「おもや」という語が使用されているからと言って、「おもや」が『竹取
物語』の成立時期である平安中期の語であるかどうかは請け合えないのです。
『竹取物語』以外では、室町末期〜江戸極初期あたりの文献が古例という
ことになりますので、「おもや」という語はどうも室町時代より先には遡れ
そうにもありません。一方、「もや」は『宇津保物語』や『枕草子』と言った
平安後期の文献のほか、『宇治拾遺物語』『名語記』など鎌倉時代の文献にも
用例が見え、まず間違いなく平安時代にも存した語であると見なされます。
こうして見ても、「もや」の方が「おもや」よりも古いと考えてまず間違い
ないでしょう。

 「もや」の語源については諸説がありますが、「み(身)」の古形「む」と
「や(屋・家)」が結合した「むや」が母音交替を起こして「もや」となった
というのが最も説得力がありそうです。「おもや」という語の成立過程は
おそらく以下のようなものです。まず「もや」の「も」の漢字表記として
鎌倉時代に「母(呉音モ)」という漢字を宛てるようになり、その後「母」を
「おも」と読む人間が登場して、更に音の一致から「主屋」という再解釈も
加わった結果、「おもや」という語が生まれたー。あと、「御-もや」という
表現もどこかでその成立に関与した可能性はありますね。

56 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 17:21 ID:yo/6VUdY
 私も朝鮮語は専門ではないのでよくわからないのですが、安本美典氏の
『日本語の成立』(講談社現代新書)中に、基礎語彙200語に関して
日本語・朝鮮語・アイヌ語を一覧表にしたものが付されているのですが、
そこに中期朝鮮語の語形が記されています。それによれば、中期朝鮮語では
父は['apanim]、母は['∂manim]だったようですね。
[-nim]は敬称でしょうから、結局父は['apa]、母は['∂ma]
が本来の形だったと考えられます。しかし、この語形だと、日本語の「おも」
との類似性は多少低下してしまいますね。

57 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 17:26 ID:yo/6VUdY
>>49-50 遺伝子屋 さん
 おお、遺伝子屋さんも例の準公務に駆り出されたのですか。お互い宮仕えは
辛いっスよねぇ…(泣)。尤も、リストラされて働く機会すら奪われた人が
増えている中にあっては、仕事があるだけでも有難いと思わなくてはならない
のかも知れませんが(^^;。

58 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 18:13 ID:yo/6VUdY
>>56
 今気が付きましたが、母の中期朝鮮語であるという['∂manim]は、
母音調和の原則からして不審です。母音調和は、母音が男性母音、女性母音、
中性母音の3グループに分かれ、男性母音と女性母音は同一グループの母音
とは共存できるが、男性母音と女性母音はお互いに共存できないという現象
です。中性母音はすべての母音と共存できます。中期朝鮮語においては、
この母音調和は極めて厳密に守られていたことが知られています。ちなみに、
男性母音は〔a,o,Λ〕、女性母音は〔∂,u,щ〕、中性母音は〔i〕です。
上の例は、女性母音の[∂]と男性母音の[a]とが同一単位で共存している
ので変なのです。残念ながらオリジナルの資料に当たれないので自信を
持っては言えないのですが、['∂manim]は['∂m∂nim]の間違い
ではないでしょうか。

59 名前:のなめ 投稿日:2002/01/21(月) 18:47 ID:3rtRgTCw
帰宅して確認したところ、『記紀万葉の朝鮮語』に挙げられている朝鮮語について、
「文中の発音記号は中世語音を表す」とあった。
なお、本書では
母=a-ma,e-me("e"は上下逆なんだが、変換方法が分からん)
父=a-pa,e-pe(同上)
となっている。何で二つあるんだろ。

語学についてはサッパリだが、おまけ程度に。

60 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/21(月) 19:33 ID:yo/6VUdY
>>59 のなめ さん
>母=a-ma,e-me("e"は上下逆なんだが、変換方法が分からん)
>父=a-pa,e-pe(同上)
>となっている。何で二つあるんだろ。

 私はその"e"、∂で代用しています。それにしても、なぜ二つ
あるのか、私にもわけがわかりません。ただ、朝鮮語は

   hwanhada(明るい)/hw∂nhada(薄明るい)
   kama‘ta(真っ黒い)/k∂mda(黒い)

のように、母音の陰陽の対立を利用して意味の細かなニュアンスを
区別する性質がある(『河野六郎著作集1』より)そうですから、
父と母に男性母音系と女性母音系の2種類があったとした方が、
その金思[火華]という人物の説にとっては都合がよいのかも
知れませんね。

61 名前:企業家 投稿日:2002/01/21(月) 22:09 ID:gSG908.2
娜々志娑无 先生、のなめさん、

有難うございました。大変参考になりました。
ちなみに>>60の母音の陰陽を利用した細かいニュアンスの違いについては、ここで
暮らす上で私なんかは非常に戸惑う最大のものです。形容詞に2種類の母音の対立では
すまず、子音に4種類程度の母音を変化させて微妙〜なニュアンスを使い分けます。
私はこれは未だに慣れませんね。

62 名前:のなめ ◆DeMPa1.Q 投稿日:2002/01/22(火) 16:43 ID:oYfOcj3A
参考になった?
うーむ。何もやった覚えがない……。

63 名前:海底少年 投稿日:2002/01/23(水) 23:58 ID:gYqWT2k.
娜々志先生、「いちゃいちゃ・いちゃつく」の解説ありがとうございました。
もしかして「愛(いと)しむ」「慈(いつく)しむ」「営(いと)なむ」
これらと関係があるのでしょうか?

>マークシート方式は機械に採点させるために導入されたものです。
…ごふっ…かなりボケが深刻です…気がつくのが遅すぎでしてん。
厨房時代の一時期、塾(男塾以外の…)へ通ってましたが、そこの塾長が
「試験は、問題を作成するより、採点の方が数倍しんどい」と洩らしてたので
そういうものかと…たすき掛けで、徹夜の採点作業に追われる娜々志先生の姿を
…脳内シナプスが、勝手に連想してました。
ところで、先生の歌のスレッドは上がらないのでしょうかね?

のなめさん、トリップが…しゃれてますのう。
…企業家さんだけでなく、俺も勉強させてもらってまっせ。
ところで、気になっていたのですが…HNの「のなめ」とはどういう意味?

64 名前:のなめ ◆ScIlowvo 投稿日:2002/01/24(木) 02:32 ID:hy5CZzpQ
私が幼稚園生のころ、朝方に『海底少年マリン』というアニメが再放送されていましたが、何の関係もありません。

「ななし」から連想しただけ。ローマ字で書いてみよう。

65 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/24(木) 18:04 ID:M4bia.U2
>>83 海底少年 さん
>もしかして「愛(いと)しむ」「慈(いつく)しむ」「営(いと)なむ」
>これらと関係があるのでしょうか?

 >>21をもう一度よく読み、そこで私が展開した批判に貴方の説が
堪え得るかどうかをご自分でご判断頂きたいと思います。その上で
なおかつまだ議論の余地ありとお感じになるなら、再度お尋ね下さい。
その時はきっちりお相手致します。

>ところで、先生の歌のスレッドは上がらないのでしょうかね?

 あのスレは今回の総督府のサーバーダウン騒動の余波を受け、
問答無用で過去ログ送りと相成りました。スレ立ての時期が古い
ものは強制的に同様の処置が取られたようです。総督殿も与り
知らぬことだったそうですから、多分スクリプト自体のプログラム
ミスか何かなのでしょう。何にせよ倉庫送りになったものはどうし
ようもないので、このまま静かに眠らせて上げようと思っています。
新スレは、本当に必要なものならどなたかがお立てになるでしょう。
私はもういいです…。

66 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/25(金) 07:33 ID:YEcw106g
日本語と朝鮮語の共通点にr(l)が頭につく単語がないと聞きました。
たしかに私の古語辞典(安物)にも漢語以外にありません。朝鮮語のほうは
盧泰愚→ノテウ、李承晩→イスンマンとやってますね。もっともグレーシー一族
も全員rが頭文字なのにホイス、ヒクソン、ホイラーとなっており似たようなこ
とをしてます。スペイン語はr文字で始まる単語は舌を丸めて上あごに
くっつけて振動させるというような発音をします。
単語の頭のrは人類にとってやりにくい音なんでしょうかねえ。
                         と軽いネタフリ

67 名前:海底少年 投稿日:2002/01/25(金) 16:04 ID:rAppoWyQ
また…やらかしてもうたのね?
つうか…俺がこのスレのアラシになりつつあるかも…

68 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/25(金) 22:02 ID:iuFxx282
>>67 海底少年 さん
 私の表現が気に触ったのなら謝りますが、確か海底少年さんは前々スレ
あたりで言語系デムパハンターになりたい由を書き込んでおいでではあり
ませんでしたか。仮にもそのようなお方が、この程度の初歩的な応用問題も
解けないようでは、いざ実戦という時にあっという間に返り討ちに合ってしまい
そうで心配なのですよ。いくら私でも、相手が普通の名無しさんであれば
このようなことは要求しませんって。どんな分野でもそうでしょうが、デムパ
ハンターの道は厳しいものなのです。

69 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/25(金) 23:06 ID:iuFxx282
>>66 竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
 語頭にr及びl音が立たないのは日本語の主たる特徴の一つです。実際、
現代日本語にある語頭ラ行音の語彙はすべて漢語及びその他の外来語
起源ですからね。唯一「るつぼ(坩堝)」が微妙ですが、江戸中期以降の用例
しかないこともあり、日本古来の語とは考えにくいのです。ま、「炉壷」の訛り
というのが最も可能性が高そうですね。

 日本の周辺の言語で日本語と同様r及びl音が語頭に立たないという原則
を持っている言語(とりあえずAグループと仮称)としては、以下のようなもの
があります。

Aグループ
  朝鮮語
  アルタイ諸語
    モンゴル語族・チュルク語族(トルコ語など)・ツングース語族(満州語など)

 一方、語頭にrまたはl音が立つ言語(Bグループと仮称)としては以下の
ようなものがあります。

Bグループ
  アイヌ語
  ギリヤーク語
  オーストロネシア語族(サモア語、マオリ語、インドネシア語など)
  シナ=チベット語族
    シナ語派、チベット語派、ビルマ語派(レプチャ語)、タイ語派など
  オーストロアジア語族(カンボジア語、ヴェトナム語など)
  ウラル語族(フィンランド語、ハンガリー語など)
  ドラヴィダ語族(タミル語など)

 このように、Bグループのように語頭にラ行音が立つ言語の方が圧倒的に
多く、Aグループの言語は明らかに少数派です。語頭にラ行音が立つかどうか
という特徴は、アルタイ起源説のような北方起源説にとっては有利な特徴で
あると言えましょう。ただし、オーストロネシア語族も、祖語に遡れば語頭に
r及びl音が立たないという説(村山七郎『日本語の起源』)もあります。そう
なると南方起源説も必ずしも不利とは言えなくなりますね。 

70 名前:海底少年 ◆JaPSextU 投稿日:2002/01/26(土) 02:06 ID:t.w9x2PA
滅相もない…娜々志先生、謝るべきはこちらです。
懲りずに短絡的な質問をして、申し訳ありません。
実は、これでも精一杯、素人の好奇心を押さえているつもりですが…
時折というか、頻繁にですけど…ひょろっと筆が滑るのです。

「いちゃつく」のもう一つの意味「言い争う。もめる」が
現代では「男女が仲良くする」という、ほぼ正反対のニュアンスでのみ
通用するようになった過程に興味が湧いたので…
「愛しむ」「慈しむ」「営なむ」…あるいは「労(いた)わる」
などの語彙と関連があるのかな、などと自覚も無いまま…ひょろっと滑落っス。
もちろん、解説をいただくまでもなく…反省いたします。

LV1「デムパ・ウォッチャー」←俺はここから昇格できませんや。
LV2「デムパ・ハンター」
LV3「デムパ・スレイヤー」←竹埼季長2さん、このぐらい?
LV4「デムパ・クラッシャー」
LV5「デムパ・エクスターミネーター」←娜々志先生「サウラビ」スレ参照。

ところで、何かスレを立てる予定は、今のところ無いのですか?
歌のスレといい、民明書房のスレといい…珠玉のネタスレが浮かばれませんな。

>>64 のなめさん、「ノーネーム」ね…ってトリップ変えてるし…ヨシ、漏れも。


71 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/26(土) 09:12 ID:Hq9HQ2ww
>>69
レスありがとうございます。
江戸時代ロシアをオロシアと言ってたのはRが語頭だからで、L行から
始まるのならロシアですんだはずというのを聞いたことがあります。ロシアを
オロシアと言うのなら、古くから日本に入ってる漢語は「お六時の勤め」と
いってるようではないですから、L行で始まる漢語と推察してよろしいのでし
ょうか。





72 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/26(土) 16:50 ID:4dysMVsM
>>70 海底少年 ◆JaPSextU さん
>現代では「男女が仲良くする」という、ほぼ正反対のニュアンスでのみ
>通用するようになった過程に興味が湧いたので…

 ああ、そういうことだったのですか。私はてっきり海底少年さんが
>>21での私の書き込みのポイントである「言い争う。もめる」という意味
の存在を無視乃至見落としてあのようなことをおっしゃっておいで
なのだとばかり思っていました。そういうことであればあの書き込みも
理解できますが、そういうことは省略せずに説明して頂かないと…。
確かに早とちりした私も悪いのですがね。

 擬態語「いちゃ」系の語としては」、「いちゃ」「いちゃいちゃ」
「いちゃくちゃ」「いちゃつく」「いちゃもん」などがありますが、
この中で一番古い用例を持つ語は「いちゃいちゃ」です。「いちゃいちゃ」
には現代でもお馴染みの副詞的用法のほか、名詞の用法もあるのですが、
実は一番古い用例は名詞として使われた例でして、しかもその意味は
「ぐずぐずしていること。ぐずぐず言い争うこと。また、その人。ぐず。」
なのです。1716年成立の浄瑠璃に用例があります。次に古いのは
「いちゃつく」で、「男女が仲むつまじげにふざけ合う」という意味で
1763年頃に使われています。「言い争う」系の意味で使用された
最古の例は「いちゃ」で、時期は1792年です。

 以上をまとめると、「いちゃ」系の語の原義は「行動や言動がぐずぐず
しているさま」で、その後男女が仲むつまじくふざけ合っているのを揶揄
して使用するようになり、また一方で「ぐずぐず言い合う」から「言い争う」
の意味も生じたものと推定されます。現在では「いちゃいちゃ」や「いちゃ
つく」には「ぐずぐずするさま」や「言い争うさま」の意味はありませんが、
辛うじて「いちゃもん」という語にその意味が残っています。「いちゃもん」
は「いちゃ」と「もんく(文句)」が結合したものです。おそらく「いちゃ
いちゃと文句を言う」という表現を踏まえて生まれた略語でしょう。

 「いちゃいちゃ」に「言い争うさま」の意味が果たしていつ頃まで生き
残っていたかはわかりませんが、「いちゃもん」の用例としては1970年
代のものしか見つけられませんでしたので、割と最近までその意味が
生き残っていた可能性はありますね。尤も、「いちゃもん」自体俗語の
ようですので、記録がないだけで、もっと以前から存在した=「言い争う
さま」の意味はもっと以前に滅びた、という可能性も考慮する必要が
ありそうです。

73 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/26(土) 19:27 ID:4dysMVsM
>>71 竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
>江戸時代ロシアをオロシアと言ってたのはRが語頭だからで、L行から
>始まるのならロシアですんだはずというのを聞いたことがあります。

 仙台藩の医師で天明期に田沼派の知識人として活躍した工藤平助の
『赤蝦夷風説考』(1783年成立)に、以下のような記述があります。
引用は教育社新書の同名書の現代語訳から。

   国名をオロシャという原因を尋ねると、阿蘭陀書のうち、千七百
  四十四年〔阿蘭陀は開闢より一年、二年とかぞえて、日本のような
  年号はない。一千七百四十四年は、延享二年である。一千七百八十
  一年は、今の天明元年になる〕発行の『ベシケレイビング・ハン・
  ルュスランド』〔書籍の名で、ルュスランド国のことを載せるという
  意味だ。ベシケレイは記録、ハンは助字ののの字〕や、一千七百六十
  九年、明和七年発行の『ゼオガラアヒ』〔万国のことをしるすの意〕、
  以上二冊の内容をもって考えれば、
    RUSSIA(ルュッシヤ)
  という国にあたる。これが松前人の耳には、オロシャと聞こえた
  らしい。

 松前人は北海道・松前藩の人間という意味ですから、ロシア人と実際に
接した地元の日本人にはロシアがオロシャと聞こえたからロシアのこと
をオロシャと呼ぶようになったということのようです。これが正しいか
どうかはわかりませんが、ロシアの頭に母音があるかのように聞きなし
ているのは、何も日本人だけに限りませんで、中国人も同様です。中国
ではロシアのことを今も昔も「俄羅斯(e luo si)」と表記している
のです。

 中国人がロシアを漢字表記する際に母音のみの漢字を語頭に付加する
理由としては、とりあえず以下のような事情が考えられます。中国語の
頭子音には[l]に相当するものはあっても[r]に相当するものがない
ので、Rossijaの頭子音rを漢字一文字で表記しようがなかったが、
音節末子音、言い換えれば母音の直後の子音としてなら中国語にも[r]
が存在するので、母音のみの漢字である「俄」という字を頭に持って来て
「俄羅」とすることでr音を表わそうとしたのだ、と。ただ、日本でも
ロシアのことをオロシャと呼んでいたわけですから、むしろロシア語の
方に原因があるのかも知れません。『言語学大辞典』によれば、ロシア語
のr音の音価そのものはありきたりの歯茎震え音[r]ですが、r音を
表わすキリル文字Рの読み方は[εr]だそうです。意外に、この辺に
この謎を解く鍵があったりして。自信ないけど(w。

 ちなみに、現代北京官話のローマ字表記ではrの字を使用する音節
(日ri、人renなど)が存在しますが、これらのrの実際の発音は
反り舌摩擦音[そ]であって、舌先震え音[r]や日本語のラ行音である
舌先(歯茎)弾き音[г]とはかなり音感が異なり、rとз(日本語のシジミ
のジの子音)の中間の音のように聞こえます。「日」や「人」が日本漢字
音では「ジツ」「ジン」となって現われているのもむべなるかなです。
いくら何でもこの子音を頭子音に持つ漢字で外国語のr音を表記するのは
無理があり過ぎというものです。

74 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/26(土) 20:05 ID:4dysMVsM
>>73
 漢字音に関してちょい追加です。隋唐時代の漢語の子音にはいわゆる
ラ行系の子音として半舌音と半歯音の2種類がありました。半舌音(来母)に
属する漢字には「来・礼・論・楽」などがあり、半歯音(日母)に属する漢字
には「日・人・然・児」などがあります。日本人は前者をラ行音、後者を
ザ行音で受け入れました。後者の漢字の頭子音については>>73に書いた
通りで、[r]と[з]の中間的な音ですが、前者の漢字の頭子音は現代の
北京官話でも[l]ですので、当時も[l]であったことはまず間違いなさ
そうです。てなわけで、竹埼季長2 ◆T/zSkROU さんのご推察通り、日本
漢字音でラ行のものは中国漢字音では[l]であったと考えてまったく問題
ありません。ただし、これを以て当時の日本語のラ行の発音までも[l]
だったとまで言えるかどうかは問題です。現代日本語のラ行音はr系の[г]
ですが、過去に遡ってもラ行音はr系だったというのが通説ですし、日本語に
rとlの音韻的対立が存在しない(これは日本語の主要な音韻的特徴の一つです)
以上、l系の音もr系の音で写したに違いないからです。

75 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/27(日) 08:34 ID:QStR.Iok
>>73>>74
おレスありがとうございます。

76 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/29(火) 21:19 ID:T.kzaRbo
駒は私の古語辞典(安物)には子馬からきているって書いてますが、
キムタルスのようなマンセー系は高麗、狛から来てると書いてたと
思います。実際どうなんでしょうか。


77 名前:海底少年 投稿日:2002/01/29(火) 21:57 ID:dYD53OU2
恥ずかしながら、俺の知らない間に兄が接続パスワードを変更してたので
日曜日からROMすらできませんでした。まるで視覚を失ったような気持ち…
…と思ってたら、総督府は人が少なくなって寂しげ…やっぱトラブル続きが痛い。

娜々志先生、「いちゃ」の追加解説ありがとうございました。
時を経て、意味が変わったといえば「頑張る」という言葉も
元は「ワガママ」に似た否定的な意味だったらしいですね。

ロシアをオロシアと呼んでたのは、アメリカをメリケンと呼んだ
のとは対照的な感じがして面白いですな。

日本人にとって「ラ行」は鬼門なんでしょうかね?w
若者の「ら抜き言葉」だの、ヤクザが威圧の効果として使う「巻き舌」だの
英語圏では縁の無い話でしょうな。

>>76 竹埼季長2さん、キムタルスとはいったい何ですかー?
「コマ」については、俺も前々スレで娜々志先生に質問したんですが
キムタルスというのは初めて聞きました…プンムルみたいに謎めいてる…

78 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/29(火) 22:55 ID:LDzvDf4Y
>>76 竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
 >>77で海底少年さんも述べておられる通り、この件については前々スレで一度
触れたことがありますが、それは地名の巨麻郡の語源(駒ではなく高麗から来た
もの)に関してのものでしたので、コマ(駒)自身の語源には触れていませんでした。
せっかくですから少しばかり検討してみることにしましょう。

 前々スレでも述べたように、コマ(駒)のコは上代特殊仮名遣では甲類、コマ(高麗)
のコは乙類です。コの甲乙の区別は上代特殊仮名遣の中でも最も遅くまで残った
ものでして、平安時代の初期、9世紀末頃までは区別があったようです。上代特殊
仮名遣が異なっている以上、両者の語源は別々と見なくてはなりません。よって
金達寿(ですよね?)の説はまったく成立しないということになります。

 次に、子馬=コマ説ですが、上代特殊仮名遣から見る限り、この説は十分可能
性があります。コ(子)やそれから派生した接頭語コ(小)の上代特殊仮名遣は甲類
であり、コマ(駒)のそれと一致するからです。問題は、上代の用例を見る限り、
コマ(駒)とウマ(馬)との間に意味用法上の差が特に認められないという点です。
コマ(駒)が東歌など東国関係の歌の中で多用される傾向があるというのが唯一
注目される相違点ですが、果たしてそれにどの程度の意味があるのか不明です。
東国の馬は小さい馬が多かったというなら話は別ですが、南部馬は大きく強健な
馬として有名ですし、むしろ逆っぽいですよね。ま、実際のところどうだったかは
考古学の方々に調べてもらうしかなさそうですが。

 なお、平安時代になりますと、『倭名類聚抄』(934年頃成立)などのように、コマ
(駒)を子馬の意味で使った例も見えます。そこで、お馴染み『日本国語大辞典・
第2版』など、多くの辞典類はコマ(駒)の原義を子馬としていますが、私としては
子馬の意味でコマ(駒)を使った例の出現の方が遅れるのが少々気になりますね。
平安時代のコマ(子馬)はコウマ→コマという変化で新たに生まれた可能性もある
からです。まぁでも、私に子馬=コマ説を上回る妙案があるわけではありません
ので、とりあえずは現行の説を支持しておきたいと思います。

79 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/01/29(火) 23:39 ID:f1LCI3G.
>>77>>78
もうほとんどうろ覚えでキムタルスが言ったかどうかも忘れましたが、
東国の駒のつく地名〔駒場、駒沢とか〕が駒とつくのは東国でそこを開拓した
高麗(コマ)人によるってあったような気がしたもので一応質問をしたんです。
まあかの国の人にはこういう主張をする人はいると思う。




80 名前:のなめ ◆DeMPa1.Q 投稿日:2002/01/30(水) 15:21 ID:6TuJGiog
『日本騎兵史』に、日本陸軍が満州・内蒙古で軍馬を探した記録が載っています。
結果は、惨憺たるものでした。
数は多いものの、体格が小さい(なお「小馬」は「小さい馬」でなく「わかい馬」の意味)。

一部の方の想像するように、「サラブレッドに乗り、勇壮に平野を駆け回る高句麗人(蒙古でもいいや)」がいたわけではございませね。

81 名前:ちんぐうぉっちゃ 投稿日:2002/01/30(水) 15:42 ID:lcVRBPdM
また、チングーの掲示板で見つけたので貼っときます。
スレ汚しならスマソ。でも、このsachiとかsatsuとか実際のところ、どうなんすか?

番号 : 130774 翻訳 ニックネーム : Arisu 2002-01-30 10:46:39
韓国語系統と日本語系統の 異同点 -yasu様見てください
(前略)
ところで韓国には 扶余語がほとんど消えたし地域なまりや歴史書にその跡を
残しておいています. 私が見るのに日本語は南方係言語の影響も受けたが,
百済語の影響がもっと大きかったと考えられます.
しかし歴史が進行される中に日本語にも 百済語がたくさん消滅して
南方係, すなわち被支配階層の言語がまた生き返えた場合が多かったです.
まるで英語がイギリスに侵入したノ−ルマンギェ言語に押さえ付けられている途中またノ−ルマンギェ言語を
吸収して立ち上がったことのように.
例えば南方係日本語で ya(矢)という言葉がありました. その言葉は骨角器や石器で作った矢を意味します.
ところで韓半島で sachi(韓国語では sal)という言葉が渡って来たがこれは金属器矢を意味します.
ひとときは sachiという言葉が yaという言葉を圧倒したが, sachiという言葉を使う種族が
支配種族だったから, 歳月が経つとその言葉は satsu- yaという言葉に変わって
矢の一種として韓半島から渡って来た矢を意味するようになったし後には
satsuという言葉は消えて yaという言葉だけ残りました. それで今日日本では 矢を yaだと言います.
結局韓国にも 扶余語の跡が残っていて日本にも百済語, すなわち 扶余語と 韓語の混合語の跡が
残っているわけです. 韓国語が アルタイ語族であることは学界に公認された事実だが
その語族との連関性を明らかにするのに子でがいることは 扶余語が消滅してしまったからです.
しかし韓国には百済語を告ャした言語中の一つな 扶余語の一部語彙と 韓語が生きています.
それで百済語の影響を受けた日本語が 南方系 言語と混合することでよってその原型を忘れてしまって
日本史の中の言語, 去る起こる日本の支配階層が使った百済語の意味を明かすことができないが韓国語では
より易しく明かすことができるのです.

82 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/01/30(水) 19:14 ID:Xh.H7EjY
どうせなので。南部馬(鎌倉時代以降に登場)については既に書いたし。
『拾遺和歌集』より。恵慶法師。

[詞書き]廉義公家の紙絵に、あお馬ある所に葦のはな毛の馬ある所
[和歌]難波江の葦のはな毛のまじれるは津の国がひの駒にやあるらん

駒というのは、(平安時代以降)主に和歌で使用される雅語です。
雅語・雅字が地名に当てられても、別に珍しいことではありませんな。
==
当初は、デムパを見かけると燃えていた。しかし、最近は「ああ。またか」と思うようになった。
これが「第二段階」というヤツか。

83 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/30(水) 19:35 ID:.vw2Fk1w
>>81 ちんぐうぉっちゃ さん
 上代日本語にサチ〜サツという一連の語が存在したことは確かです。
この語は単独の形(露出形)ではサチ、複合語の形(被覆形)ではサツと、
文法上の違いによって母音が変化します。露出形と被覆形のことに
ついては確か前々スレで一度触れた記憶がありますが、この種の母音
交替では、サケ〜サカ(酒)などのように露出形e〜被覆形aの形を取る
ものが最も多く、大半を占めるのですが、それに次いで多いのが本例の
ように露出形i乙〜uと交替するものです。類例には
   カミ乙〜カム(神)  カムヨ(神代)・カムガカリ(神懸)…
   ツキ乙〜ツク(月)  ツクヨ(月夜)・ツクヨミ(月読:神名)…
   クチ〜クツ(口)  クツワ(轡)・クツバミ(轡)…
などがあります。ちなみに、被覆形と露出形のどちらが基本形と考え
られるかですが、「古語は複合語に残る」という言語学の経験則から
見ましても被覆形の方が古く、露出形は被覆形に名詞化接尾辞のiが
下接して生じたというのが最も有力です。

 さて今回の件で問題なのはサチ〜サツに矢という意味があるかどうか
ですが、とりあえず『日本国語大辞典・第2版』のサチの項を書き写して
おきますのでご覧頂きましょう。

  さち【幸】〔名〕@獲物をとるための道具。また、その道具の持つ
    霊力。A漁や狩りの獲物の多いこと。また、その獲物。B(形動)
    都合のよいこと。さいわいであること。また、そのさま。
    [語誌](1)元来@やAの意味で用いられ、情態性を表わす「さき
    (幸)」とは、関係ない語であった。しかし、「さち」を得られること
    が「さき」という情態につながることと、音声学上、第二音節の
    無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音
    であることなどから、「さち」にBの意味が与えられるようになった
    と推定される。上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる
    Bの意味の確例は見られない。(2)現代の静岡・愛知方言に、狩猟
    での幸運を意味する「しゃち」という語があり、関連が指摘されている。

 このように、サチ〜サツには獲物を取るための道具という意味があります
ので、矢もまた当然それに含まれはしますが、決して矢だけに限定される
わけではありません。海幸山幸の神話にもありますように、古代の日本人は
魚を取る釣針をもサチ〜サツと呼んでいたのです。

84 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/30(水) 19:37 ID:.vw2Fk1w
(続き)
 サチ〜サツと朝鮮語のsal(矢)との関係を指摘したのは大野晋氏『日本語の
年輪』あたりが最初のようですね。大野氏は同書の中で、朝鮮半島から新しく
伝わった金属製の鏃の付いた矢をサツの矢、即ちサツヤと呼んだのが始まり
であると主張しています。その根拠として、「朝鮮語のルの音は、日本語のツ
の音、またチの音と対応することがある。」と述べていますが、この「対応する
ことがある」という表現が曲者です。対応することがあるという程度のものは
音韻対応とは認められません。「音韻対応に例外なし」という言葉にもある通り、
音韻対応というからには原則的に例外は認められません。例外を認める場合
には一定の理由(音の環境による個別変化など)が必要になります。言って
みれば、大野氏自らこの対応が比較言語学でいう音韻対応ではないことを
認めたようなものです。ま、現状ではせいぜい似ている語という程度の認識で
十分でしょう。

 なお、サツを複合語の構成要素として含む語には以下のようなものがあり
ます。
   サツヤ(幸-矢)
   サツユミ(幸-弓)
   サツヲ(幸-男)
   サツヒト(幸-人)
サツが矢の意味だとすると、日本人は金属鏃用の弓とそうでない弓とを分けて
いて、しかも矢男やら矢人間(何ぢゃいそりゃ)などが闊歩していたということに
なりますな。海幸彦あたりは魚を弓矢で射て取っていたのでしょうか。まぁ何て
不経済なんざんしょ。さすがは民族指数の高い天孫族でありゃらしますな(藁。

85 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/30(水) 20:22 ID:.vw2Fk1w
(更に続き)
 百済の支配者層の言語が夫餘系であったことについては、私の認識と
>>81のaris氏との間に特に相違点はありませんが、現在の朝鮮語に
夫餘系言語の痕跡がどの程度残っているかについては、私と氏とでは
大きく認識が異なります。私は現代の朝鮮語には夫餘系言語の痕跡を
見出だすことはほとんどできないと思っています。高麗の都が高句麗の
故地に作られた関係上、語彙に関しては夫餘系言語である高句麗語系
のものが若干残っている可能性があるかも知れませんが、それすらも
かなり特定するのが難しいようです(李基文氏『韓国語の歴史』102〜4頁
参照)から、夫餘系百済語はなお困難でしょう。実際、李基文氏も現存する
資料から帰納される百済語の語彙は新羅語及び中世朝鮮語と大体一致
すると述べています(同書47頁)。当然これらの百済語は被支配層の言語
である韓系百済語であると見なさざるを得ません。これを見てもわかるよう
に、夫餘系百済語を再構するのはか〜なり厳しそうです。こんな状況で氏は
よくもまぁ日本語では「百済語の意味を明かすことができないが韓国語では
より易しく明かすことができるのです. 」などと言えたものですわ。こういうのを
日本では「大風呂敷を広げる」というのですが、どうやら韓国にはそのような
諺はないと見えますな。

86 名前:素人ニダ 投稿日:2002/01/30(水) 20:54 ID:0gaLO.qU
>サチ〜サツと朝鮮語のsal(矢)との関係を指摘したのは大野晋氏

かの国のデムパ発信源は全てわが国で、彼らはそれを単に増幅しているだけで
はなかろうかと思う今日この頃です。

87 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/30(水) 21:16 ID:.vw2Fk1w
>>84
修正ニダ。

 音韻対応に例外なし→音韻法則に例外なし

だったニダ! アイゴー! 娜々志娑无には謝罪と(以下略)。
音韻法則は一言語内に認められる音韻変化を法則化した
もので、音韻対応は異言語間に認められる規則的な音対応
を指します。音韻対応も音韻法則と呼ぶことがありますので、
そういう意味ではまったくの間違いではないですが、一般的
には音韻対応は過去の音韻変化を再建し、音韻法則を導き
出すための素材であり、出発点であるに過ぎません。やはり
恥ずかしい間違いであることには違いありませんね(^^;。
反省しる!>わし

88 名前:ちんぐうぉっちゃ 投稿日:2002/01/31(木) 00:02 ID:z3zEH.sk
おぉ〜、やっぱり専門の人はすごい。
どうも、ありがとうございます。
また何かあったら質問させてください。

89 名前:海底少年 投稿日:2002/01/31(木) 17:49 ID:hZ2HzhXE
キムタルスって人名だったのね…コマ関連の話はなんだかややこしいなぁ。
娜々志先生、教えを請うて、もはや数ヶ月…いまだに「上代特殊仮名遣」が
むずかし〜!若いうちに勉強してりゃ、もっとすんなり頭に入ってたかも…
けれど「デムパの香ばしさ」より「アカデミズムの清々しさ」の方が
ずっと気持ちいいってことは大いに学ばせて貰ってます。
問題は、彼の国のデムパ発信者が、日本の「上代特殊仮名遣」を理解しようなどと
さらさら思わず、関心を寄せることもなく、耳に心地よい情報だけを取捨選択
している姿勢ですな。…俺にとっては良い反面教師なのですがね。ところで
古事記に出てくる「アメノフチコマ」ってまだら模様の馬って意味ですかね?

それと「サツ・サチ」とは関係ありませんけど、もう一つ質問をば…
「匙(さじ)」という単語にはどれぐらい古い用例があるのでしょう?
天皇家で粥を食べる際に「さじ」を使う習慣があって、これが
朝鮮由来の食事の作法だという主張を聞いたことがありますもんで。
「箸(はし)」に関する不作法の言葉は日本にもたくさんあるようですが。

>80 82 のなめさん、
>日本陸軍が満州・内蒙古で軍馬を探した記録が載っています。
>結果は、惨憺たるものでした。
こりゃ馬が見つからなかった…ってことですか?以外っ!

>当初は、デムパを見かけると燃えていた。
>しかし、最近は「ああ またか」と思うようになった。
本家にも広く蔓延している慢性化の症状ですな、特効薬はありませんぜ。
もちろん、俺もむしばまれています。
潜伏と発症を繰り返し…気力、体力を奪うという。

90 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/01/31(木) 19:16 ID:D3sYp8LI
>>89 私も金達寿の「日本の中の朝鮮文化」にコロッとだまされていた口で
す。埼玉には高麗神社があって、高句麗王族の若光をまつっているように、
そちら系統の地名(高麗川)があってもおかしくはないのですけどね。でも、
神奈川の大磯が古代朝鮮語の「いらっしゃい」に相当すると彼が主張した、
「ワッソ」由来、それから近年できた大阪四天王寺の「ワッソ」祭りと同じ
系統なのか、はなはだ疑問あのですが。大きな磯と考えて矛盾を感じないの
ですが。なんたって、「大磯ロングビーチ」ですから(古くて済みません)。

91 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 19:39 ID:KGKHyZHI
>>89 海底少年 さん
>古事記に出てくる「アメノフチコマ」ってまだら模様の馬って意味ですかね?

 さいです。今は「斑」をブチと濁って読みますが、上代では清音
でした。日本語はもともと語頭濁音を許容しない言語(擬声語・擬態語
を除く)でしたからね。尤もそれも、漢字音(語頭濁音が普通に存在)が
普及するにつれて失われてしまいましたが。ちなみに、フチがブチと
濁ったのは、フチの語源であるフチ(縁)との意味分化に伴う差別化と
推定されます。

92 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/01/31(木) 20:26 ID:RF3dxU9s
>こりゃ馬が見つからなかった…ってことですか?以外っ!

いや、体格が小さかったり、素質が悪かったり(調教せにゃいかんから)。
軍馬には不向き、ということです。

93 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 20:41 ID:KGKHyZHI
>>89 続き
>「匙(さじ)」という単語にはどれぐらい古い用例があるのでしょう?

 サジ(匙)の古例ですか。少なくとも上代の用例はないようですね。
『日国大・第2版』によれば、『宇津保物語』(970〜999頃)の例が
最古、次いで院政末期の古辞書である『色葉字類抄』(1177〜81)
が古いようです。『日国大・第2版』の語誌にサジの語源について
興味深いことが書いてありましたので引用しておきます。

   (1)「さ」は「茶」の漢音で、「さじ」は「茶匙」の字音語であると
   いう説が広く受け入れられている。中世の茶道・香道では
   「香匙(キャウジ)」のように同様の語構成の語が見られる。
   (2)中国の茶における「匕」は、抹茶をすくって器に入れ激し
   くかきまわすのに用いる。ただしこれは茶専用の特殊な匕と
   いうわけではなく、食事に「匙(匕)」を常用する文化の一端
   に位置づけられる。
   (3)日本の「サジ」は、@の挙例「色葉字類抄」にあるように、
   茶の湯の普及以前から存在しており、「カヒ(匙)」に対して
   俗語的に常用されていた「サジ」が、ふさわしい漢字表記を
   獲得したのが、「茶匙」であるという可能性もある。

 サジの用例が茶の湯の普及以後に出て来るのであれば(1)の解釈で
何の問題もなかったのですがねぇ。『色葉字類抄』には以下のように
あります。引用は黒川本『色葉字類抄』から。

   匕 ビ サジ 音彼所以用取食 匙 同 茶匙 同(下38オ)

なるほど、確かにサジは食事に使う道具であると記してありますな。
しかも、「匙」も「茶匙」も区別なくサジと読んでいたようです。

94 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 20:42 ID:KGKHyZHI
(続き)
 ちなみに、カヒ(匙)の方は上代に確例(平城宮址出土木簡)があり
ます。語源については、貝の殻を利用したためか、或いは形状の
類似に基づくものか明らかではありませんが、カヒ(貝)からカヒ(匙)
という言葉が生まれたことはまず間違いありません。ついでですから、
『日国大・第2版』の語誌も記しておきます。

   (1)諸寺の資財帳や正倉院に伝存する物によれば、素材としては
   金、銀、銅、佐波理、貝殻等があり、形状は木葉形、円形浅形、
   円形深形、貝殻形、寸法も10センチ前後から30センチ以上の
   ものまであって、個人が口に運ぶスプーンから、個々の器に注ぎ
   盛る汁杓子までを含めて称した。
   (2)一方、「杓子」の語も奈良時代から見え、厨房に備えて桶から
   水を飲む用具の名称として用いられている。
   (3)挙例の「色葉字類抄」のように、カヒというとイヒガヒを指すように
   なって、薬や茶をすくうものは「サジ」、汁を注いだり水を汲んだり
   するのは「杓子」というように、機能による区別が行なわれるように
   なっていった。

 ふ〜む。こうして見ると、「茶匙」という器具がいつ頃日本に登場した
かが鍵となるようですね。茶の湯が盛んになるのは鎌倉時代になって
からですが、茶そのものは奈良時代の段階で日本に入ってきていた
ようで、天平元年(729)に聖武天皇が百僧に茶を賜ったという記録が
残っています。「茶匙」も多分その時に入って来たのでしょうね。日本
での茶の栽培は815年に始まるようですが、当時のお茶は団茶と
呼ばれる茶葉を塊状に固めた茶でして、せいぜい儀式用として使う
くらいであまり普及はしなかったようです。茶の栽培自身も遣唐使の
廃絶以降は絶え、鎌倉時代に栄西が宋の抹茶法と茶の種を新たに
持ち帰るまで喫茶の風習は中断状態だったようです。そんな茶の
道具である茶匙が平安時代に匙の右代表となるほど普及していた
とはちょっと考えにくいのですが、「茶匙=サジ」説以外にこれと言って
妙案も浮かびませんしねぇ。う〜ん、困った困った。

95 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 21:04 ID:KGKHyZHI
>>90 遺伝子屋 さん
>神奈川の大磯が古代朝鮮語の「いらっしゃい」に相当すると彼が主張した、
>「ワッソ」由来

 金達寿はそんな説を唱えていたのですか。地名語源説は数あれど、それは
最低の部類に属するひでぇ説だと思いますよ。本当にワッソが語源なら、
いかに民族偏差値(藁)の低くて耳の悪い倭人でも、当然「和蘇」とかに
音写したでしょうにね。

 冗談はともかく、「大磯」という地名は正倉院文書にも見えますから、
少なくとも奈良時代の頃から存する由緒正しい地名であることがわかり
ます。金達寿には、新羅語でも高句麗語でも百済語でもいいから、8世紀
以前に「ワッソ」なる言い方が半島に存したことをおまえは証明できるのかと
小半万年問い詰めたいですね。大体、1200年以上も前のことを現代の
朝鮮語で説明しようというのが大間違いです。日本語だって奈良時代の
頃と現代とでは音韻・文法それぞれ相違点が数え切れないくらいたくさん
あるのですから、朝鮮語だって当然同じくらいは違っているはずだとなぜ
思い至ることができないのでしょうか。やれやれ。

96 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 22:30 ID:KGKHyZHI
 ちょっと話は変わりますが、しばしの脱線をお許し下さい。

http://www.amitaj.or.jp/~kenji/home19.htm
>平成元年、突然日本語の研究を始めた。そのきっかけはある新聞記事だ。
>その記事には「自衛官学者、日本語50音の意味を発見」とあった。
>私はただちにノートを取り出し自己流の50音義を考え始めた。答えを見る前に、
>まず自分で解答を出してみようと考えたからである。その自衛官の本はもちろん、
>言語関係の本は一切読まずに事を急いだ。私は人も知る「アマノジャク」なのだ。
>使った参考資料は広辞苑・古事記・万葉集・全国地名辞典・東三河ゼンリン
>住宅地図、これだけである。あらかた50音がまとまった頃、図書館へ行き、
>記事に出た本をはじめ、他の言語関係の書物を見たが、私と同じ意見のものは
>なかった。それじゃ何が正解なのか。結論はすぐに出た。「私が正解者」。

>ある日、まとめた50音を英和大辞典に当ててみると、予想通りの一致が見えた。
>その予想に至るまでの経過が以下の話である。

>日本語を隅から隅まで−先入観を去って−調べれば、かなりの事がわかる。
>だが、実際にそれをやった人はどうもいないらしい。素朴な日本人の質問を
>書き出してみよう。

>1.なぜ「てふてふ」「何々でせう」「くヮじ」「ゑ」「ゐ」「を」と書くのか。
>2.なぜ全国に同じ地名が沢山あるのか。例えば「いなば」「うら」「うえた」
>「いっしき」「いちば」「やよい」「とよおか」「さくら」「うめだ」「かも」など。
>3.なぜ「まくら言葉」などという分類があるのか。誰が分類したのか。
>「たらちね」「あおによし」とは何の事か。
>4.「方言」とは何か。奥三河の方言「ちゃっと」とは何か。
>5.次の日本語は、ほんとに音を表現した言葉なのか。「さめざめと泣く」
>「ごろっと寝る」「おろおろする」「シャキッとする」「まざまざと見る」
>「雨がしとしと」

>あらかた50音がまとまったと書いたが、それはこの1−5を大まじめに
>考えたからである。というのは後からのこじつけであり、実際にはビールを
>飲みながら思い付くままにヒネリ出したものだ。さいわい私は人も知る雑学の
>大家である。発想は際限なく湧き出て来た。天から降ってきたといってもよい。


97 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/01/31(木) 22:36 ID:KGKHyZHI
 長々と引用しましたが、この文章は前々スレで海底少年さんが紹介された
ある日本人言語学デムパのHPからコピペした文章です。所謂トンデモ系の
人々の主張に共通する特徴がてんこもりですので、デムパの心性を知るには
打って付けです。デムパに感染しないためにも、デムパを知ることは必要
ですからね。

 まずこの方、研究方法から何からすべて自己流で通していますね。この
行為、何となく天才じみていていかにもかっこよさそうに見えますが、本来
学問を学ぶということは大変な忍耐と努力を必要とします。それをしようと
しないということは、所詮この人にはまともに学ぶ意志も能力(知能・資質)
もないってことを白状しているようなものです。往々にしてこの種の人々は
過去に天才と言われた人々がいかに努力を積み重ねてきたかという事実を
ご存知ない、乃至は軽視しているんですよね。あのモーツァルトだって幼児の
頃から親に厳しく仕込まれ、音楽の勉強に人一倍時間を費やし、長じてからも
ハイドンなどの秀れた先輩の音楽を謙虚に学ぶことを忘れない人間でした。
決して楽をして天才になったわけではないのです。

 次に、「アマノジャク」「さいわい私は人も知る雑学の大家である」などの言い方
から、この方は一見相当な自信家のようにも見えますが、私に言わせてもらえば、
自説に関してただの一度でも他者の批判に堪え得た経験がこの人にあるとは
とても思えませんな。逆もまた真なりで、自説の批判もできない人物に他者の
学説を正当に批判することなんて到底出来っこありません。大体、学問というのは
現在〜過去を通じて最も多くの批判に堪えることの出来た学説の積み重ねです。
こう言っちゃあ何ですが、学者気取りのデムパ風情が片手間に手を出して牙城を
崩せるほど甘っちょろいものではないのです。

 それにしても、「私が正解者」ですか(失笑)。結論がすぐ出たと言うから、
「〜は〜だから正しい」「〜は〜だから間違い」というような記述があるのかと
思いきや、その後の文章をいくら読んでもなぜこの人の説が正解で他の人の
説が不正解なのか、ち〜っともわかりませんや。論理もへったくれもなく、
自説を滔々と垂れ流すだけです。こんなやり方を半万回繰り返そうが、何一つ
証明出来はしないものを。私にはこの人が木の枝で海を埋め立てようとして
いる哀れな小鳥のように見えて仕方がありません。

 少々言葉が過激になってしまいましたが、「他山の石、以て玉を攻(をさ)むべし」。
勿論私も気を付けますが、皆さん方もどうかお気を付け遊ばせ。

98 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/02/01(金) 02:46 ID:B0v5javU
そんな金達寿の造語、「渡来人」は、一般に使用されています。
当初は「律令も戸籍もないうちは国家ではない。7世紀末から『帰化人』の語を用いるのはいいと思う」
と言っていたのが、「来日の形態が一様でない。本人の意思とは限らぬ」
「中華思想的な響きを嫌う(でも、南蛮貿易はそのまま)」
という風に変化したりする。
前者の説はいつの間にか「消滅」し、後者の説のみが残されている。
都合が悪いことでもあったのでしょう。
でも、図書館には『古代文化と帰化人』という著書が残っているんだよね。

政権の保護を受けたいなら、「帰化」しないとダメだよ。「渡来」ではね。

99 名前:のなめ ◆DeMPa1.Q 投稿日:2002/02/01(金) 09:37 ID:UGvtUYcc
李鐘徹氏は「渡倭人」(『万葉と郷歌』)、金正柱氏は「韓来者」「渡来者」(『韓来文化の後栄』)を用いる。
金達寿同様、「教えてやったニダ」という意識がある。

「帰化人」の語に「差別を促進した」という批判もあるが(『帰化人』上田正昭)、
そういうことなら、なおさら「渡来人」は勘弁して欲しいですな。

100 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/02/01(金) 21:49 ID:w6JVjXFg
『日本の中の朝鮮文化』巻二(学術文庫版)のP172-173を見て、頭が痛くなった。
どうも、朝鮮半島から(?!)「呉織」が伝来しないことには、我々日本人は裸であったらしい。

問題の箇所は「フィクションを見破れ」と称して日本人学者を攻撃し、「呉は句麗が語源」とする。
「呉という国が存在したのは、三世紀のことだ」からだそうだ。
だが、同じ『日本書紀』に「推古十七年夏(六〇九)、百済僧が呉から船で帰る途中に漂着した」という記事がある。
「呉は戦乱のさなかで、命令を果たせなかった」というが、陳は既に滅亡してしまっている。
どうも、「呉」は百済から船で行かねばならず、しかも戦乱状態にあることは現地に行かねば分からないほど、遠隔地にあるらしい。
とすると、「呉」は朝鮮ではなく、南朝と考えた方が良さそうだ。
なお、東晋は410年に南燕を滅ぼして山東半島を支配下に置いており、
金達寿がいうように「呉は波濤万里の彼方」ではなかった時期もある。
陳の時代になると、かなり圧迫されていたが。

101 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/02/01(金) 22:06 ID:.D9mg6Lg
タルス関連でもう一つ質問があります。
武蔵(むさし)の語源はどのようなものでしょうか?
タルスは朝鮮語系だといってたきがします。

102 名前: 投稿日:2002/02/02(土) 03:41 ID:k9xtmfwA
むさ → むさかみ、むさしも → さがみ、むさし
と、聞いたことがあります。

103 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/02/02(土) 09:38 ID:MSVALJhQ
>>102
そのムサもタルスが飛びつきそうですなあ。

104 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/02/02(土) 10:45 ID:BzyMV1Pw
金達寿の述べる語源
・苧(からむし)の種子=古代朝鮮語モシシ
・主城=サネサシ

達寿の本を見ると、帰化人が多く配置され、関東武士団に発展したかのような印象を受ける。
というか、書いてある。サウラビの先駆けですな。

彼が古代氏族の高麗氏・(鎌倉時代以降の)武士団の高麗氏を混同していることついては、既に書いただろうか。
系図を見れば、全くの別物である。

105 名前:のなめ ◆NIDA98yo 投稿日:2002/02/02(土) 13:09 ID:rTcZPZcM
訂正。
混同していないね、彼は。
「関東武士団は高麗氏から輩出した者が多い」と書いている。

106 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/02(土) 19:08 ID:.Qu4jOhQ
>>101 竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
 後期試験の採点で忙しかったものですから、レスが遅れました。
実はまだ終わってないんですけど、息抜き代わりってことで(^^;。

 総じて地名の語源は厄介なんですよ。由来がはっきりしている方が
珍しいくらいなんです。ムサシ(武蔵)の語源も同様でして、過去様々な
説が提示されていますが、未だにこれというものはなく、現状では不明
と言わざるを得ません。参考までに、以下に主な語源説を挙げておき
ます。引用は角川書店刊『古代地名大辞典』と『日国大・第2版』から。

@武蔵は関東武人の蔵の意。日本武尊が秩父嶺に武具を蔵めたことに
 よるの意(諸国名義考)
A武蔵・相模はともに「牟佐」の国で、相模は「牟佐上」のムを略した
 もの、武蔵は「牟佐下」のモを略したものとする。「牟佐」の意義
 不明(古事記伝)
B「御坂上」が相模、「御坂下」を武蔵とする(国号考)
C駿河・武蔵・相模の地を弟橘比売命の歌から「佐斯」を総称とする
 とし、それが2つに分かれ、「佐斯上」のシを省き相模、武蔵は
 「身佐斯」で、身は中に主のある処、佐斯国の真原を指す意(古事記伝)
D「むさし」は「むねさし(胸刺)」の転じたもの(倭訓栞)
E武蔵野に茅・茨多く行人の身を刺すので「身刺」という(郡名同唱考)
F武蔵野の「むさくろし」という土俗語より出るという(田中頼庸)
G「ムサ」は俘囚を呼ぶ古語で、俘囚を置いたところからその国を
 上・下に分け「ムサ下」から出る意(類従名物考)
H城の古訓「佐之」より、古来馬を出していた武蔵から「馬城」の義
 とする(栗田寛)
I「牟佐志美」の略で「牟佐」は草、「志美」は繁で、草木繁り禽獣
 の住む所の意(武蔵志料)
J武蔵は隣国6国に境を差合っているので「六差」とする(同上)
K「さし」は道路で、この国は諸州の人の海道であるから「六さし」
 とする(温故随筆)
L上総・下総・安房など武蔵・相模も古くは「総」の国と呼び、
 「ふさしも」から転じたとする(陸路記)
M静かな傾斜に白波の寄せる所の意のアイヌ語Mu-sashiから
 (アイヌ語より見たる日本地名研究=バチェラー)

107 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/02(土) 19:11 ID:.Qu4jOhQ
(続き)
 以下、簡単に解説をば。

 @は漢字表記の「武蔵」から語源を説明しようとしたものですが、
武蔵は古くは「ムザシ(无邪志)」と呼ばれており、それに合わせて
「武蔵」という漢字表記が選ばれたに過ぎませんので、まったく信ずる
に足りません。

 AGはなるほどうまく考えたもんだと感心はしますが、そもそも
ムサなる古語の存在が甚だ疑わしい上に、カミ(上)・シモ(下)で国を
分けて呼ぶなら、同じ関東の上野(カムツケ)・下野(シモツケ)のように、
むしろ「カミムサ」「シモムサ」と呼ぶのがより自然だと思われます。

 Lは「ふさしも」がムサシになるためにはモの脱落に加えて語頭の
フの濁音化が必要(b→mの変化は日本語に例が多い)ですが、語頭濁音
は日本語の古来甚だ嫌うところのもの(>>91参照)です。語頭濁音が
許容されるようになるのは平安も後期になってからのことですからね。
奈良時代以前にブザシのような語形が一時的にでも存在し得たとは
考えにくいのです。

 Mは、比定されているアイヌ語に疑いがあります。知里真志保氏の
『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版センター)によれば、「静か」は
muではなくmoですし、「傾斜地」saというのはsan(坂)のこと
のようです。残ったshiはsir(水際の険しい山。断崖)でしょうか。
「静かな傾斜地の断崖」って、何やそれと言いたくもなりますが、仮に
百歩譲ってそれを認めたとしても、出来るのはmo-san-sirという
語形ですから、日本語化すればムザシではなくモサジになりそうですね。

 残りは箸にも棒にも引っ掛からぬ説でしょうから解説は省きます。
う〜ん。結構時間が掛かってしまいましたね。しかも、全然息抜きに
なってなかったりして(^^;。おっと、こんなことしてられないや。
早く採点を済ませねば φ(..;)アセアセ。

108 名前:棄て ◆L7Vooglk 投稿日:2002/02/02(土) 20:55 ID:mlKOsBGI
雑談ですが。
娜々志娑无先生が、こちらにプライベートな講義をお持ちなのを。
学生達はご存じですか?
って、隠されているでしょうけど。
もしかしたら、察している方がおられるのではないかと思いますが。
にひひ。

109 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/02(土) 21:42 ID:.Qu4jOhQ
>>108 棄て ◆L7Vooglk さん
 ん〜、どうなんでしょうねぇ。私が総督府やハン板でコテハンとして
活動していることは、学生はもちろん、友人達にも秘密にしています
ので、多分大丈夫だとは思いますが、「天網恢恢疎にして漏らさず」
と申しますからねぇ。実はとっくの昔にバレバレだったりして(^^;。

 それより私としては、母校の恩師や先輩方にばれることの方が
恐ろしいっス。「こんなところで遊んでいる暇があるなら、論文の
1本でも書けや、ゴルァ!」て怒られること必定ですから…。実際、
言い訳できませんですし(^^;。

         ヾ コメツキバッタ
      (´Д`;)、   ス、スミマセン。ハン板ニハモウ二度ト
        ノノZ乙  足ヲ踏ミ入レマセンカラ・・・

 多分こうなります(;_;)。

110 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/02(土) 22:21 ID:.Qu4jOhQ
>>107
 修正ニダ。

「カミムサ」「シモムサ」と呼ぶのがより自然
           ↓
「カムムサ」「シモムサ」と呼ぶのがより自然

 類例としては上総(カヅサ)・下総(シモフサ)の例も挙げておく
べきでしたね。ちなみにカヅサは

  カムツフサー@→カムヅウサーA→カヅサ

@フ→ウ…ハ行転呼
  ツ→ヅ…直前のム(鼻音)による濁音化
Aウの消滅…直前のヅの母音uと同化
  ムの消滅…ヅの入り渡り鼻音と同化

と変化して出来た語です。Aの入り渡り鼻音は語中に濁音が現われる
時にその直前に加わる鼻音のことで、現在でも東北方言や高知方言に

  ma~da(まンだ)、ma~dzu(まンず)

のように見られます。入り渡り鼻音は中央語でも江戸初期まではあった
ようで、キリシタン資料である『ロドリゲス大文典』(1604〜8年)に、

  D、Dz、Gの前のあらゆる母音は、常に半分の鼻音かソンソネーテ*を
伴っているように発音される。即ち、鼻の中で作られて幾分か鼻音の性質
を持っている発音なのである。

*ソンソネーテ…皮肉な言い方などにおける鼻にかかるような抑揚のある発音

と記述されています。当時の京都ではガ行音とダ行音の直前には常に
入り渡りの鼻音が現われていたことがよくわかりますね。

 そうそう。カムツフサやシモツケ、カムツケなどに含まれるツですが、
これは上代の連体格助詞でして、「〜ノ」という意味を表わします。
そう言う意味では、カムムサもカムツムサ(カムヅムサ)となっても
おかしくありません。尤も、これじゃあ武蔵というよりも上総の方に近く
なっちゃいますけどね。

111 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/02(土) 23:54 ID:uBf5AoZY
埼玉県の高麗神社ですが、すこし前にテレビで紹介されていたのを見たことがあります。
宮司は高麗(こま)さんという気のいい爺さまでした。
「ウチは高麗王若光の血筋を引いているというんだが、系図が焼けてしまったので
本当のところはよくわからん、ハハハ」と仰ってました。

ちなみに神社に奉納されていた絵馬はハングルで書かれたものが多かった(藁
高麗[高句麗]はニダーさん方とはほとんど関係ないでしょうに。
てゆうか、高句麗の人々はハングル読めないと思う・・・

スレとは関係ないのでさげますです。

112 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/03(日) 02:37 ID:xnhSfOLo
>娜々志娑无せんせ

門外漢ゆえ、せんせのレスの価値がイマイチ判らないんですが、
知識面について、せんせと同レベルのレスをこなせる人間(というか研究者)って、
日本に(あるいは世界に)何人くらい存在しているものなんでしょうか?


113 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/03(日) 03:36 ID:IUhsRhBs
>>112
 ん〜。そうですね。私の本当の専門クラスだと、全国でウン十人
かも知れませんが、そこまで濃い話はしてませんし、ま、このスレ
で私がしている程度のレスなら、可能な人は全国に軽く二、三千人
はいるんじゃないでしょうか。それこそ、その辺の大学院生でも、
手元にそれなりの資料さえあれば十分可能でしょうからねぇ。
とにかく、そんな大層なもんじゃないのですから、その程度のもの
と思って適当に読み流して下さって結構ですよん。

114 名前:112 投稿日:2002/02/03(日) 04:12 ID:HQyfJ4XA
こんな夜中に即レスどうもです。

>ま、このスレで私がしている程度のレスなら、
>可能な人は全国に軽く二、三千人はいるんじゃないでしょうか。

「日本は大丈夫、デムパには屈しないぞーヽ(´ー`)ノ」って思えて、
なんだか嬉しくなっちゃいました。(w

115 名前:ROM生徒 投稿日:2002/02/03(日) 06:03 ID:uSyWYfzM
>そこまで濃い話はしてませんし
!! 濃い話にもついていけるように努力しますので
御指導のほどよろしくお願いいたします。

116 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/02/03(日) 09:41 ID:9GuHdhNU
>>107
レスありがとうございます。


117 名前:白髪おじさん 投稿日:2002/02/03(日) 11:12 ID:vJYSvRW2
娜々志娑无先生

>ま、このスレで私がしている程度のレスなら、
>可能な人は全国に軽く二、三千人はいるんじゃないでしょうか

若い時、学者(理工系)になりたかったが、娜々志娑无先生のレスを読んでいると
つくづくならなくてよかった(無理だ)。


118 名前:海底少年 投稿日:2002/02/03(日) 15:01 ID:8GrRCMHA
娜々志先生、「アメノフチコマ」と「さじ」の解説ありがとうございました。
なるほど「カヒ」の方が古いのですな。彼の国との関係が薄まったような淡い喜びが…
レスが遅くなった上に申し訳ないのですが、好奇心がさらに湧いたので、もうひとつ…
「さじ」は「注す」の音が濁ったような気配は無いんでしょうか?
「むさし」についても大変勉強になりました。

>母校の恩師や先輩方にばれることの方が恐ろしいっス。
ところで、叱られてしまうってホントですか?せつないことでんな。
娜々志先生に教えてもらわなければ、俺は例の「てふてふ」の電波系HPさえ
「へえ、そうなのか」…と半分は信じてたかも知れませんし、デムパを嗅いでも
目からウロコが落ちることはない…と気がつくことも無かったでしょう。
識者の意見がありがたく歓迎されるのは、本家も同様だと思うのですが。
…というか、先生を叱る恩師や先輩方を「ミイラ取りのミイラ」にきぼんぬ!なんつって。

>>100 のなめさん、たるす君は朝鮮半島に「呉織」なるものがあったとか書いてるんですか?
>どうも、朝鮮半島から(?!)「呉織」が伝来しないことには、我々日本人は裸であったらしい。

119 名前:棄て ◆L7Vooglk 投稿日:2002/02/04(月) 17:34 ID:jrelQXm6
娜々志娑无先生。
2〜3千人もおられるかもしれませんが。
ネットでは、そうそうお見かけできません。御身大切に。

※只で講義を受けられて嬉しい限り。

120 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/04(月) 20:15 ID:onac9bRs
>>115 ROM生徒 さん
 ここで言う「濃い話」とは、私個人の研究内容に直接関わるような
話という意味です。さすがにこれは企業秘密ですから(藁。


>>117 白髪おじさん
 国語学(日本語学)は長い伝統のある学問分野なので、文化人類学とか
国際交流論のような新しい学問分野に比し、研究者の数が桁違いに多いん
ですよ。それに裾野の広さというのもあります。何せ小学校から高校まで
国語という必修教科がありますからね。国語教師はみな一度は国語学を
専門的に学んでいるはず(教免の必修科目)ですから、自然、関心を持って
いる人も多いのです。

121 名前:白髪おじさん 投稿日:2002/02/04(月) 20:47 ID:x/F.sgVM
娜々志娑无先生。

いえいえ、先生の知識には圧倒されています。
この知識の上に、創造性が必要なのですね。

またROMに戻ります。

122 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/04(月) 21:29 ID:onac9bRs
>>118 海底少年 さん
>「さじ」は「注す」の音が濁ったような気配は無いんでしょうか?

 ん〜。「注す」は「刺す」「差す」「指す」「射す」など一連の動詞と同語源
ですが、寡聞ながらその活用語尾が濁ったという例は聞いたことがありま
せん。その説はまず無理でしょうね。

 それより、サジの語源が「茶匙」だとすると、「茶」をサと読んだという
ことになりますが、サは唐宋音ですから、平安中期以前には遡れません。
それ以前に「茶匙」なるものが日本に入って来ていたとしても、それは
呉音または漢音によりチャジ乃至タシと読まれていたはずです。「茶匙」
なる道具がいつ日本にやってきたかはわかりませんが、それがサジと
呼ばれるようになったのは少なくとも平安中期以降のことでなくては
なりません。しかし、もうその頃には喫茶の風習は絶えていた(入唐僧が
個人的に持ち帰ったものを飲むということはあったかも知れませんが)
わけですから、「茶匙」が当時存在したとしても、既に本来の用途では
ほとんど使いようがなかったはずです。そんな状況で、「茶匙」が匙の
右代表になるというのは不自然ではないでしょうか。

 かと言って、「茶匙」が匙の右代表になっていることを重視して、「茶匙」
は早々に茶道具としての役割から離れ、食事の道具として確固たる地位
を既に獲得していたのだとすると、「茶碗」(平安初期に確例あり)が
現在サワンではなくチャワンという名称で定着しているように、「茶匙」も
当然上述したチャジかタシという名称で定着していたはずです。もはや
そこにサジなどという新しい呼び名が入り込む余地はまったくなかった
でしょう。

 思うに、「茶匙」という道具が日本に初めてお目見えしたのは唐宋音
が宋の文物とともに盛んに日本にやってくるようになった平安中期以降
のことなのではないでしょうか。「茶匙」は当初は中国の新しい文物として
唐宋音のサジとともに日本にもたらされたものの、既に日本では喫茶の
風習が絶えていたため、本来の用途である茶道具としてではなく食事の
道具として転用され、今に至った、と。「茶匙」という道具も漢語も平安
中期以前の日本には存在しないことが確実なら、上記のような解釈で
うまく説明できそうなんですが、どうなんでしょうねぇ。

 ちなみに、東大資料編纂所のデータベースで「茶匙」を検索してみました
が、1件も引っ掛かりませんでした。少なくとも平安時代の古文書類には
「茶匙」という語の使用例はないようですね。

123 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/04(月) 22:52 ID:n2yr.BTc
前の前の代のスレで奈良の語源ウリナラ説が出ていたけど、それを否定する文
章を見つけました。以前も出てきた左巻きの私立高校国語教師のページです。
娜々志先生の仰る通り、言語系はそんなに電波を発していないと思います。

朝鮮語の「ナラ(国)」については、訓民正音(今日のハングル)創製時に、
nara ではなくnarahと表記されていたという問題もある。日本の室町時代にあ
たる15世紀にもなって末尾のH音が残っているということは、さらに古くはK
音であり、古く朝鮮語の「ナラ」を取り入れたならば、「ナラカ」というよう
な形になるはずだという指摘もある。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/timei.htm

昔は narah だったと言っているわけですが、一体どの文献に narah が載って
いるのか書いていないんで、裏を取れないでいます。検索しても全然出てこな
いんですよ。唯一引っかかったのがこれ。

http://www.uni-hamburg.de/koreanistik/verwesa.pdf
p.3 上方
nara < narah < *narak (Heimat-)Land, Staat

("*" は推定古形ですよね?) (ドイツ語です。ケンチャナヨ)
ということで、この話の追跡をお願いしたい。

124 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/04(月) 23:02 ID:onac9bRs
>>118 海底少年 さん
 「呉織」は「くれはとり」と読みます。古代に呉の国から渡って来た
綾織工の総称で、『古事記』と『日本書紀』にその来朝に関する記述が
あります。まず『古事記』から関係部分を引用すれば以下の通りです。

   亦百済の国主尚古王、牡馬壱疋・牝馬壱疋を阿知吉師に付けて
  貢上(たてまつ)りき。
             (中略)
  又手人(てひと)韓鍛(からかぬち)、名は卓素(たくそ)、亦呉服
  (くれはとり)の西素(さいそ)二人を貢上(たてまつ)りき。
                             (中巻・応神)

 これは『日本書紀』応神紀の、

   十四年の春二月に、百済の王、縫衣工女(きぬぬひをみな)を
  貢(たてまつ)る。真毛津と曰(い)ふ。是、今の来目衣縫(くめのきぬ
  ぬひ)の始祖(はじめのおや)なり。         (応神紀14年)

の記事と対応するものであると思われますが、こちらには「呉織」という
名称は出て来ません。代わりに応神37年・同41年条に、

   三十七年の春二月の戊午の朔に、阿知使主(おみ)・都加使主を
  呉に遣して、縫工女(きぬぬひめ)を求めしむ。爰に阿知使主等、
  高麗国に渡りて、呉に達(いた)らむと欲(おも)ふ。則ち高麗に
  至れども、更に道路を知らず。道を知る者を高麗に乞ふ。高麗の
  王、乃ち久礼波・久礼志、二人を副へて、導者とす。是に由りて、
  呉に通(いた)ること得たり。呉の王、是に工女(ぬひめ)兄媛(えひめ)
  ・弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)、四の
  婦女(をみな)を与ふ。               (応神紀37年)

   是の月に、阿知使主等、呉より筑紫に至る。時に胸形大神(むなかたの
  おほかみ)、工女等(ぬひめら)を乞はすこと有り。故(かれ)、兄媛を
  以て、胸形大神に奉る。是則ち、今筑紫國に在(はべ)る、御使君
  (みつかひのきみ)の祖(おや)なり。既にして其の三(みたり)の婦女
  (をみな)を率(ゐ)て、津國に至り、武庫(むこ)に及(いた)りて、
  天皇崩(かむあが)りましぬ。及(えまゐあ)はず。即ち大鷦鷯尊に
  獻(たてまつ)る。是の女人等(をみなども)の後は、今の呉衣縫(くれの
  きぬぬひ)・蚊屋衣縫(かやのきぬぬひ)、是なり。 (応神紀41年)

のように出てきます。記紀の記述が今一つ合致していませんが、応神
天皇の御代に女性の織工が来朝したという点では一致しています。
ところが、雄略紀にも呉織が来朝したという記事があるのです。

   十四年の春正月の丙寅の朔戊寅に、身狭(むさの)村主(すぐり)
  青等、呉国の使と共に、呉の献(たてまつ)れる手末(たなすゑ)の
  才伎(てひと)、漢織(あやはとり)・呉織及び衣縫(きぬぬひ)の
  兄媛・弟媛等を将(ゐ)て、住吉津に泊る。
   是の月に、呉の客の道を為(つく)りて、磯歯津(しはつの)路に
  通(かよは)す。呉坂と名(なづ)く。
   三月に、臣連(おみむらじ)に命(みことおほ)せて呉の使を迎ふ。
  即ち呉人を檜隈野(ひのくまのの)に安置(はべ)らしむ。因(よ)りて
  呉原と名く。衣縫の兄媛を以て、大三輪神に奉る。弟媛を以て
  漢衣縫部(あやのきぬぬひべ)とす。漢織・呉織の衣縫は、是飛鳥
  衣縫部・伊勢衣縫が先(おや)なり。       (雄略紀14年)

 これについて『国史大辞典』では、「同じ内容のものを分けて記した
か、あるいは前者は後者の記事の混入ではないか」と解説しています。
どうなんでしょうね。

125 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/04(月) 23:48 ID:onac9bRs
>>123 名無しさん
 朝鮮語の「国。土地」を意味するnaraと奈良との関係に
ついては前スレの

http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1004354476&st=163&to=165&nofirst=true

で扱っていますが、naraが中世語においてはnarah
であったことは、私もそこで言及しています。尤も、私の情報源
は李基文氏の『韓国語の歴史』(45頁)でして、そこにはその
根拠となる出典が記されておりませんので、韓国のどの文献の
どの記述によってnarahという語形が再構できるのかは
私にもわかりません。ただ、語末の-hは訓民正音が制定された
15世紀の段階では朝鮮語から失われていたようですから、
おそらくは前期中世語の資料である『鶏林類事』あたりでは
ないでしょうか。

 『鶏林類事』は宋の「奉使高麗国信書状官」であった孫穆が、
12世紀初頭(1103−4)に編纂した漢文資料です。この資料
は当時の朝鮮語(高麗語)を「花曰骨」のように漢字によって音訳
表記しており、これにより高麗では花のことを「骨(koc)」と
言ったことがわかります。おそらく「国曰那羅支(支はhの音訳字)」
とでも表記してあるのではないかと思いますが、私は同書を持って
おりませんので、何とも言えません。

126 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/04(月) 23:52 ID:n2yr.BTc
>>125
ありがとうございます。そしてすみません。
カタカナの「ナラ」で検索してたら抜け落ちてしまいました。

127 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/05(火) 00:10 ID:21R687/E
>>119 棄て ◆L7Vooglk さん
>御身大切に。

 有難うございます。こんな堅苦しい内容のスレにそれほどたくさん
ROMの方がおいでとは思えませんが、ぼちぼちやらせてもらいます。

 で、渡りに船、というわけではないのですが、皆さんにお知らせが
あります。私儀、明日より半月ほどこちらをお休みさせて頂きます。
と言うのは、今月15日までに論文を1本書かなくてはならなくなった
からです(>_<)。しかもその後3〜4日ほど出張(調査旅行)の予定が
入っているという鬼のようなスケジュールという…(;_;)。
そんなわけで、これまでのようにゆっくりと長文のレスを返せるように
なるのは19日以降ということになると思いますが、何卒悪しからず
ご了承下さいませ m(_"_)m。

 あ。短いレスで済むことでしたら、上記の期間(出張の期間を除く)で
あってもレスをさせて頂くかも知れません。多分1日に1度は気晴らしに
ここを覗くでしょうから。

128 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/05(火) 00:30 ID:mhsbIGHU
検索すること数十分、鶏林類事を見つけました。
画像です。計算機お得意の検索がきかないんですね。
でもそんなに長くないんでそれらしい文字を探してみます。
http://www.fortunecity.com/victorian/twain/1279/royalhouse/Korean/kelim.htm

129 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/05(火) 00:33 ID:mhsbIGHU
う、肝心な一言が抜けている。
どうも忙しいときにありがとうございました。
雰囲気的に疲れているのかなぁという気もしたんですが。

130 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/05(火) 01:26 ID:21R687/E
>>128 名無しさん
 私も見てみましたが、どうもそれらしいものはありませんでしたね。
『鶏林類事』でないとすると、『郷薬救急方』の方かも知れません。
この本は13世紀中頃に高麗で出版された医薬書ですが、薬材として
使用された約180種の植物、動物、鉱物等について漢字で音訳表記
しています。ただ、内容的にnaraは含まれていそうになかったので
さっきは挙げなかったのですが。この二者が前期中世語の代表格で、
あとはみな細々としたものばかりなんですよね。もしそちらの方だと
すると見つけるのはしんどそうです。明日図書館で朝鮮語辞典でも
見てみるとしますか。かなりでかいのがあるので。もしかすると、何か
参考になるようなことが書いてあるかも知れませんし。

 あ、そうそう。>>127で「支」を-hの音訳字と言いましたが、それは
『鶏林類事』の方ではなくて『郷薬救急方』の方でした。ごめんなさい。

131 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/06(水) 16:36 ID:P/Zq.XXE
>>123 名無しさん
 narahの件ですが、同僚の先生で『李朝語辞典』(延世大学校出版部刊。中期
朝鮮語の辞書としては唯一にして最も権威あるものだそうです)を持っている人が
いましたので、それを借りて調べて見ました。それによると、ハングルで記された
中期朝鮮語の文献(『法華経諺解』『月印釈譜』など)にnarahという語形が出て
来ることがわかりました。この語は単独ではnaraの形で現われますが、母音の
助詞(対格Λrや主格iなど)が下接すると、hの音が出て来てna ra hΛr(国を)、
na ra hi(国が)のような形になるようなのです。そこでnaraはかつては語末に-h
を伴っていたと推定されているということみたいですね。

 その後李基文氏の『韓国語の歴史』をもう一度読み直しましたら、後期中世語
の節でその辺のことがちゃんと記述されていることに気が付きました(恥)。誠に
お恥ずかしい次第であります。以下、該当箇所を引用します。

   中世語において名詞語幹の交替には、自動的なものと非自動的なものが
  あった。当時の正書法はこれらの交替を忠実に反映した。自動的交替は
  主として末音がs,ch,z,ph,thと子音群(rk,rpは除外)の場合に起ったが、
  音節末と母音間の子音に関する規則によったものであった。このようにして、
  koc(花)、pask(外)等は、子音で始まる語尾の前ではkos,pasに交替した。
  このような自動的交替を見せた語幹中にh末音をもったものがあった。例えば
  「石」を意味する名詞の単独形はtorであるが、曲用*はtor・hi(主格、石が)、
  tor・hai(処格、石に)、tor・hΛr(対格、石を)、tor・hΛ・ro(造格、石によって)、
  tor・khwa(共同格、石と)等であった。この末音hは上で述べた音韻規則に
  従って現われもし、全く現われないこともある。このような曲用は大変多くて、
  十五世紀文献に出るものを調査してみれば八十語を超える。例。narah(国)、
  stah(地)、hanΛrh(天)、kirh(道)、naih(川)、sinaih(渓)、kΛzΛr**(秋)、
  nazoh(夕)、uh(上)、tuih(後)、anh(内)、moih(山)、mΛih(野)、t†r†h(野)、
  torh(梁ハシ)、chrΛh(源)、stΛrh(源)、mazΛrh(村)、pt†rh(庭)、suh(薮)、
  umh(窟)、kΛnΛrh(陰)、moh(角カド)、kΛorh(州)、sy∂urh(京ミヤコ)、
  y∂r∂h(諸モロモロの)、mah(薯)、nΛmΛrh(菜)、mirh(小麦)、coh(粟)、
  arh(卵)、koh(鼻)、nimah(額)、pΛrh(臂)、sΛrh(肌)、amh(雌)、suh(雄)、
  ty∂h(笛)、n∂rh(刃、経タテイト)、marh([木厥]クイ)、syoh(俗人)、kinh(纓ヒモ)、
  noh(縄)等。これらh末音語幹は十五世紀に一部動揺していた。たとえば
  代表的な例としてha・nΛr・hi(天が)、ha・nΛr・khwa(天と)等の曲用語幹
  ha・nΛrhと、ha・nΛ・ri、ha・nΛr・'wa等の曲用語幹ha・nΛrとは数的には
  等しく、この他にも上に挙げた名詞が曲用においてhをもたなかった例を見る
  ことができる。例。kΛ・zΛr・'wa(杜初・八ー五九、秋と)、kir・ro(杜初・二二
  ー三〇、道によって)等。この末音hは後に消失したが、この消失は近代に
  入ってからのことであった。十六世紀末までの文献には、表記上十五世紀
  中葉とこの点においては別に変化が見られなかった。      (同書173頁)

*曲用…格・数・性・人称の違いによって起こる名詞(代名詞・形容詞)の語形
      変化をいう。
**kΛzΛrh…kΛzΛrhの誤りか。

 15世紀中葉の段階で名詞の語末のhに動揺が見られ、その後消失したと
いうことは、古く遡れば遡るほど語末のhは確固たる位置を占めていたとで
あろうと思われます。ただ、語末のhは発音上非常に不安定な存在ですので、
より古い段階では-hは-kのような形であったと想像されます。narahで言えば
narakのような語形ですね。或いは母音を伴って、例えばnarahiのような語形
であったという可能性もあるかも知れません。

 以上です。私のいいかげんな誤情報のために、名無しさんには要らざる検索
の労を取らせてしまい、誠に申し訳ありませんでした m(_"_)m。

132 名前:海底少年 投稿日:2002/02/06(水) 19:44 ID:mLPZH3wk
娜々志先生、「さじ」の追加解説ありがとうございました。
またもや、レスが遅くなって申し訳ありません。

>「茶匙」は当初は中国の新しい文物として唐宋音のサジとともに日本に
>もたらされたものの、既に日本では喫茶の風習が絶えていたため、本来の
>用途である茶道具としてではなく食事の道具として転用され、今に至った、と。
さすがは先生、考察が深い。勉強になります。

「サジ」の起源が中国なら、日本に伝来したのが半島経由であろうとも、
デムパには利用しにくいはずですが「朝鮮刀」というモノまで作ってしまう
人たちに対して…俺も…素人の無駄な思索にふけって、頭痛してきましたっス…。
天皇家では、いつから使われていたのか…それはカヒか、サジか、とか…
朝鮮半島での呼び方や使い方、普及した時期…とか…資料も無し、アタマ痛。

「くれはとり」の解説もありがとうございました。
>あるいは前者は後者の記事の混入ではないか」と解説しています。
調べてみましたら…記述された年代には180年以上も開きがあるのですな。む〜
● 270年 応神元年 応神天皇即位「日本書記」
● 456年 安康3年 雄略天皇即位「日本書記」
倭人と呼ばれる裸族に、着衣の習慣が広まったのは果たして?…(苦藁

ところで、娜々志先生…論文と出張は大丈夫でっか…
先生は、このスレの第一弾から大黒柱でエースですから、もちろん不在は痛いっ!
けど、本業をおろそかになさると→恩師や先輩方に発覚→ハン板禁止…は堪忍や。

133 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/06(水) 22:31 ID:8DrtecwY
>>131
どうもありがとうございます。単独では nara の形で使われていましたか。そ
れ以前の形は推定なんですね。では narah 以前の形が narak と推定されると
いうだけでは、奈良の語源でないと言い切れないようですね。

あと一言。ネット上で朝鮮の漢籍を探す時、韓国語サイトになければ、繁体字
サイトを探すといいみたいです。韓国のサイトより台湾や香港のサイトの方が
朝鮮の古典を揃えています(藁

論文頑張ってください。

134 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/07(木) 00:22 ID:n5l5qIKQ
百済の日本の古い読みが「くたらく」とあるのとなんか関係ありそう。。。





135 名前:海底少年 投稿日:2002/02/08(金) 19:22 ID:hjnSSaaI
娜々志先生がいないと、このスレは閑古鳥も餓死しかねない…。

先週の大河ドラマで、まつが利家のほっぺに「チュー」してた…
はたして、あの時代にそんな習慣があったものやら…
先生が帰ってきたら「接吻、くちづけ」とかの古い用例を訊こ。


136 名前:Zep 投稿日:2002/02/08(金) 21:20 ID:UP9W030Q
秀吉が名護屋城だかどこかからねねに出した手紙に、
「そなたの口を吸いたく」みたいな表現が書かれて
いる、というような話を聞いたことがあるよ。

137 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/08(金) 22:30 ID:K.7oZ0b6
>>135 海底少年 さん
 ちょっと息抜きに参りました。

 >>136でZepさんが指摘しておられるように、KISSに相当する最も古い
日本語は「くちすひ」です。『日国大・第2版』によれば、最古の用例は
『今昔物語』(1120年頃)ですね。用例は以下の通りです。

  女遂ニ病重ク成(ナリ)テ死(シニ)ヌ。其後(ソノノチ)、定基悲ビ心ニ
  不堪(タヘズ)シテ、久ク葬送(サウソウ)スル事无クシテ、抱(イダキ)テ
  臥(フシ)タリケルニ、日来(ヒゴロ)ヲ経(ヘタ)ルニ、口ヲ吸(スヒ)ケルニ、
  女ノ口ヨリ奇異(アサマシ)キ臭(クサ)キ香(カ)ノ出来(イデキ)タリケルニ、
  踈(ウト)ム心出来(イデキ)テ、泣々(ナクナ)ク葬(サウ)シテケリ。

 三河守大江定基という人物が、妻が病気で亡くなった後も、遺体を葬る気に
なれず、毎日遺体を抱いて寝ていたが、数日経って妻の口を吸ったところ、口
から臭い匂いがしてきたので、ようやく嫌気がさして妻の遺体を葬った、という
話です。

 また、『古本説話集』(1130年頃)にも同様の例があります。

   いまはむかし、いづみのくに、こくぶでらに、かねつき法師ありけり。かねつき
  ありきけるに、吉祥天のおはしましけるを、みたてまつるだに、思ひかけたて
  まつりて、かきだきたてまつり、ひきつみたてまつり、くちすうまねなどして、月
  ごろふる程に、

 和泉国の国分寺の鐘撞き坊主が、吉祥天の仏像に思いを懸けて、抱いたり接吻
したりしていたという話です。いずれの口吸いも愛情表現であることは間違いあり
ません。

 ちなみに、「くちづけ」は室町時代の頃からありますが、当初はKISSの意味は
なく、「口癖」の意味でした。KISSの意味が生まれたのは明治になってからの
ようです。また「接吻」は、『日国大・第2版』の語誌によれば、もともとは中国の
近代白話(口語)でしたが、『道訳法児馬(ドゥーフハルマ)』(1815年)において
オランダ語kusの訳語として使用されたのが最初のようです。その後、明治に
入ると、英語KISSの訳語として定着し、現代に至ったようですね。

138 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/08(金) 22:33 ID:eC/UwEnQ
>>136
それはねねじゃなくて、秀頼宛てだったと思う。

139 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/09(土) 14:40 ID:c1KTda2M
>>136 淀君宛では?

140 名前:海底少年 投稿日:2002/02/09(土) 16:55 ID:u3Gmq/EU
娜々志先生、「接吻、くちづけ」の解説ありがとうございました。
お忙しい時期の降臨、畏れ入ります。
なるほど、「くちすい」なる行為が存在してたのであれば
ほっぺに「チュー」も、あながち有り得ないことではないですな。
しかし、妻の死体に恋焦がれるってのはリアルで薄気味悪い話でんな。
小説や神話のフィクションですら、妙に引いてしまうというのに…
ヒースクリフ「うはっ…キャシー、くさっ!…埋め戻そうっ」
イザナギ 「うはっ…イザナミ、くっさ〜!…逃げ帰ろうっ」

秀吉の手紙については、見解が分かれてるみたいね。正解は誰だ?

141 名前:素人ニダ 投稿日:2002/02/10(日) 15:56 ID:g8YQ8aT2
江戸時代の俗語(?)で「呂の字」なんてあったような。
確かにそんな形だ。

142 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/12(火) 17:49 ID:AoYpNuM.
 論文、書き終わったニダ! マンセー!
出来はともかく、実質5日で論文1本は
ウリ的に新記録ニダヨ。いつもは2週間
くらいかかってたニダ。

 てなわけで、

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143 名前:海底少年 投稿日:2002/02/12(火) 20:45 ID:ZXh/Oldk
俺の…俺の、父親の家系は「ダ行」を「ラ行」で発音したりするッ。
つまり、こういうことだ…ジョジョ!
「江戸時代」は…「エロ地雷」に変換されるッ!
そしてッ!…どんな書き込みでも、スレッドは上げられるッ!
娜々志先生の出張は、誰にも止められないッ!

144 名前:海底少年 投稿日:2002/02/13(水) 15:00 ID:puwX617g
娜々志先生、出張へ行かれる前にひとつ質問してもいいですか?
「括(くく)る」という動詞ですが、俺の地元では「くぶる」と言います。
これは、方言的な訛りに過ぎないのでしょうか?それとも、まったく別の言葉
ですかね…「縊(くび)る」も「首(くび)」から派生した語彙のように
思えるのですが。発音だけなら「くくる」よりも「くぶる」の方が
「くび」に近いような気がするので、もしや古い言いまわしなのかな、と…
でも、「首を括(くく)る」とは聞きますが、わざわざ「首を縊(くび)る」
とは言わないでしょうから、やはり別の言葉なのでせうか?

愚問は、いっぱいしたいのですが、前科もいっぱいあるので慎重にナテマス。

145 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/13(水) 19:58 ID:j2wUeJM2
>>144 海底少年 さん
 ご想像通り、クビル(縊・括)の語源はクビ(首)でして、クビを動詞化した
ものがクビルです。クビルの当初の意味は「首を締めて殺す」でしたが、
平安中期以降に「強く握る」の意味が派生します。「紐で括る」の意味が
生まれたのはかなり新しく、江戸時代も後期になってからのことです。
この意味変化にはクビルの類義語であるククル(括)が関係していそう
です。ククルは奈良時代の頃から「ばらばらになったものを紐状のもの
でまとめる」という意味で使用されていました。ククルとクビルは音が
近いので、その影響を受けてクビルに「紐で括る」という意味が付加
されたものと思われます。

 尤も、クビルの原義である「首を締めて殺す」という意味も今なお
文語としては生きています(昔は「首をクビル」という言い方もあった)
から、そこからの類推ということもあったかも知れません。何せ首を
締めて殺すには紐状のものが必要ですからねぇ。手を使ったら絞殺
じゃなく扼殺になっちゃいますし。

 で、海底少年さんのお里の方言のクブルですが、これはククルが音変化
を起こしたのではなく、クビルがクブルと音変化したものと見るべきです。
第1音節がウ段であるのに引かれて第2音節もウ段化したもので、音変化
としては順行同化に分類されます。エビスサン(夷様)をエベッサンというの
と同じです。

 ちなみに、クビル系の動詞を「紐などでまとめて縛る。括る。結ぶ。」の
意味で使用している地域は多く、東は栃木から南は沖縄まで広がって
います。沖縄方言でもフブルンというクビル系の動詞を使っているところを
見ると、平安中期とかじゃなく、もっと早い段階でクビルという動詞には
「強く握る→紐で括る」という意味派生があったのかも知れませんね。

146 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/13(水) 20:41 ID:vTjxco6E
山口県の方言(もしくは西日本)でも紐で括ったり紐を結ぶ事を「きびる」といいますね。


147 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/13(水) 21:06 ID:j2wUeJM2
>>146 名無しさん
 キビルという方言形は中国(島根・広島・山口)、四国(愛媛)、そして
九州全域に広がっていますね。これもクビルが変化したものですが、
クブルとは反対に第1音節が第2音節の母音と同化していますから、
逆行同化ということになります。もとは同じクビルなのに、片やクブル、
片やキビルと音変化するというのも面白いですよね。

148 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/15(金) 16:15 ID:cY9SQFFQ
電波飛ばしていいですか?

古代国語は開音節語として <대(対)と마(馬)は가라(加羅)>を重複表記したこ
とだからこれは対馬島に三韓または高句麗人々が住んだから付けられた名前だ.
対馬は 三韓の <韓/가라>, 弁韓の <加羅>, 高麗とひとつである城邑または邑
里を意味する <加羅>を表記したのだ.
対馬島は日本では遮音と呼ぶようになったからテマシマ('シマ'は선島)の
'대' は <쓰이> または <'쓰'>に変わって(対句:スイク, 対連:スイランと一緒
に) 第2音節 '마' は語尾音節の '마' と重なるので省略されて '쓰시마' に
変わったのだ.
対馬島が古代にカラ国だったのは日本書紀 (神代編) にこの島を韓郷之島だと
一所で見られるし,
http://korea.hanmir.com/ktj.cgi?url=http://www.keukilcorea.com/board_view.asp%3ftname%3ddae_megr_board%26parm_seqno%3d38

149 名前:海底少年 投稿日:2002/02/16(土) 01:16 ID:63f5vIWk
娜々志先生、「くくる」の解説ありがとうございました。出張、お気をつけて。
最近、お里の方言が妙に気になるもので…お帰りになったら、また質問させて下さい。

>>148 こりゃ久しぶりに「キテ」ますな…しかし!先生は、お出かけ中。
俺にゃ撃破は無理ったいっ。…のなめさんなら詳しいかも。

>対馬島が古代にがラグックだったのは日本書紀(神代便)に李島をハンヒャングジも
>(韓郷之島)だと一所で見られるし, 古代対馬島出身の人名と から見られる.

…これは任那日本府についても認めるってことかいな?…感心、感心…えっ違うの?

150 名前:海底少年 投稿日:2002/02/16(土) 01:18 ID:63f5vIWk
>高麗・朝鮮時代の対馬島政策
>(1) 1085年(高麗禅宗2年) 「高麗史」によれば大麻逃走(対馬島主)は
>高麗時代ビョンバングネジスサングギョトングヨツング支管場責任者の
>"対馬島旧唐官(対馬島 勾堂管)"と称する.

のなめさん、前スレの書き込みを参考資料として、貼りつけさせてもらいますぜ。
資料的には↓こちらが古いのね。ヨッシャ!…古文献自尊心対決は日本の勝ち。

367 名前:のなめ=221 投稿日:2001/12/18(火)
大宰府が奏上している中に「日本に備えがない」と言っている。
『類従三代格』天長三年(826)十一月三日付太政官符によって、
九州の防備にあたる兵士が9000人→1920人に激減されております。
その構成員は「富饒遊手之児」。
一方で「田園帰来秬之夫、城府来弓馬之士」という通り、兵農分離の様相を見せた。
対馬の場合は島民320人を雇って武器を持たせ、警備に当たらせる
『日本紀略』承和二年三月十二日

357 名前:のなめ=221 投稿日:2001/12/18(火)
『日本三代実録』貞観十二年(870)二月二十日、大宰府に勅し、
新羅人潤清以下三十名および大宰府管内に居住していた新羅人を京都に
(食料と馬を与えて)護送。 以下にその経緯を記す。
この潤清というのは、先に豊前国の年貢を強奪した容疑で逮捕されたものであるが、
太政官は仁恩を加え、食料を与えて放還した。
しかし、彼らは「順風を得ず」として帰国せず。
そこへ、対馬島司が新羅消息日記及び漂着した新羅人七人を大宰府に送った。
大宰府は食料を与えて放却した。しかし、その新羅人は対馬島民一名を新羅に連行した。
彼が脱出して報告するには、「新羅は軍隊の訓練を激しくしています。」
あの七人は漂着を装った間諜で、日本の様相を探りに来たものらしい。
そういう連中に仁を与えて放還するのは良くない。先の新羅人三十人は、長く日本に住み、
防備が調っていないことを知っている。従来(大宰府の)管内に居住する新羅人は多いが、
これらは外面は帰化に似て内に逆謀を抱く。もし新羅の来侵あらば、必ず内応する。
天長元年(824)八月二十日格旨に準じ、新旧を論ぜず陸奥の空地に遷して、
その奸心を絶つべきである。朝廷は、大宰府の進言に従った。
同書同年六月十三日、筑前・肥前・壱岐・対馬に勅して警戒を強化させた。
八月二十八日には、対馬に弩師を設置(弩を使う軍隊でしょう)。

151 名前:海底少年 投稿日:2002/02/17(日) 21:36 ID:01r2JJuU
対馬検索で発見…この人物は、ハン板的にどうなんでしょうな…。
■崔益鉉(チェイギョン・1833〜1906)
http://www1.ocn.ne.jp/~kurose/rekishi_tanbou_5.htm
1905の乙巳保護条約締結に際しては、その売国性を高宗に上訴、
それも容れられないと全羅南道淳昌で義兵を起こすが逮捕され対馬に流された。
対馬では、当初、日本軍が提供する食べ物を拒み、4ヶ月後に73歳で生涯を終えた。
没後、厳原町の修善寺で通夜が営まれ、遺体が一時安置されたという。
同寺には、1986年に対馬の有志らによって「殉国之碑」が建立されている。
2001/8/27、金鐘泌・元韓国首相が対馬を訪問、厳原町の修善寺を訪れ、
崔益鉉の「殉国之碑」を参拝した。金鐘泌・元韓国首相は、碑に献花した後、
「日本に徹底的に抵抗された崔先生の碑を建て、偲んで戴き有り難い…」と述べた

152 名前:海底少年 投稿日:2002/02/17(日) 21:38 ID:01r2JJuU
対馬は狙われている…?日本人の島民も取り込まれつつある?
■対馬アリラン祭り…対馬・厳原町で8月5日、江戸時代の「朝鮮通信使」を再現
http://kyushu.yomiuri.co.jp/maturi/maturi42/42_ariran.htm
李氏王朝から派遣された外交使節団を対馬藩が江戸まで先導した当時を再現。
昭和53年、地元の有志が朝鮮通信使行列振興会を結成、以来年々盛大になっている。
韓国からの65人を含む約400人も参加した。主催の山本博己会長(39)いわく
「韓国の人に参加してもらってこそ意義がある。外交に関係なく真の付き合いを…」

■対馬の韓国人観光客が激増…共同通信の「コリア・ファイル」より。
http://www.kyodo.co.jp/is/column/koreafile/korea-0822.html
法務省によると、昨年一年間に対馬を訪れた韓国人は約八千二百人に上り、
一九九八年の約三十二倍に膨らんでいる。アリラン祭りの時期には、
釜山の聖心外国語大と韓国海洋大の学生計二十七人がホームステイ。
朝鮮が江戸幕府に送った友好使節団「朝鮮通信使」を再現した行列に参加した。
 厳原町の渕上清町長(64)は「受け入れ態勢が追いついていない。
韓国人に必要な短期滞在ビザが不要になれば観光客も増え、
インフラ整備に勢いがつく」とビザの廃止を訴える。

153 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/18(月) 11:20 ID:sAdwdZo.
対馬は津島、すなわち港のある島では?半島との間の寄港地で何の
問題もなく理解できるが。それとも対になった島かも知れないが。
かつて縄文海進の頃から弥生初期の頃は、2つの島に分断されてい
たから(これはちと苦しいか。)。

154 名前:のなめ 投稿日:2002/02/18(月) 19:42 ID:KJOf3SQE
>148
瞬殺してやる。
==
リンク先のページに、対馬朝鮮領地説の論拠として『対州編年略』を引用し、
「云対馬嶋者高麗国之収也。新羅住之。」
とある。
手元にある史料編纂所本(享保八年成立)では、
「収」が「牧」になっているように見えるが。

正しくは「『対州編年略』に引用されている『山家要略記』の記載」と書くべきである。
『山家要略記』は、後鳥羽院の頃の天台僧・顕真というものが書いた本である。
つまり、鎌倉時代の本だ。

『対州編年略』(または『本州編年略』)は、対馬の学者である藤定房が書いたもの。
対馬関連の記事だというので、件の本を引用したのだろう。

では、定房は前述の記事に同意しているのかというと、否である。
定房は、以下のような註を付けている。
「当州為異邦之属島者於本朝国史曾所不見也。」
つまり、「対馬が異国の領地になったという記事など、日本の歴史書では見たことがない。」
と言っているのだ。

これだけでいいだろう。
崔なんとかについては、『物語韓国人』を見よ。
リンク先の記事はデタラメである。

155 名前:海底少年 投稿日:2002/02/18(月) 21:09 ID:HoWwtads
おお…のなめさんが降臨!ありがたい、なるほどなっとく。

>>153
竹島を「独島」と呼ぶみたいに、対馬にも韓国での呼び名があったような…
いや…失念しちまったい…つうか、思い違いかしらん。
ちなみに「済州島」に日本風の呼び名を付けたら、彼の国は怒るかしらん。

-----------------------------------------------
「ツ」上代語で位置所在などを表わし、連体修飾語をつくる。
「〜の。」とか「〜にある。」という使い方で…うんぬん。
-----------------------------------------------
ところで…↑このへんは娜々志先生の受け売りなんですがね…。

朝鮮半島と日本列島の中間に位置する「なかのしま」みたいな意味で、
「なかつしま」が省略されて「つしま」ってのも可能性があるかも…。
…やっぱし娜々志先生の降臨も待ちどおしいですな。

156 名前:カミカゼ 投稿日:2002/02/18(月) 23:04 ID:ZO/aDonY
>>151
それ嘘ですよ。ハンガーストライキは1日で終わってます。
その後病死。
一緒だった弟子の日記にそう書いてあります。

ある日街に出ると、町民から、勝ち負けは時の運だから、気にせず頑張るように
と励まされたり、刑務官と仲良くなって色々もらったり、とほのぼのした4ヶ月間
をすごしていたようだ。
対馬が朝鮮びいきだったのではなく、当時は敵で在れ壮士を尊敬する風潮があったから
なのですよ。

157 名前:海底少年 投稿日:2002/02/20(水) 01:02 ID:hD5G00aw
>>156
なるほど、崔益鉉ってハン板的にも既出事項だったのね。
のなめさんもデタラメだと言ってるし。知らなかったんで
教えてくれて多謝、どこまで信じていいものやら判断に困ってたん。
それにしても、対馬に「記念碑」まで立てるとは…いかがなものか。

話は変わるけど、最近…本家が反日厨房工作員に荒らされているもよう。
住民が退屈してるのか、自制心を失ってか、煽りスレを放置できず
いちいち反応してるのは、いかがなものか…嘆かわしい光景でありんす。

158 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/20(水) 01:13 ID:9LvE10eY
>>157
デンパをまたーりと楽しむと称し、実はデンパを装うなりすまし君に
遊ばれている住人が増えただけでしょ(w

159 名前:海底少年 投稿日:2002/02/20(水) 01:32 ID:hD5G00aw
>>158
むーん…もし、それが真実なら…むしろ事態は、いっそう深刻な気がする。
初心者が入りにくい空気を、住民がみずから作り出してることになる。
ハン板の知識が世間に広まって、住民が勢力拡大することこそ
反日朝鮮人にとって、もっとも打撃が大きいはずだから…
新参者を歓迎すべきなのに、古参らしき名無しが冷たくあしらうのを何度か見た。


160 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/20(水) 02:06 ID:MuIjFRyo
 ども。昨日出張より戻って参りました。何せ出張先が東北だったものですから、
東北のうまい酒と食をたっぷり堪能して来ました。満足満足。

 それはさておき、私の留守中に新たなデムパ情報の報告があったようですね。

>古代国語は開音節語として <?(対)と?(馬)は??(加羅)>を重複表記したこ
>とだからこれは対馬島に三韓または高句麗人々が住んだから付けられた名前だ.
>対馬は 三韓の <韓/??>, 弁韓の <加羅>, 高麗とひとつである城邑または邑
>里を意味する <加羅>を表記したのだ.

 う〜ん。この辺は何を言いたいのかさっぱり理解出来ません。古代の朝鮮半島
の言語が開音節だったというのは初耳ですな。私の知る限りでは、高句麗語も
新羅語も百済語も閉音節の言語と推定されているはずですが。尤も、その中では
百済語は多少開音節の音節が多かったようです。李基文氏も「百済語は新羅語
とは違って語末母音を保存する傾向があるようである」(『韓国語の歴史』47頁)と
述べておりますしね。しかし、それより何より、むしろ古代の日本語の方がかつては
閉音節の言語であった可能性の方が高いので、開音節にこだわるのはよし子さん
にした方が賢明だと思うのですがねぇ。

>対馬島は日本では遮音と呼ぶようになったからテマシマ('シマ'は?島)の
>'?' は <??> または <'?'>に変わって(対句:スイク, 対連:スイランと一緒
>に) 第2音節 '?' は語尾音節の '?' と重なるので省略されて '???' に
>変わったのだ.

 前半の「遮音」とは何のことか理解出来ませんが、少なくともこの文章の書き
込み人は、対馬の古名は[temasima]であったが、後に[te]が[tsщi]乃至
[tsщ]に変化し、第2音節の[ma]は第4音節の[ma]の影響によって脱落した、
と主張しているということだけはわかりました。一言で言えば、このような音変化
はまず考えられません。まず前者について言えば、変化の方向が明らかに逆
です。[tsщi]が[tsщ]や[te]に変化するというならまだ理解出来るのですがね。
後者に一番近い音変化としては、重音脱落という現象があることはあります。
例えば、アタタカイがアッタカイとなり、ホトホトがホトンドとなる現象ですが、
見ての通り、これは同じ音節か、または同じ組み合わせの音節(群)が連続
して現われている場合に起きる現象です。音の組み合わせが異なる場合でも
重音脱落はまったく起こらないというわけではありませんが、稀なことである
ことは確かで、発生したとしてもそれは偶然のいたずらによって起きた、法則
化出来ない例外的な音変化と見なされるような存在です。

 「対馬」の語源については、地名だけにはっきりしたことはわからないので
すが、とりあえずは>>153で遺伝子屋さんが挙げておられる「津島」説が最も
有力だと思います。日本語のツ(津)には港という意味がありますから、港の
多い島、または朝鮮半島と日本とを結ぶ港の島という意味で命名されたという
のが妥当なところではないでしょうか。アクセント的にも、ツシマ(対馬)の現代
京都アクセントは低高低型、ツ(津)の平安京都アクセントは低低型(1音節語
は京都では2拍で発声される)で、ともに低起式で一致しますから、金田一法則
にも抵触しませんしね。

 >>155の海底少年さんの推測はちと無理かと。古代にツという連体修飾格の
助詞が存在したことは確かですが、AツBで音脱落が起きるとしたら、カハヅ
カヘルがカハヅ(蛙)となり、アキヅムシがアキヅ(蜻蛉)となったように、Aでは
なくBの方が落ちてAツという語形になるか、そうでなければ、ニハツトリが
ニハトリ(鶏)になったように、ツそのものが落ちてABという語形になることで
しょうね。ナカノシマ(中の島)が省略されてノシマという語形になるなんて状況
はちょっと想像しにくいでしょ?

161 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/20(水) 03:30 ID:9LvE10eY
>>159
そのとおりです。今のハン板は深刻です。しかし、今のハン版にはほとんど
有益な知識が無いのも確かです。
完全にスレちがいですが、北朝鮮悪の枢軸関連のスレを読んでいると、ある
意味平和ボケの集団かと感じます。半島が戦場になることは日本にとって死活
問題であるにもかかわらず、劇場化してますね(w 私としてはあれを平和ボケ
といわずに何を平和ボケというんだという気分ですが。

>>106
娜々志娑无先生、いつも楽しみに読んでます。


162 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/20(水) 18:14 ID:T/KvBtfc
>>160
ありがとうございます。
「古代国語は開音節語」という最初から電波を感じたんですが、
やっぱりそうですか。

対馬に関しては別の電波を退治している文章を見つけました。
しかし肝心の電波を発信源が見当たりません。
こんなの初めて。電波より電波退治を先に見つけるなんて。

何でも対馬は朝鮮語で「二つの島」だとのたまう方がいるそうです。
それに対して、朝鮮の古地図は対馬を一つの島として描いているし、
島が二つなったのは日露戦争の時運河を掘ったからで、
それ以前は一つの島だったから、「二つの島」のはずがないと反論しています。
ttp://koreaweb.ws/pipermail/koreanstudies_koreaweb.ws/1998-October/001038.html

163 名前:海底少年 投稿日:2002/02/20(水) 21:09 ID:Gl7oRZg6
娜々志先生、お帰りなさいまし。さぞ、寒かったでしょうな。
東北といえば、陸路の旅なら駅弁も有名らしいですね…ずずず。

対馬の解説、ありがとうございました。
またもや、俺は先走り汁を分泌してたのですな。

>>161
>今のハン版にはほとんど有益な知識が無いのも確かです。
韓国朝鮮関連の情報を得るための、初心者が訪れやすい雰囲気が欲すぃね。
比べたら…この総督府の方が、入りにくいのかもしれないけど。

>>162
>何でも対馬は朝鮮語で「二つの島」だとのたまう方がいるそうです。
ごっへーっ!こりゃまた…リンク先は英語?しかも長文ですな。むうー…

164 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/21(木) 10:58 ID:RMSfgP0.
>>162,163 153でも書きましたが縄文海進時代には2つの島に
なっていた可能性はあると思います。その後、海退していつ頃
1つの島となったのかは専門ではないので良く判りません。
しかし、その時代の正体もはっきりしない古代朝鮮語で解釈で
きるものか良く判りません。また、その二つの島の二つが漢語
の「対」由来だったら苦しいですね。


165 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/21(木) 18:03 ID:FqPFvS.s
はじめまして。
以前、娜々志娑无先生が韓国のサウラビ掲示板で奮闘してる時から
拝見させてもらってます。
私も「サウラビという言葉が転じてサムライになった」という説が
いかにデタラメな説かは、娜々志娑无先生のおかげで理解できました。
しかし、我々日本人がそうは思っていても、実際の韓国人、在日の方は
どう思っているのか不思議に思ったので、某サイトで在日の朝鮮語の
大学講師の方にこの件について質問してみました。以下がその回答です。
----------------------------------------------------------------
結論から先に申し上げると、日本語の「さむらい」と朝鮮語の「サウラビ」は、まったく関係が
ないと思われます。

 日本語の「さむらい」は、ご指摘のとおり「さぶらふ」から来ています。ちょっと古語辞典を
引いてみたら、「さぶらふ」は「守(も)る」の未然形に助動詞「ふ」がついた「もらふ」に
接頭辞の「さ」がついた「さもらふ」から転化したものとありますね。日本語ではm(マ行)と
b(バ行)の音韻交替が起きることがあるので(例えば「けむり」と「けぶり」)、「さぶらふ」と
なったのでしょう。「貴人の側に仕える」という意味ですから、「さむらい」は「貴人(主君)に
仕える人」ということになります。

 朝鮮語の「サウラビ(싸울 아비)」ですが、これは「サウダ(싸우다;戦う)」の連体形である
「サウル(싸울;戦う[であろう])」の後ろに「アビ(아비;父)」という名詞が来ている形で、
直訳すれば「戦う父」です。
 まず、意味的に見ても「貴人に仕える人」と「戦う父」では共通性がありません。しかし、
もっと重要なのは、2つの単語の音です。朝鮮語の「サウダ(戦う)」という動詞ですが、この
単語は中期朝鮮語(15世紀)においては「サホダ(사호다)」という形で、中にh音が入って
「ホ」となっていることに注目しましょう。したがって、「サウラビ」の古い形は
「サホラビ(사홀 아비)」ということになります。
 「サホラビ」の「ホ」は「さむらい」の「む」に当たるとする部分ですが、朝鮮語から
日本語への借用において、朝鮮語の「h(ㅎ)」音が日本語のm音(マ行)あるいはb音(バ行)で
取り入れられた例はまったくありません。朝鮮語の「h(ㅎ)」が日本語に借用されるときは、
可能性としてはk音(カ行)でしょう。したがって、もし「サホラビ(サウラビ)」が日本語に借用
されたとするならば、「サホラビ」の「ホ」がk音(カ行)で入って「さくらひ」のように
なっていなければなりません。よって、朝鮮語の「サウラビ」は日本語の「さむらい」の
語源ではありえないという結論になります。

 だれがそういう説を唱えているのか分かりませんが、「サウラビ」説は眉つばものと考えて
いいでしょう。


166 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/21(木) 21:52 ID:yo/6VUdY
>>165
 こちらこそ、はじめまして。「サウラビ掲示板か…、何もかも、皆懐かしい…。」
いや、冗談抜きで、随分昔のことのような気がしますわ。ほんの8ヶ月ほど前の
ことですのにね(w。

 さて、その朝鮮語の講師の方の回答内容ですが、ほぼ全面的に同意します。
恥ずかしながら、私がサウラビ掲示板に殴り込みを掛けていた時点では、ssaul
の中期朝鮮語の語形がsaholであったことは知りませんでした(^^;。もし知って
いたら、その辺を突いてもっと有利な戦いを展開することが出来たでしょうに…。
口惜しや口惜しや。

 ただ、ちょっと気になるのは、saholのhの部分です。日本語のハ行音は、
〔p→Φ→h〕という変遷を遂げたことがわかっていますが、この音変化は
唇音退化と言われるもので、特に前半のp→Φ(f)の変化は世界中の言語
においてしばしば観察される現象です。ということは、逆を辿れば朝鮮語の
hもかつてはΦ乃至pのような音であった可能性があるわけです。pやΦの
ような音は朝鮮語においては語頭で無声音(清音)、語中では有声音(濁音)
であるb乃至β(有声両唇摩擦音。アブナイのブの子音)の音を取るでしょう
から、三韓時代においてはsabolのような音であったという可能性も完全には
排除出来ないのです。もしそうであれば、日本語に借用されたsaborabiが、
b/m交替によりsamorapiとなったという可能性も考慮しなくてはならなく
なってしまうわけです。

 尤も、中期朝鮮語においてはhとβ、b(語頭ではp)がそれぞれ別箇の
音韻として併存しておりましたから、古代語においても中期語におけるhと
β、b(p)に相当する子音はそれぞれ別箇の音韻として併存していたと
見るべきです。βは調音上曖昧な音声であるため、音韻としてはそう長
期間安定した地位を保つことは出来ないということで、古代語(新羅語)に
おいてはβはbであったというのが通説らしいのですが、李基文氏はこれ
には疑義を提出しています(『韓国語の歴史』83頁)。残念ながら李氏は
代案を提示してくれてはいないのですが、fかΦのような音を想定している
のではないか知らん。これなら安定していますからね。一方、肝心のhの
方は資料がない(藁)ため不明ですが、ともあれ、新羅語においてb乃至β
の音が別箇の音韻として既に存在している以上、中期語のhまでも新羅語
においてb乃至βであったという可能性はほとんどないと言ってよいでしょう。
以上をわかりやすく図示化すればこんな感じです。

   古代語   中期語
     b   →   b
    f(Φ)* →  β
     ?   →   h  

       注: *は理論的推定形の意。

 ?はhのまま変わらなかったかも知れませんし、または〔k→h〕によりkで
あった可能性もありますが、どちらにせよsahсlかsakсlという語形です
から、上代日本語がもしそれを借用していたらサカラビ(一応サクラビも
考えられますが、上代日本語の特徴の一つとして、aとuは同一語内に共存
しづらいという傾向が指摘されていますので、サカラビの方が自然でしょう)
のような語形で受け入れたはずで、これではどうあがいてもサムラヒのような
語形にはなれないことは確実です。めでたしめでたし。

167 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/21(木) 22:49 ID:yo/6VUdY
 この際ですから白状しますと、>>166の前半部分に私が書いた
サウラビ→サムライ説に有利な内容を、本家にスレを立てて別名で
書き込み、後はてきと〜なこと(しかし一見学術的に見えること)を
書き散らして煙に巻きつつ、サウラビ説を支持・擁護するとともに
娜々志娑无を徹底糾弾(藁)してみせて、ハン板住人諸氏の反応を
見てみるというイタズラをしてみようかな〜、なんて考えていたことも
ありました。尤も、ただでさえ荒れている本家でそんなことをしたら
さすがに洒落にならないと思い断念しましたが、もし実行していたら
どうなっていたか…。ま、私の性格上、返事を1行レスで済ますことが
出来そうにないので、1日で1000スレ行くようなお祭りにはとてもなり
そうにもありませんけどね(^^;。

168 名前:海底少年 投稿日:2002/02/22(金) 02:20 ID:Ch2lPCl2
先生…「悪質な冗談はやめて下さい!」byねじ式。
最近、本家の学級崩壊ぶりに…俺は、頭痛がしてますです。
このうえ、娜々志先生の自作自演が加わった日にゃ「シリツをして下さい!」です。
この際ですから白状しますと、寝覚めの悪い変な夢を見てしまいました。
娜々志先生に「苦くて、いやらしい味のまずいウニ」を無理矢理、食べさせるという…(実話
それはそうと、歌の投稿ありがとさんです…カナーリの放置スレになってますが。

>162のリンク先から機械翻訳で抜粋。
>明らかに、朝鮮語「tu sOm」(<syem)および意味している「2つの島」の反射であった。
>対馬が中国の「3つの王国の履歴」の中で最も早く出現して長い原文履歴を持っている名前。
>それはそこで同じ漢字thatによって今日書かれます、
>すなわち韓国の発音の「Taema」時に名前のために使われる 。

頼りない機械翻訳で、要点らしき部分を取り出しても…まだ俺には解りにくいっ。
長文だし、基本的に英語だけど日本、朝鮮、中国の音の表記が複雑に入り乱れてます。
エラントラさんに要点の翻訳を依頼することもかないません。…が
遺伝子屋さんの指摘どうり、どうやら中国を頼みにしてるらしいことは窺えますな。
朝鮮語の「tu sOm」「Taema」ってのも、結局は毎度の馬脚の苦し紛れでしょうね。

169 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/02/22(金) 11:08 ID:rRWb9rDI
>>166-167
娜々志娑无先生、丁寧なレス有難うございます。
娜々志娑无先生やこの在日の方がご指摘のように、「サウラビが転じてサムライに
なった」という説は学問的にはまったく成立しないのに、韓国では「サウラビ」
公開が近づくにつれ、この説が常識化しつつあります。
まだ、私は韓国デンパにあまり耐性が出来てないので、精神衛生上とても
不愉快な現象です。韓国にはもうちょっと大人になって欲しいですね。
日本の世界的になった文化が羨ましいのは理解できますが、、
それと、>>167のように娜々志娑无先生にはお茶目な面もあるんですね^^

170 名前:のなめ 投稿日:2002/02/22(金) 12:37 ID:oYfOcj3A
日本人が、それだけ馬鹿になったということだろう。
いわゆる「武士」が勃興してきた際には、すでに帰化人は旧勢力となっていたのに。

もし「サウラビ→サウラビ」なら、なぜ7世紀に「武士」が登場しなかったのやら。

171 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/22(金) 14:22 ID:I.9owus2
>>167
 ア、アイゴー! とんでもない間違いを書いてしまったニダ!

>上代日本語がもしそれを借用していたらサカラビ(一応サクラビも
>考えられますが、上代日本語の特徴の一つとして、aとuは同一語内に共存
>しづらいという傾向が指摘されていますので、サカラビの方が自然でしょう)
>のような語形で受け入れたはず

 すみません。aとuは同一語内に共存可能でした(^^;。共存しづらいのはオ列
乙類音とuの方でした。上代日本語には有坂=池上法則と称する、アルタイ語
系言語の母音調和と似た音韻結合法則が存在することが知られています。
具体的に言えば、以下のようなものです。

  第一則、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根(動詞は語幹)内に
       共存することがない。
  第二則、乙類のオ列音はウ列音と同一語根内(動詞は語幹)内に共存
       することが少ない。
  第三則、乙類のオ列音はア列音と同一語根内(動詞は語幹)内に共存
       することが少ない。

ですからサクラビも十分自然な語形でしたね。面目も御座らぬ。

 ただ、朝鮮語のсは日本語のoよりも広口の母音ですので、oよりも狭口の
母音であるuで音写されるとは考えにくいのです。そういう意味ではオ列音で
音写されるのが最も自然なのですが、オ列甲類音はオ列乙類音よりもuに
近い母音であったと推定されている上、上記の第三則にあるように、オ列乙類
音はaと共存しづらいという傾向がありますので、オ列音でも音写しにくいの
です。そうなると、残るはaしかありません。幸いsahсlabiは前後の母音が
ともにaですので、сもaで音写しやすい環境にあります。そこで、>>166では、
日本語ではsakarabiとして現われる可能性が高いと推定したわけです。

172 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/22(金) 14:37 ID:I.9owus2
>>168 海底少年さん
 いや、>>167の計画を立てたのは去年の10月か11月の頃の話です。今の
ハン板の状況では、とてもとても…。荒らしの仲間入りは御免ですから。

>>169 名無しさんは半万年の歴史ニダさん
>>167のように娜々志娑无先生にはお茶目な面もあるんですね^^

 いやいや、下記のスレを御覧下さればわかりますように、私はもともと
ネタ&AA職人としても活動していましたから、こういうお遊びも結構好き
なんですよ。

http://kaba.2ch.net/korea/kako/989/989852909.html
http://www2.yi-web.com/~kikaku/post/korea/kako/999/999321819.html
http://www2.yi-web.com/~kikaku/post/korea/kako/999/999001066.html

173 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/22(金) 16:53 ID:WFFpwY2k
>>164
確かに昔二つの島だったといってもおかしくない地形ですね。
現代韓国語で「ひ、ふ、み」の「ふ」にあたるような語は 두 (du) で
す。ちなみに漢語の「二」は 이 (i)。
もっとも先生の数詞一覧表では11世紀の朝鮮語で tuwul だそうです。

一方島は現代韓国語で 섬 (seom)。
趙義成氏は日本語の「しま」は朝鮮語からの借用語ではないかと述べています。
http://www.nicol.ac.jp/~choes/bibimbab/siru/intiki.html
二つあわせると duseom なので、素人目には好い線行ってるかもしれません。

>>168
リンク先は、三国史記や高麗史など朝鮮の文献を引用して、対馬は日本領と朝
鮮が認識していたことを示しています。ついで、李朝の王太宗の「かつて対馬
は朝鮮領だったが何時の間にか日本領になった」という発言を否定しています。
その次に対馬の語源の話が出てきます。海底少年さんの言う中国の音の表記は、
その次に参照している所謂魏志倭人伝です。

そこに出てくる人は歴史の教授などで何となくアカデミックな雰囲気を感じま
す。言語学の関係者はいないみたいで、その方面から対馬の語源について語ら
れることはありませんでした。

174 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/22(金) 18:49 ID:2vL9F/Ms
>>173 昔、韓国からの留学生に除タンパクするためにフェノール:
クロロホルム混合液を「イーボルいれて。」(イコール ヴォリューム
の業界用語)と言ったら2倍量入れられたことがありました。

>>日本語の「しま」は朝鮮語からの借用語ではないかと述べています。
このあたりになると借用語というのですかね。共通祖語があってそれぞれ
に似た単語があったとしてもおかしくないと思いますが。別に朝鮮からの
借用語があるのは当然ですが、島のような基本的語彙まで借用語にしなく
ても良いと思いますが。朝鮮語から借用しなくても島に相当する単語は
有ったでしょうし。ところで古代朝鮮諸言語で島を表す単語は何というの
でしょうか?


175 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/22(金) 19:48 ID:I.9owus2
>>173
 趙義成氏の原文にはこのようにあります。

>日本語の「しま」はこの「 sie-ma」
>あるいは「 si-ma」からの借用語ではないかともいわれる。

この書き方では、趙氏がこの説を支持しているかどうかはわかりませんが、
確かにそういう説があることは確かのようです。手元に『岩波古語辞典』
(別名:半島系デムパの泉(^^;)がないので確認出来ませんが、私の
おぼろげな記憶では、確か大野晋氏あたりが言い出した説ではありません
でしたっけ。

   百済新撰に云はく、末多王、無道(あぢきなく)して、百姓(たみ)に暴虐
   (しひわざ)す。国人、共に除(す)つ。武寧王立つ。是れ[王昆]支王子
   (せしむ)の子なり。則ち末多王が異母兄(はらことのあに)なり。[王昆]
   支、倭(やまと)に向(まう)づ。時に、筑紫嶋に至りて、斯麻王を生む。
   嶋より還(かへ)し送りて、京(みやこ)に至(まうのぼ)らずして、嶋に
   産(うま)る。故(かれ)因(よ)りて名(なづ)く。今各羅(かから)の海中
   (わたなか)に主嶋(にりむせま)有り。王(こきし)の産れし嶋なり。故、
   百済人、号(なづ)けて主嶋(にりむせま)とすといふ。

 これは『日本書紀』武烈紀四年の条に引かれた百済の逸史『百済新撰』の
一節です。「各羅の嶋」は、長崎県東松浦郡鎮西町の加唐島のことであると
推定されています。趙氏も述べているように、ニリムが現代朝鮮語の尊称の
ニムに繋がる語であることはまず間違いありません。そういう意味では、
セマの方も半島系の語である可能性は十分にあります。ただ、これだけの
根拠で日本語のシマ(島)は古代朝鮮語(この場合は百済語)からの借用語である
と主張するのは早計でしょう。なぜなら、日本語にはヤマ(山)・ソマ(杣)・ハマ
(浜)・ヌマ(沼)のように、ある一定の地形を指す語にはマという要素を含んだ
語が少なからず存するからです。加えて、地名にも須磨・浅間・波照間・座間
など、やはりマという要素を含んだものが多数存在します。これらのマは同一
起源であり、一定の空間や時間を意味する一般名詞のマ(間)に由来するもの
であることはまず間違いありません。こうしてみてもわかるように、シマも
また上記のグループに含まれる語彙の一つであり、シマ1語だけを取り上げて
借用云々を主張するのは極めて危険な行為であると言わざるを得ないのです。

 仮にシマだけは上記のマを含む語彙グループとは起源が異なったとしても、
それだけで百済語→日本語の借用語とは言えません。逆の可能性だって十分
あります。いや、それどころか、セマとシマは日本語と百済語が同系の言語
であることを示す貴重な証拠かも知れないのです。百済の支配層の言語は
夫餘系の言語であったというのが通説ですし、同じ夫餘系の高句麗語は
日本語と同系の言語ではないかと取り沙汰されている言語です。こちらの方も
十分可能性があると思うのですがねぇ。

176 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/22(金) 20:10 ID:I.9owus2
>>175 遺伝子屋さん
 >>176と書き込み内容がかぶってしまいましたね。おっしゃることには
私も同感です。半島の人達は半島→日本という方向のみを取り上げ、意図的に
日本→半島というルートを軽視、いや無視したがる傾向があるように思い
ます。度し難いことに、彼等には華夷秩序が骨の髄まで染み付いているよう
ですな。ある意味、気の毒な人達ではあります。

>ところで古代朝鮮諸言語で島を表す単語は何というの
>でしょうか?

 李基文氏『韓国語の歴史』33頁では、朝鮮語と日本語の類似例の一つ
として、「島」の中世語s∂ymを日本語のsimaと対比させています。
どうやら朝鮮側には「島」の古代における語形を窺い知ることの出来る言語
資料は存在しないようです。『日本書紀』に拠るならば、semaがそれに
相当するものということになりそうですが、こちらは百済語ですからねぇ。
新羅語の語形については何とも言えないというのが実情ではないでしょうか。
ま、強いて再構すれば、semaから語末の母音を落として閉音節にした
semあたりが最もそれに近いのではないかと思います。

177 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/22(金) 20:14 ID:I.9owus2
>>176
 >>175 遺伝子屋さん   ×
 >>174 遺伝子屋さん   ○

 どうも最近ミスが多いなぁ。電波障害かしら。

178 名前:海底少年 投稿日:2002/02/23(土) 01:47 ID:SzDgdD0k
娜々志先生、いつもの好奇心の虫が質問したいと騒いでおります。
>>175 >日本語にはヤマ(山)・ソマ(杣)・ハマ (浜)・ヌマ(沼)のように、
>ある一定の地形を指す語にはマという要素を含んだ語が少なからず存する
「はしっこ」という意味の【端(ツマ)】とか
「ようす」を意味する【様(サマ)】は関係あるのでしょうか?

>>172 >計画を立てたのは去年の10月か11月の頃の話です。
恐ろしい…もし、実行なさっていたら娜々志先生にデムパ斬りの依頼が
殺到していたはずです。そのデムパを斬れる人は他にいないでしょうから…。
デムパ発信者と、それを迎撃する論客の独り二役を、接続してはまた切って、
IDを変えながら続けるのは、骨が折れますぜ…しかも、自分と戦うわけで…
【ゲド戦記「影との戦い」】シュワルツネッガー「シックスデイズ」みたい。

ところで、AA総合スレッドも崩御なされていたのですか?知りませんでした
…南無阿弥陀仏。倭禍・廃苦と民明書房は保存してましたが、AA総合スレは
ここで補完させてもらいます。HPが完成したら、まとめてUPしますね。
いろんな作業を並列進行してるので、少し時間がかかりますが…。

>>173さん フォロー感謝いたします。知恵者が集まって頼もしい限り。
もし、差し支えがなければ、コテハンになって頂きたいですなあ。
このスレは「ゆきずりさん」も多いので、なるべく憶えておきたいのですよ。

関係ないけど、サムライ繋がりってことで…マドモワゼルよ…いづこへ…
「サムライ」(1967年フランス映画)2月24日 日曜日 午後10時 NHK教育
監督:ジャン・ピエール・メルビル 主演:アラン・ドロン

179 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/23(土) 02:09 ID:3PDdeNY2
>>168

 トットト           ∧_∧
クウニダ!         (´∀`; )
  AA  シャザイシル!  (    )
 < ゚*゚>  从从从    | | |
α/らら  <丶`∀´>   (_(__)

180 名前:しろうと 投稿日:2002/02/23(土) 02:37 ID:GaiWUkY2
対馬ですが、あの当時は陸続きでしたので、
2つの島=ツシマということはないのでは?
ということを、東京大学の吉田光男氏が
言っておりました。

181 名前:海底少年 投稿日:2002/02/23(土) 14:14 ID:Pb1crZTs
そっ…それは初期のデザインの…ニダリス。
夢の話ですが、俺も先生にしっかりそのウニを食わされました。

海底少年 :「…先生、ウニを採ってきました…焼いたので食べて下さい」
娜々志娑无:「ううっ…これは!…海底少年さんもいかがです?そら、召し上がれ!」

 〆⌒⌒ミ〜    わはははは…くすくす。
彡//⊂=⊃~ /…いやぁ…俺は遠慮しときますよ…
彡||Ж Ж'| < …うっ!…わぶっ…うえっぷっ!
ミ[||  ゝ | \…げぼげぼっ…まずっ…まずいっ!!
 '\\爪_ノ   
    ̄ ̄
すぐに目を覚まして、うがいをしに台所へ行きました。
夜食に調理菓子パンを食べたら、口の中で妙な醗酵をしてたようです。
あんな夢はこりごりですが、娜々志先生がシルエットで登場したので
HPに描きたいと思います…ちなみに、メガネとか掛けてますか?

182 名前:名無しさん 投稿日:2002/02/23(土) 15:29 ID:TsMaA6vA
>>175
なるほど。またはやまってしまいました。
もともと「しま」の語源に主眼を置いた文じゃないから
煩雑な説明を省略しているんだろうと考えてました。

>>178
いまコテハンになるとややこしいことが起きるので
勘弁してください。

サウラビの話が出ているので、サウラビ掲示板の近況報告でも
しておきましょうか。娜々志娑无の活躍のおかげで、
サムライの語源はサウラビだと言う人がいなくなりました。
テコンドーなどの話題も出ますが、マルス系の人が頑張っているから
それほどおかしな方向には行っていません。
同じことを日本人が言えば反発するかもしれませんが。
ここ数日は映画を見た人が感想を書いていますが、
退屈だとかストーリーが駄目だとか散々な評価です。

183 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/23(土) 16:00 ID:BM9h0pbM
>>178 海底少年 さん
 ツマ(端・褄)はツマ(妻・夫)と同じく、本体や中心から見て端のもの、
また相対する位置にあるものを指す語です。その語源と言われても、
中々難しいですが、意味的に見てツメ(爪)という語と関係がありそうです。
ツメ(爪)は手足の終端部分を指す語ですし、複合語になると、ツマサキ
(爪先)・ツマオト(爪音)・ツマグル(爪繰)・ツマヅク(躓)・ツマハジキ(爪弾)
のようにツマ-という語形を取ります。アクセント的にもツマ(端・妻)は
平安期高低型、ツメ(爪)は平安期高高型と、ともに高起式で一致します。
一方、マ(間)はメのような交替形を持ちませんし、ヤマ(山)やシマ(島)も
その点では同様です。この点から見ましても、ツマ(端・妻)はマ(間)の
グループには属さない語であると考えてよいだろうと思います。

 ついでに言えば、ツム(摘)・ツマム(摘)もツメ(爪)・ツマ(端・妻)の仲間
です。ツマ〜ツメ(爪)とツム(摘)の関係は、まさに前々スレで紹介した
情態言と動詞の関係そのものです。アカ(明・赤)とアク(明)、クラ(暗)と
クル(暮)、ムラ(村)とムル(群)、ナハ(縄)とナフ(綯)、ツカ(塚)とツク(築)の
対応関係を思い浮べて下さい。

 次にサマ(様)ですが、こちらはかなり厄介ですね。サメのような交替
形を持っていないという点ではマ(間)と一致しますので、その点では
有利であることは確かですが、意味的に少々ずれがあるのが気に
なります。マ(間)は一定の空間及び時間を指す語ですが、b/m交替
によりm音がb音に変化したバ(場)の場合は空間の意味のみですから、
おそらくマ(間)の原義は時間ではなく空間の方でしょう。マ(間)を含む
語が地形や地名として使われていることからもそのことは窺えます。
翻ってサマ(様)はと言うと、姿、様子、状態、方法、理由など種々の意味
があり、原義を特定するのが難しいのですが、仮にサマ(様)もまたマ(間)
と同じグループに属する語彙であるとしますと、原義は様子、状態の方と
いうことになりましょうか。即ち、ある一定範囲の空間についての主観的
な評価や認識を意味する語がサマ(様)であるというわけです。そのように
考えれば、サマ(様)とマ(間)との間には共通点が出て来ることは出て来
ますね。ただ、私としては今一つ自信が持てませんので、この件につき
ましてはなお考えたいところであります。

184 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/23(土) 16:09 ID:BM9h0pbM
>>181 海底少年 さん
>そっ…それは初期のデザインの…ニダリス。

 あれれ、あれは初期のデザインでしたか。今はどんなデザインになって
ましたっけ(^^ゞ。

>ちなみに、メガネとか掛けてますか?

 ご多分に漏れず私も目が悪い(近視)ので、眼鏡を掛けてます。とは言え、
眼鏡を付けるとアサピー(藁)になってしまいますので、>>179ではモナーに
代わりにご登場願いました。

185 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/23(土) 20:23 ID:sTKbCpfw
>>対馬ですが、あの当時は陸続きでしたので、
>>2つの島=ツシマということはないのでは?

陸続きだったのは氷河時代ではないでしょうか。縄文時代の
一時期は今よりも遙かに高温だったので、極部の氷冠が減少し
海水も膨張していたため、海岸線が今よりも内陸側に入ってい
ました。ご存知のように内陸部で発見される貝塚はその名残で
す。ですから、対馬が二つの島に別れていた時代があって、そ
れに基づく名前があったとしてもおかしくはないとは思います
が、「つしま」がそれにちなむとは私は思えないだけです。
そのような地形は幾らでもあったはずで、なぜ「つしま」が朝
鮮古語由来であるとするのか、娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 先生も
述べられているように、日本語の津島説との比較でどうである
のかと考えれば、自ずと答えが分かってくると思います。

186 名前:遺伝子屋 投稿日:2002/02/23(土) 20:54 ID:87eTWwQE
>>180 失礼しました。読み直したら対馬が陸続きで初めから
一つの島であったと、言う意味だったのですね。半島との陸続きかと
誤解していました。ただ、忘却の彼方ですが昔みた日本の古代の復元
地図では二つに分かれていた時代があったかのように記憶しています。


187 名前:海底少年 投稿日:2002/02/25(月) 16:39 ID:QOuLQ2LQ
娜々志先生、「ツマ」「サマ」の解説ありがとうございました。
解り易くて勉強になりました。俺は復習を怠ると忘れてしまう、お馬鹿なんですが…

ちょいと、いま猥雑な作業に追われてますんで…マターリモードで失礼します。

188 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/27(水) 23:29 ID:vhm44Awg
 本家のさるスレで百済語の話題が出ましたので、諸氏のご参考までに
李基文氏の『韓国語の歴史』から関係部分を抜き出しておきます。デムパ
退治用のコピペネタにでもお使い下さい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 百済語については『梁書』(六二九)「百済伝」に、「今言語服章 略ボ
与2高驪1同ジ」とある。これは多分百済の支配族の言語に関した記述と
思われる。周知のごとく百済の被支配族は韓系に属する馬韓語を使用
したであろうから、かれらの言語が支配族のそれとは異なっていたであろう
ことは想像に難くない。この違いについては『周書』(六三六)「異域伝百済」
条にある「王姓ハ夫余氏 号2於羅瑕ト1 民呼ビテ為ス2[革建]吉支ト1 夏言
並ナ王也……」という記録から、その一端を窺うことができる。この記録は
支配族の言語では王を「於羅瑕」(*eraha)と言い、被支配族の言語では
王を「[革建]吉支」(*kenkilci)と言ったものと解釈される。これは古代に
おける夫余系諸語と韓系諸語の違いを端的に表わすものと言うことができる。

 今日残っている百済語の片鱗は、この言語が新羅語と非常に近かった
ことを示してくれる。これは百済において支配族の言語が被支配族の言語
を同化させることができず、ただそれにある程度の影響を及ぼしたにすぎ
なかったことを結論づけさせる。従って百済語は馬韓語の継続であって、
夫余系言語という上層をもっていたことを特徴とすると言い得る。

189 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/27(水) 23:32 ID:vhm44Awg
(続き)

 百済語資料は古代三国の言語中で最も少ない。「三国史記地理志」がその
主たる資料であるが、訓読名と音読名の併記が稀である。百済語地名の特徴
としては、*pu¨ri夫里 を挙げることができる。例。夫余郡ハ本百済ノ所夫里郡、
陵城県ハ本百済ノ尓陵夫里郡など。これは新羅語地名の「火」(*pс¨r)のような
もので、高句麗地名の「忽」と対照されるものである。この一例から見られる
ように、百済語は新羅語と違って語末母音を保存する傾向があるようである。
後代の記録ではあるが、「熊津」が『竜飛御天歌』にko・ma・nΛ・rΛと現われて
おり、これは百済語の残影ではないかと思う。このko・ma(平声+去声)は中世語
のkom(上声、熊)に対応する古形である。(この対応は声調においてまで完全な
ものである。)この第二音節の母音は、日本語kumaのそれとの一致からも確認
される。

 百済語語彙は新羅語(及び中世語)のそれと大体一致する。例えば「石山県ハ
本百済ノ珍悪山県」において「石」を意味する百済語の単語が、*turak(珍悪)で
あったことを推定し得る。(「珍」は訓でturと読む。「馬突郡一ニ云ウ2馬珍ト1」等)
これは中世語のtorh(石)及び現代中部以南の方言形tok(<*tork)に対応する
ものである。一方百済語には*sa沙(新しい)、*m∂rke勿居(清い)、*muraη
毛良(高い)のあったことが明らかになるが、これらは中世語のsai(新しい)、
mΛrk-(清い)、mΛrΛ(棟ムナギ)等に対応するものである。

190 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/27(水) 23:33 ID:vhm44Awg
(更に続き)

 しかし百済語には新羅語や中世語で発見することのできない、特異な単語の
あることもわかる。百済語で「城」を意味する語が、*kι¨(己、只)であったことは
確実である。例。悦城県ハ本百済ノ悦己県、儒城県ハ本百済ノ奴斯只県、潔城県ハ
本百済ノ結己郡。この語は新羅語にも高句麗語にも見ることのできないもの
である。古代日本語の*kι¨(城、柵)はこの百済語の借用だと考えられる。

 終わりに百済語には上に述べた上層の影響として、夫余系の単語のあったこと
と考えられるが、その証拠は明らかでない。「赤鳥県ハ本百済ノ所比浦県」から
*supi(赤〔鳥〕)を再構し得るならば、これは夫余系単語の一例である可能性が
大きい。高句麗語の*sapik∂n、*sapuk(赤い)参考。
                          (李基文『韓国語の歴史』P46〜8)より

191 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/02/28(木) 00:11 ID:6PMGyoVA
 尤も、>>190

>古代日本語の*kι¨(城、柵)はこの百済語の借用だと考えられる。

云々は私としては納得行かないところです。何となれば、しばしば半島
系の語彙を保存していることで知られている『日本書紀』古訓で、半島の
「城」を指す語としてサシという語を既に用意しているからです。例えば、
以下のような例です。

   八年の春二月、新羅、任那と相攻む。天皇、任那を救けむと欲す。
   是歳、境部の臣に命せて大将軍と為す。穂積の臣を以て副将軍と
   為す。{竝に名を闕(もら)せり}即ち万余の衆を将(ひきゐ)て任那の
   為に新羅を撃つ。是に於て、直に新羅を指して以泛海(ふねから)
   往く。乃ち新羅に到りて五の城(さし)を攻めて抜きえつ。

上記は訓点付きとしては最古の『日本書紀』の古写本である岩崎本の
巻22の付訓をもとに書き下したものですが、「城」という漢字に対して
サシという訓が付せられています。この訓は岩崎本の訓点の中でも
最も古い平安中期点のものですから、新旧混交の書紀訓点の中でも
由緒正しい古訓であることがわかります。ここでは新羅の城について
サシという語を使っていますが、他の古写本の古訓では百済の城に
ついて使っている用例もありますので、書紀古訓の世界においては
新羅も百済も区別なく半島の城はサシであったと判断してよいでしょう。
サシはもともと新羅語だったのが、伝承の過程で半島系の城を指す
一般名詞として定着したという可能性もありますが、百済の被支配層
の言語と新羅語はともに韓系の言語であったという通説に基づけば、
サシは百済の被支配層の言語に由来する語で、新羅語でも同様の
語形であったというのが最も可能性が高いように思います。となれば、
>>190で李氏の再構した百済語のキはもう一つの方の百済語、即ち
支配層の言語である夫餘系の百済語であると見るべきではないでしょうか。
夫餘系なら、高句麗語も似たような語形であったでしょうし、その高句麗語
と数詞など共通点の多い古代日本語も同様であったと考えられます。
てなわけで、高句麗語にゆかりを感じる(藁)私としましては、キは夫餘系
言語の共通語彙であり、借用語の類ではないと考えたいところですが、
いかがでしょうか。

192 名前:海底少年 投稿日:2002/03/01(金) 00:34 ID:gjcaEN.Q
娜々志先生、百済語関連の記事と解説ありがとうございました。
本家でのやり取りを少し覗いてみましたが、煽りネタなのでしょうかね?
百済人氏に、来てくれそうな気配が無いところを見ると…やはり。

俺は、まだわずらわしい作業に忙殺されてまして頭が回らず、
難しいことは、理解吸収もままならないのですが…
総督府が仮死状態なのでアゲときます。

193 名前:のなめ 投稿日:2002/03/03(日) 03:19 ID:DIFIYDMs
なるほど、本家は荒れている。
教科書関連のスレで、『元史』原文(中華書局の出版による活字本)を挙げて訂正してやったら、煽られてしもうた。

まあ、『元史』は粗漏が多いけどね。
--
>192
どう見ても煽りでしょう。
百済人が「『古事記』は百済語」と言っていたのを見たときには笑った。
同じ頃に書かれた『日本書紀』では、日本を「中国」と記述している。
(雄略天皇七年)
「于時。新羅不事中國。天皇詔田狹臣子弟君與吉備海部直赤尾曰。汝宜往罸新羅。」
新羅が日本の言うことを聞かないので、追討を命じた……という感じですか。

194 名前:海底少年 投稿日:2002/03/04(月) 14:49 ID:AC.vKs6U
おお、下がっている…上げておきませう。
本家が荒れると、総督府の活気が出てくるという皮肉。

のなめさん、煽られたんですか…むこうにも有用なスレがちらほら
あるんでしょうけど、駄スレの群れに埋没してますな。

娜々志先生、見ておられるでしょうか?
俺は、まだ雑事から解放されないんですけど、息抜きに雑談をば…
最近やたら時代劇が気になってまして…地方の方言を役者に
指導する人がいるみたいですが、言語学者なのでしょうかね?
古い言いまわしの台詞とか、草書体やら楷書体などの文面とかで
言語学者が考証を依頼されることって頻繁にあるんですか?

195 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/06(水) 17:07 ID:P/Zq.XXE
>>194 海底少年 さん
 ちょっとプライベートな用事がありましたので、ここ数日留守をしてました。

>地方の方言を役者に
>指導する人がいるみたいですが、言語学者なのでしょうかね?

 う〜ん。その辺のことは詳しくないのでわかりませんが、方言を専門と
している研究者が指導するというのはあまりないのではないでしょうか。
おそらくそういうことはその土地の有志の人がやっているのではないで
しょうか。研究者と言えども教員ですから、研究だけでなく教育や学内の
雑務などで忙しいので、大抵の人はそんなことにかまけている時間はないと
思いますよ。2ちゃんで遊んでいる私のような人間は例外的な存在でしょう。
所詮三流ですから(藁。

>言語学者が考証を依頼されることって頻繁にあるんですか?

 ちょこちょことしたことなら、依頼されることはありますね。専門用語の意味や
諺の語源とか。私は電話で質問を受けたことくらいしかありませんが、知り合い
はTVに出演したりもしていますから。

196 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/06(水) 21:18 ID:Ut2pziZY
方言指導。
地方出身の劇団員や元アナウンサーの方が
担当することが多いようです。どなただったか
失念しましたが、方言指導をお仕事とされている
女性(京言葉だったと思います)のエッセイが
出ていました。

197 名前:海底少年 投稿日:2002/03/07(木) 16:10 ID:/1G6U0P2
先生ってばこの時期も忙しいでわ?マターリでいきませう。マターリで。
俺も、突然いろんなことが重なって、豚の爪でも借りたいくらいですわ。ホント。

娜々志先生が三流ですと?…教えを請う者としては、立場もありませんがな…
より高みを目指しての言葉、と受け止めますのココロ…オーゲー?
>知り合いはTVに出演したりもしていますから。
いずれ、娜々志先生にもお鉢が回ってきたりして…観たいのココロ!

そういえば、NHKはどんな分野でも、第一人者や最長老を招いて解説させるのが好き
なようですな。かなり御高齢の大先生を引っ張り出して、ヒヤヒヤさせます。
教育テレビの手話ニュースでも、かの金田一先生が老い衰えてゆくのを観てました。

ところで、言語の専門家から見ると、時代劇で考証のしっかりしてない番組などは
誤謬だらけで、眼も当てられないってことはあるのでしょうかね?
おもわずヲィヲィとテレビに向かって突っ込みを入れたくなるような…
「ぐっすり=英語」を信じてた俺は、もし時代劇で「ぐっすり」が出てきたら、
興ざめするなあと思ってました。まぁ…水戸黄門で助さんが、八兵衛に
「八兵衛ファイト!」と、言ったとかの都市伝説めいた話は別でしょうが。

>196
ほほう!なるほど…地方出身の劇団員や元アナウンサーの方が…ふむふむ…
って…ハンドルネームの「チルチルサー」の方も気になってしまいますがなっ!

198 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/07(木) 17:09 ID:er3NblvU
>>197 海底少年 さん
 いや、三流は三流です。四流でもいいくらいかな。はは。そもそも、大学の
教員はみな一流だと思ったら大間違いでっせ。一流から五流まで、それこそ
玉石混淆が大学というところなのです。ま、それでも学生を教えることくらいは
出来るわけですから、2ちゃんで素人衆を煙に巻くくらいのことはわてでも
何とかなりまっさ(^^;。

 金田一春彦氏。NHKの手話ニュースを見るたんびに、衰えている様子が
手に取るようによくわかりますね。随分足がお悪いようで、今は何かものに
つかまっていないと立っていられないみたいです。お父上の京助氏は70歳
を過ぎた頃には老人ボケが始まっていたそうですが、春彦氏は齢88歳を
越えてもいまだにボケ症状は出ていないように見えます。さすがに言葉は
少しつっかえるようにはなってきてはいるようですが…。とまれ、私にとっては、
この領域の学問に興味を持った切っ掛けとなった方ですから、いつまでも
元気でいて欲しいと願うばかりです。

>ところで、言語の専門家から見ると、時代劇で考証のしっかりしてない番組などは
>誤謬だらけで、眼も当てられないってことはあるのでしょうかね?

 う〜ん。時代劇の用語に関しては特に気にしていません。時代劇は古典では
なく現代の演劇ですからね。横文字言葉さえ使っていなければ基本的にOKと
いうことでいいのではないですか。さすがに能狂言などの伝承芸能に関しては
用語が気になりますが、それを無理に改めさせようとは思いませんね。なぜなら、
いかなる伝承芸能も、創生時のままで忠実に受け継がれていることを期待する
ことは出来ないし、また期待すべきでもないと思っているからです。これはひとり
芸能に限ったことではないでしょうが、それが生きている限りは変わり続けるのが
当然であり、変わらないものは死んだも同然である、そう私は考えています。
ま、言語資料としては各時代に作られた台本の類が残されていますから、今現在
行なわれている伝承芸能そのものを直接対象にする必要がないということもあり
ますがね。

199 名前:海底少年 投稿日:2002/03/08(金) 23:48 ID:iVqP9cbI
 総督府 死亡率こそ いと高し。

娜々志先生、「格」や「流」の話では一層、煙に巻かれる感じでさぁ。

金田一先生は88歳でしたか、お歳のわりにはまだ御健勝なうちですな。
>私にとっては、この領域の学問に興味を持った切っ掛けとなった方ですから
なにやら、思い入れがあるんですか?特別な一冊とか、心に残った一文とか…

>時代劇は古典ではなく現代の演劇ですからね。
>横文字言葉さえ使っていなければ基本的にOKということでいいのではないですか。
えてして事情に暗い素人ほど、保守的な視点になりがちで…目からウロコが落ちました。

200 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/09(土) 20:28 ID:MAVydkMg
>>199 海底少年 さん
 リアル厨房の頃、金田一さんの『日本語』(岩波新書。2冊分冊
の新赤版の方ではなく、青版の方ね)を読んで、日本語の面白さ、
素晴らしさ、奥深さの一端に触れたことが、私にとっては大きな
人生の転機になりました。その頃から既に学者になりたいという
気持ちは漠然と持ってはいたのですが、他にもいろいろ好きな
学問分野がありましたので、正直迷っていたのです。結局、これ
が切っ掛けとなって、工房時代には学校の図書館にある国語学
関係の一般書を読み漁り、上代特殊仮名遣がどうたら母音調和
がこうたらなどと口走るヤな餓鬼になっちゃいました(藁。その後
多少の紆余曲折はありましたが、最終的に国語学の研究者として
一人前に飯を食っていけるようになれたのですから、恩師とまでは
言わないにしても、金田一さんには特別な思いがあるのですよ。

 金田一さんの書かれる文章はとにかく語り口がソフトで大変
わかりやすいので、初心者が読むにはうってつけです。それ
どころか、学術論文までもまったく同じ語り口だったので、最初
読んだ時には結構驚きましたyo! よく「難しい文章は誰でも
書けるが、やさしい文章を書くのは難しい」と言いますが、ほんと
その通りだと思います。あれはもう才能ですね。私にはそういう
才能はありませんが、特にこういう場においては、金田一さんの
顰みに習い、少しでもやさしい文章を書くようにしようと努めている
つもりです。尤も、そう思ってはいても中々思うようには出来ない
というのが実情ですがね(^^;。

201 名前:名無しさんは半万年の歴史ニダ 投稿日:2002/03/10(日) 12:12 ID:wWSFt.4I
オカルト板にてハケーソ(w

 102 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/03/01 01:40
  さても聞こしめせよ>>1。刷れとかかはりなきことなれど。
  きのふ近うある吉野家に行きたるに、なでふこともなう人のおほくあれば、
  えもゐられず。
  よう見るに、垂れ幕の下がりてあり、百五十円引きとなむ書きたる。
  あなや、をこかな、しれ者かなと。
  わぬしら、よき人は百五十円引きばかりにてひごろ来も来ぬ吉野家になどか来たらむ。
  百五十円よや、よや。
  親子連れあり。一族郎等ひきつれて吉野家に来たる、いとむくつけし。
  あまつさへ、てて様は特盛頼まうわいの、など言ふ様こそ、かたはらいたけれ。
  百五十円給ぶに往ねよかし。
  さるは、吉野家てふ所、げに殺伐たらむこそつきづきしけれ。
  ひの字めく餉台のあなたざまに居たるをのこどもの、いさかひいつ始まらむとも
  しらず、かたみに刺すや刺さるるやと案ぜらるるけしきのいとをかしかるべきを、
  をんな子らはいぬべし。
  かかるうちに、やうやうゐらるるかと思ひしに、傍らなるしづ山がつの、大盛露だくを
  とかや言ふを聞くに、さらにこそぶち切れたれ。
  いで、露だくなるはこのごろにてはつゆ流行らざるを、げにをこざまなるかな。
  したり顔して何のつゆだくをや。
  さはまことに露だく食はまほしきものかと問はばや。問ひ詰めばや。半刻ばかりぞ問ひ詰めばや。
  むげに露だくと言はまほしきのみにやあらむ。
  吉野家知りたるまろに言はすれば、月ごろ吉野家知りたる人の間につとに流行らむは、
  なほ葱だくにこそあらめ。
  大盛り葱だくかりのこ、これなむ才ある人の頼み方なる。
  葱だくてふは、葱の多く入りたるに、肉の少なめなる。これこそ。
  また大盛りかりのこは、いふもおろかなり。
  さるに、こを頼めば次より雇ひ人に目つけらるるは必定ななれば、危ふき諸刃の剣にて、
  つたなき人にはえ薦めぬわざにこそあんなれ。
  とまれかうまれ、わぬしらつたなき人は牛鮭定食などやうをば食へかし、とこそ。

http://curry.2ch.net/test/read.cgi/occult/1014900685/102-

202 名前:海底少年 投稿日:2002/03/11(月) 14:45 ID:qkFKHzPc
金田一先生は、親子二代で国語学に名を残し、預かり知らぬ場所でも
後輩をしっかり育てているわけですな。学者冥利に尽きることでしょう。

>上代特殊仮名遣がどうたら母音調和がこうたらなどと口走る
失礼ですが、こういう少年が目の前に現れたら、多くの大人は退散しますね。

俺の厨房、工房時代ときたら、怪しげな本ばかり読んでましたんで、
電波に対する抵抗力も身に付けぬまま、すっかりこの体たらくでさぁ。
十代の頃の自分に点数を付けるなら、100点満点で8点以下ですわい。

>金田一さんの顰みに習い、少しでもやさしい文章を書くようにしようと
顰(ひそ)みに習い…って充分、難しいですぜ旦那ァ!

>>201
こりゃまた格調があって読み応えのある吉野屋バージョンですな。
偏差値が高っ…娜々志先生なら楽勝で書けるでしょうが。

203 名前:海底少年 投稿日:2002/03/11(月) 19:51 ID:ggLap2BI
--------------------------------------------------------------
ニューズウィーク韓国版 最新号(20日付)
http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=pol&cont=pol0&aid=20020311140030200
同誌は「学者は韓国の騎馬民族が1世紀初めに日本に移住したと考えている」とし、
「言語学者は日本皇室の儀式で使われる言葉は
新羅(シンラ)語に由来するという理論を提示している」と明らかにした。
--------------------------------------------------------------
なんとも怪しげな記事ですな…この説を唱えている学者の名前も出てないし
「日本皇室の儀式で使われる言葉」とやらについても、引用解説などされてなくて
ただ、恣意的に読み手をあらぬ方向へリードするのが目的のような…
娜々志先生、新羅語に由来する皇室用語って、察しがつきますか?俺にゃさっぱり。

204 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/11(月) 20:26 ID:G8K7X3s.
>>201
 こいつは中々の出来ですね。「えもゐられず(え〜打消だけで既に不可能の
意味あり。「られ」は余計)」とか、「え薦めぬわざにてこそあんなれ」の「あんなれ」
(この「なり」は伝聞・推定の助動詞だから、直訳すると「あるようだ」「あるそうだ」
になってしまう。原文にはそういうニュアンスはなかったはず)」とか、ちょこちょこ
変なところはありますが、一般の方の書いた擬古文としてはよく出来ている方だと
思いますよ。

205 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/11(月) 20:59 ID:G8K7X3s.
>>203
>新羅語に由来する皇室用語って、察しがつきますか?俺にゃさっぱり。

 私もさっぱりです。そこでちょっとGoogleで検索してみましたところ、
反日デムパでその名も高き反日城、もとい、半月城通信でその辺の
話題が出ているのを見付けました。

半月城通信 No.48
http://www.han.org/a/half-moon/hm048.html

引用始め〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 98/05/30 -
00509/00509 PFG00017 半月城 宮内省の守護神
( 8) 98/05/30 18:18 00479へのコメント

  ぺくすこんだるさん、はじめまして。

 #479、ぺくすこんだるさん
> 話しのついでに思い出したんだけんどよ、もとの上司が宮内庁に出向し
>ていて、東宮大夫(だいぶ)という肩書きなんだとさ。ただこれは対外的
>名称で、宮中では「てーぶ」と呼ぶらしい。これ韓国語の発音と全くおん
>なじ。ともかく、あそこは電話の受け答えからして浮き世離れしてるんだ
>よなぁ。

 #482,ざ・ふぁろすさん
>韓国語は詳しくないのですが、宮中言葉には韓国語に良く似たものがたくさ
>んあるとのことです。(実際日本語とは思えません)
>まあ、当たり前と言えば当たり前なのでしょうか。

  時代をさかのぼればさかのぼるほど、皇室と韓国との関係は深くなるので
すが、今でも韓国語らしき言葉が宮内庁で使われているとは意外でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり

 まさか天下の(藁)ニューズウィーク様がこの程度のソースをもとに
記事を書いたりはしないだろうと思いますので、他にもっとまともな?
ソースがあるのではないですかねぇ。私は知らないけど。

 しっかし、「大夫」を「テーブ」と読んだくらいで皇室用語=朝鮮語とは、まさに
恐れ入谷の鬼子母神ですな。ai→e:という音変化は何も朝鮮語の専売特許
ではありません。朝鮮語に限らず、日本語にもいくらでも例が指摘可能です。
江戸っ子の言葉なんか有名ですね。彼等は大根をデーコンと発音します。
この論理で行けば、江戸っ子は全員朝鮮系ってことになりますな。

 ま、ニューズウィーク誌には親韓反日の記者が揃っているそうですから、
今回も例によって例の如く根拠らしい根拠もないただの韓国の提灯持ち記事
なのではないでしょうか。

206 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/11(月) 21:41 ID:G8K7X3s.
 ついでに言えば、京職や修理職、中宮職、東宮坊の長官である「大夫」を
「タイフ」と読まず「ダイブ」と読むのは、五位の位階を持つ者に対する尊称
である「大夫(タイフが普通だがタユウと読む場合もある)」と区別するため
とも、八省の次官の「大輔(タイフが普通だがタユウと読む場合もある)」と
区別するためとも言われていますが、前者の「大夫」を「ダイブ」と読むのは
少なくとも中世の頃から続いている伝統的な読み癖です。ご参考までに。

207 名前:質問です。 投稿日:2002/03/12(火) 01:07 ID:L0ZTDL0o
娜々志先生は中世言語が専門だと思いますが、教えてください。
大夫と言えば、魏志倭人伝に次の一項がありますよね。
「古より、倭の使者が朝貢すると、皆、自らを太夫と称す」
そして、太夫は古の(周の)階制であることが知られていますよね。
このとき、倭の使者もしくは通訳?は時の中国語(音)で説明するとともに、
倭ではどのような発音をするか、説明するか質問を受けるはずですよね。
ヤマタイでは、官を伊支馬(イキマ)次を弥馬升(ミマショウ)、弥馬獲支
(ミマカクキ)、と言った倭の官職制があることを詳細に調査してますから、
当然、それらと異なる「太夫」と言われた魏朝は普通、戸惑ったはずですよね。
ところが、そうでもない。倭側は魏朝でも、その前でも、そのあとでも
中国王朝で言うならばと言う意味か、「太夫」を使っているらしい。
そして中国知識人には太夫で大体の身分が通じている。
そして、その太夫が倭でも定着する。当然、そのときの音は、そのときの
中国音ですよね。
つまり、その音もしくはその歴年変化した音が太夫の読みとなる確率が一番
高くなりますよね。取り留めのない質問でお許しを。

208 名前:のなめ 投稿日:2002/03/12(火) 01:45 ID:uStkcLBw
>205
まだまだ。
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html
「三別抄は弱かったんじゃねーの?」という指摘に対して、現代小説を引用して反論しているお方ですからな。
(指摘者が示すWebサイトでは、『元史』『元高麗紀事』が引用されており、流石に旗色悪し。)

しかし、金達寿が参考文献かい。
高市郡云々の記事については既に書いたから、繰り返さない。
ただ、「古代飛鳥地方の西南部分に帰化人が溢れていると、飛鳥地方全体にそれが適用できるのか」
常識で考えろ、と言いたい。
刈田麻呂の奏上内容も、始祖伝説と絡めた利権の主張であるから、誇張表現の可能性あり。
更に言えば、坂上氏が帰化人であったかどうかも不明だ(『新撰姓氏録の研究』)。
当時の系図は、必ずしも血縁関係を示さない。

209 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/12(火) 09:12 ID:AoYpNuM.
>>207 質問です さん
 『後漢書』東夷伝でも、奴国の使いが「大夫」と自ら称していることが
記載されていますからね。奴国も邪馬台国も、使いが自身を「大夫」と
称していたことは確かのようです。「大夫」が周代の職名であることは
おっしゃる通りで、これは更に上大夫・中大夫・下大夫の三等に分かれ
るようですが、秦・漢代には爵位の一つ(第5等)としても使用されていた
ことが『大漢和辞典』等の辞書類に記されています。思うに、『魏志』や
『後漢書』の「大夫」は後者の意味で使用されているのではないでしょうか。
これが官職名としてなら倭の使いが自身を「大夫」と称するのはさぞ妙に
感じたことでしょうが、爵位としてなら、中国は古来異民族にもそれ専用
の爵位(子爵・男爵。呉子や許男など、『春秋』で子爵・男爵で呼ばれて
いる国々はもともと異民族だったと推定されています)を与えてきた伝統
がありますから、それなりに許容出来たのではないかと思います。

 次に、「大夫」の日本における読み方ですが、奴国や邪馬台国の時代
には上古音が使われていたはずですから、中国側は[dad-pιuag]
乃至[dar-pιuo]と発音していたと推定されます。尤も、このような複雑
な発音が当時の倭人(通訳は除く)に出来たとは思えません。上代日本語
においては語末の子音や連母音一切許容されておらず、子音+単母音
の音節乃至単母音のみの音節しか存在しなかったことがわかっています。
また、語頭濁音も擬声語・擬態語の類を除いては許容されませんでした。
当時の倭語もこれに近い状態であったろうと推定されますので、おそらく
倭人は「大夫」を[ta-pu]とでも発音していたのではないかと思われます。
この発音がそのまま定着していれば、「大夫」の読み方はタフになって
いたでしょうが、その後呉音や漢音が怒涛のように日本語の中に流入して
来ましたからねぇ。現代の日本漢字音には上古音由来のものはほとんど
存在しないと言ってもいい状態でして、辛うじて推古遺文と言われる6〜7
世紀の文献の万葉仮名の発音として残っているくらいです。そんなわけで、
「大夫」の読みもタフから速やかに呉音読みのダイフや漢音読みのタイフに
置き換えられたものと思われます。東宮などの長官の「大夫」がダイブと
フがブに濁っているのは不審ですが、連濁と考えればまぁ納得出来ない
こともないかと。

 以上、簡単ですが取り急ぎご返答まで。

210 名前:   投稿日:2002/03/12(火) 13:18 ID:9QIklPlk
>>205
>江戸っ子は全員朝鮮系ってことになりますな

新羅系は百済系と仲が悪いので関東地方にまとめて移住させたなんて話があったような
気がしますが、それと絡めて本当に言い出すのでは(もう言っている?)。

平家(に代表される西国武士)=百済、源氏(を棟梁に担いだ関東武士)=新羅で、
源平合戦はウリナラの戦いニダなんてデムパもどこかから飛んで来そうな..。

211 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/12(火) 15:42 ID:AoYpNuM.
 江戸っ子だけじゃなく、2ちゃんのAAも朝鮮系だったニダ! マンセー!

      ∧_∧   ┌─────
      ( ´ー`)  < シラネーヨ
       \.\   └────/|
         \.\______//
          \       /
            ∪∪ ̄∪∪

212 名前:御礼 投稿日:2002/03/12(火) 18:45 ID:L0ZTDL0o
娜々志先生、
早速の明快なる回答、ありがとうございます。
しかし、面白いですよね。たかが一つの言葉を頑なに継承する倭国って。
一体、周で発現した太夫という身分?を倭に伝えたのは、誰だったんでしょうね?
よほど、この言葉を気に入ったんでしょうね。公式、非公式、通称と意味するところは
変化しても、古語としてでなく、江戸時代、明治(今デモ、一部歌舞業界では使っているのかな?)
まで継承されてますよね。



213 名前:のなめ 投稿日:2002/03/12(火) 18:52 ID:hA421spY
>源氏=新羅
これは、既に金達寿が言っている。新羅三郎義光とか。
源平ではないが、「壬申の乱は百済vs新羅」という電波もある。

百済王氏で近衛少将になった連中を「武士の祖先は百済人」の傍証として悪用すれば、
何人かは騙せるかもしれん。


214 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/03/12(火) 20:44 ID:5VDbvREY
>>213
政治家の中山(太郎の弟)もいってたね。多分恥ずかちい写真取られたんだろう
けど。

215 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/12(火) 21:16 ID:AoYpNuM.
>>212
 日本人の「大夫(太夫)」好きは、言われてみれば確かにその通りですね。
奴国や邪馬台国のような大昔のことはさておいても、平安時代以降は、五位の
貴族や武士、更には職人・座長から果ては遊女に至るまで「太夫(タユウ)」と
呼び習わしているわけですから。まぁ「大夫(=五位)」であることは貴族としての
最低限の条件なので、もともと該当者の数が多い上、後世、武士や職人などが
受領名(受領職)を得て従五位下以上の叙爵を受ける機会が増えたことも、
「大夫(太夫)」の氾濫に大きく影響したのではないかと思います。

 ちなみに、受領名とは地位ある武士、または秀れた職人・芸人が願い出て
名乗ることを許された名目上の国司の官名のことで、大名の姓に付く「松平
伊豆守」とか「羽柴筑前守」、また刀工の「和泉守兼定」、狂言・和泉流の家元
の「山脇和泉守」などがこれに相当します。律令に基づく官位相当制では、
国守は必ずしも五位以上とは限りませんで、中国(安房・薩摩など11ヵ国)や
下国(和泉・対馬など9ヵ国)の国守は六位以下でしたが、位階のインフレに
より位の方が官職よりも高いのが当たり前になってしまいましたので、後に
国守はみな五位以上が普通になりました。その他、各衛府の尉(三等官)
などもこのインフレによって五位以上が当たり前になりましたので、結局
それなりの地位ある武士階級(大名や旗本)は、どのような官職名を名乗ろうと、
みな「大夫」と呼ばれる資格を持っていたということになりますね。

 さらにちなみに、受領名を希望する者に比して実際の官職数は限られて
いますので、どうしても複数の人間に同時に同じ受領名を与えざるを得ません。
その結果、「和泉守」や「伊勢守」が同時期に何人も存在することになって
しまいました。更には、大名に使える家臣(陪臣)も受領名等の官職名を通称
として名乗ったりしますので、日本全国津々浦々に同じ官職名を持つ人間が
ごろごろいたはずです。「俺もお前も伊勢守」ってな感じでしょうか(藁。
この辺はある意味、朝鮮の両班を巡る関係に似ているような気もしますなぁ。

216 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/13(水) 11:48 ID:j2wUeJM2
>>215
 更に補足です。江戸時代になりますと、武家と公家の官位は完全に別物
(将軍以下、公卿補任には記載しない)になります。以下は和田英松の
『新訂官職要解』(講談社学術文庫)より。

    また、朝廷の官位は、慶長二十年〔一六一五〕の『公家法度』にも、
   「武家の官位は、公家当官の外ホカたるべき事。」とあって、同じ官位
   の叙任にあずかるのではあるが、公卿の列には加わらぬこととなって
   いる。また、みだりに高位高官に昇ることができないので、家々につき
   役によってその規定ができている。されば、征夷大将軍も、就職の
   のちに正二位内大臣となり、薨後に正一位太政大臣を贈られ、世嗣が
   大納言となる例である。その他の大名役人も、それぞれ任官叙位が
   定まっている。

217 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/13(水) 15:40 ID:rxBwVJe.
電波発見@netomo掲示板

作成者:kjs3212 (mail: kjs3212@netomo.com)
日付:2002-03-13 11:30:23
タイトル:日本国号の秘密

日本は朝鮮半島で移住した韓民族によって建国された国と言う実際を
韓国人々は大部分分っているが日本人たちはこのような実際をうまく認めないです。
かえって昔に自分が朝鮮半島のガヤ地方(脂肪)を支配したと「任那日本部説」を
主張したりします。「イムナ日本付設」は上古(上告)時代に韓国の相当部分は
中国が支配してその下は自分たち日本が支配したとでっちあげられた学説です。

「任那」は引き受ける思慕する人(任, 林)()、国那で「イムナイル本部」は
日本をとっている富からと言う意味がなります。すなわち、「イムナイル本部」は
ガヤで日本と言う国をとって治めていた富からと言う意味です。過ぎて(過ぎて)と
任那を紛っていることです。

日本が本当に朝鮮半島を治める為に立てたものなら当然に「支那日本部」
と言ってこそ言葉(馬)になります。われわれ(檻, わが, うちの)が日本に会社を
別に立てれば日本支社になって日本で韓国に会社を別に立てれば韓国支社になることと同じです。

これを後押しすることで日本と言う国号に秘密の鍵が隠れられてあります。
日本と言う意味は「日」は「太陽」を意味します。だから日本国技(国旗)を見れば
白い基礎に赤い点がけれども刷られてあるのにこれは「太陽」を象徴します。
「本」は「根源」と言う意味であるので日本を解釈すれば「日が昇る所」と言う意味があります。

指導(地図)を頭の中に描いた後日本で日が浮かぶ所を考えればアメリカになります。
そうなので日本で住んでいる人々が日本と言う国号を作ることができないです。
日本に住んでいます人はアメリカを見て日本であると言ってこそ合います。

ところで朝鮮半島で日本を見れば日が昇る所になります。すなわち、朝鮮半島で
生きていた人々が日本に移住して国名を付けたものがすなわち日本です。
だから日本を支配していた勢力の一つである百済人々が日本に渡って国を立てて
名前を日本であると言ったものです。

日本と言う国号を作った人は「天智王」で百済ウィザワンの36名王子うちの一(ある)人です。
それではまさに韓国が本国であって日本が支国になることです。

218 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/13(水) 15:42 ID:j2wUeJM2
>>211
 すみません。本物のシラネーヨはこうでした(^^;。記憶って
いいかげんですね。

   ∧ ∧     ┌──────────
  ( ´ー`)   < いいかげんにしろーヨ
   \ <     └───/|──────
    \.\______//
      \       /
       ∪∪ ̄∪∪

219 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/13(水) 16:14 ID:j2wUeJM2
>>217 チルチルサー さん
 まったく、半島人は妄想は出来ても想像は出来ないのですかねぇ。日本の
国号が西方の大国・中国を意識してのものであることくらい、ちょっと想像力を
働かせればわかりそうなものなのに。日本から一歩も海外に出たことのない
人間でも、中国が日本から見て西方にあることくらいは、少なくとも当時の日本
の知識層なら理解していたはず。当然、中国から見れば日本が東方=太陽の
昇る方角にあることくらい、まともな人間なら、わざわざ半島から列島に移住
しなくても理解出来たでしょう。出来ないのはkjs3212、アンタだけですよ。

 と書いていてふと気が付きました。もしかして半島人は立場を変えてものを
考えるということが出来ないのでは…(汗)。これまで半島人の言動を見聞き
して来た限りでは、この推定はあながち間違っていないような気もします。
だとすれば、半島人を説得するなんてことは半万年経っても無理な話では
ないですか! おおっ、何てこったい(;´Д`)。

 せめて 半島人→半島反日厨房 であって欲しい、そう願う今日このごろで
あります。

220 名前:のなめ 投稿日:2002/03/13(水) 16:43 ID:xaWSMkXc
私は217に賛成だ。
おそらく、帰化人は
「朝鮮は日の沈むところ。倭は日が昇るところ。ここの朝廷に仕えた方が
将来のためだ」
と考えたに違いないニダ。

221 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/13(水) 21:03 ID:rxBwVJe.
娜々志先生

私は言語の系統を論じる際に考慮すべきは、まず
第一に文法体系であり、次に音韻体系、そして最後に
語彙だと考えています。語彙については、主に借用が
多く介入することもあり、どんなに似通った語彙が
発見されようとも、語彙的共通性だけをもってして、
同族語であるとする一部netomo会員には呆れるばかりです。

さて、うろ覚えなのですが、聖徳太子が当時の中国に
あてた国書に「日出る処の天子・・・」とあったことが
「日の本」の由来であると高校時代に習いました。
これは俗説でしょうか?

また、大和(やまと)という名称から日本という名称へ
移行した時代というのは、いつ頃のことなのか明らかに
なっているのかについても興味があります。

222 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/13(水) 21:20 ID:rxBwVJe.
失礼、文脈がつながりませんね。
以下のように訂正しますが、謝罪と賠償はしません。

語彙については、主に借用が多く介入することもあり、
どんなに似通った語彙が 発見されようとも、語彙的
共通性だけをもってして、 同族語であるとする一部
netomo会員には呆れるばかりです。

語彙については、主に借用が多く介入することもあり、
語彙的共通性だけをもってして、同族語であるとする
一部netomo会員には呆れるばかりです。



223 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/13(水) 23:57 ID:4Ehbi/bg
>>165
今、やっとテストが終わって、過去レスを読んでるところですが、
ちょっときになることがありました。

아비という言葉には、父という意味以外にも、何々をする人、という意味があります。
用例としては、장물아비、盗んだものを捌く商人、などなど。
だから싸울아비には、싸우다+아비で、戦う人、という意味もありえます。

まあ、話の本筋とは関係の無い話ですね。

224 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/14(木) 02:03 ID:lKlHQPmk
中期朝鮮語の文献でsahol+名詞(-l / 未来連体形語尾)という形を
探しているのですが、目にするのはsaho-n@n+名詞の形(-n@n / 現在
連体形語尾)です。もうすこし確認作業を続けてみましょうかね。

abiについては「父」という意味と「男子」という意味で
使用されていますね(李朝語辞典でも確認済み)。「何々を
する人」という意味は、後代になって意味が変化したものでしょう。

225 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/14(木) 17:31 ID:9jRJTlIc
>>224
私は専門家でもありませんし、詳しいことはしりませんが、
싸울아비自体は、中世韓国語だったはずですよ。

ソース。夜風コリア国語辞典。
http://kr.kordic.yahoo.com/result.html?p=%BD%CE%BF%EF%BE%C6%BA%F1
싸울-아비 ‘무사(武士)’의 고유어. 현대 국어에서는 거의 쓰이지 않는 예스런 말임.
싸울-아비 武士の固有語。現代国語ではほとんど使われない、古い言葉である。

226 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 18:48 ID:ytLN4vVM
>>221 チルチルサー さん

 『国史大辞典』には以下のように記されています。

   わが国の国号としての「日本」は「ひのもと」の意の漢字表記から生じた。
   国号として定められた時期は明らかでないが、大化のころから後で、大宝
   のころまでのある時期に定められたと考えられる。わが国については、
   古く数多くの称呼があったが、やがて「やまと」地方が中心となって統一
   するに及び、「やまと」「おおやまと」などが国号としても用いられるように
   なった。他方、中国ではわが国をさして「委」「倭」などと呼んでいたため、
   「委」「倭」を「おおやまと」にあてて用いていた。その後、「日本」と改め用いる
   ようになっても、わが国ではこれも「やまと」と読んだが、ほかに音読も
   されて「にっぽん」、さらに「にほん」が生じて両方の音読が用いられるように
   なり、現在に及んだものである。わが国の古い呼称としては、「大八洲(おお
   やしまくに)」(『養老令』)、「大八洲(島)国(おおやしまくに)」(『古事記』、
   『日本書紀』神代)、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」(『古事記』、『日本
   書紀』神代)、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきの
   ながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)、「豊葦原千五百秋瑞穂国
   (とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)、「秋津
   島(洲)」(『古事記』、『日本書紀』神武紀・孝安紀)、「大日本豊秋津洲
   (おおやまととよあきずしま)」(『日本書紀』神代、なおこれには「日本、
   此云2耶麻騰1、下皆効v此」と、「やまと」と読むという訓注がある)など
   がある。この「秋津島(洲)」は孝安天皇の都の名から出たものであり、
   ほかに同様に欽明天皇の都の名「師木(城)島(しきしま)」(『古事記』、
   『日本書紀』欽明紀)から出た「しきしま」(のち敷島などと書く)もある。
   他方、中国では「委」(金印)、「倭」(『史記』『魏志』『後漢書』『宋書』
   『山海(せんがい)経』など)などと、わが国について記していた。
   わが国でもこれに応じて、「倭」(『古事記』)、「大倭」(同)、「大委」
   (『法華義疏』)などとみずから書いた例もある。しかし、「委」「倭」には
   「小人」の意もあるので、それを避けてであろう、畿内の一国の国名
   である「大倭国」を改めて「大養徳国(おおやまとのくに)」(『続日本紀』
   天平九年(七三七)十二月条)としたこともある。これはその後また
   「大倭国」に復したが(同書天平十九年三月条)、天平勝宝四年(七五二)
   ごろから「大和国(やまとのくに)」(『万葉集』)が用いられるようになった。
   「倭」と同音であるが、「順」に通じる「和」の方を用いるようにしたので
   あろう。以後、日本全体の国名の場合にも「大和」が一般に用いられる
   ようになった。他方、「日本」の称呼については、推古朝の隋への国書に、
   日の出る方の意の「日出処」(『隋書』)とあり、はじめは必ずしも定まって
   いなかったようである。国号としては、大化元年(六四五)七月の高麗
   (こま)・百済の使者に対する詔の中に「明神御宇日本天皇」(『日本書紀』
   孝徳紀)とあるのが、対外的にわが国の方で用いるようになった例とも
   見られるが、しかしこれは『日本書紀』の撰者が、のちの公式令(くしきりょう)
   の用語を用いて記事を修飾したものとする見方が今日では有力である。

227 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 18:49 ID:ytLN4vVM
(続き)
   この詔の「日本」は音読みにするとされており、前記の『日本書紀』神代の
   訓注で特に「日本」を「やまと」と読むように示しているのは、『日本書紀』
   で新しく「日本」の称呼を用いるようにしたから(『古事記』では「日本」は
   用いられていない)のことであるといわれる。中国の史書に「日本」の
   称呼が出てくるのは『旧唐書(くとうじょ)』倭国日本伝からであり、そこ
   では倭と日本の二つを別にあげており、「倭国者、古倭奴国也、(中略)
   日本国者、倭国之別種也、以3其国在2日辺1、故以2日本1為v名、
   或云、日本旧小国、併2倭国之地1」と記す。それに続く『新唐書』日本伝
   では、「日本、古倭奴也、(中略)咸亨元年(六七〇)、遣v使賀v平2高麗1」
    後稍習2夏音1、悪2倭名1、更号2日本1、使者自言、国近2日所1v出、
   以為v名、或云、日本乃小国、為2倭所1v并、故冒2其号1」と述べる。
   いずれにせよ、三韓・中国などとの国際的関係から生じてきた国号で
   あり、音読されるのがならいであったと判断される。 (以下略)

 「日出処天子」云々が「日本」という国号と直接つながるとは言えないまで
も、我が国は太陽の昇る国であるという発想が推古時代から存したという
ことは確実に言えると思います。次に、「日本」という国号の成立時期ですが、
『日本書紀』の成立した720年には成立していたことは確実であるものの、
上限については何とも言えません。せいぜい7世紀後半〜8世紀初頭という
のが現状では精一杯ではないでしょうか。

228 名前:北斗名無星点 投稿日:2002/03/14(木) 19:01 ID:MlZGaYgc
NHKの「その時歴史が動いた」では白村江の戦いでの敗戦ショックで
国家を一新する際に国号も改めたというようなニュアンスでしたね・・・。

>日本=やまと
そういやヤマトタケルノミコトも、倭建命と日本武尊と二通りの書き方が
あったり。


229 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/14(木) 19:21 ID:9jRJTlIc
いつも疑問に思ってることですが、娜々志娑无 ◆NcNEDmUAさんは、
引用文を全部タイプするんですか?だったら凄い。

230 名前:チルチルサー 投稿日:2002/03/14(木) 19:24 ID:lKlHQPmk
>>225

中期朝鮮語ではssahoda / psahodaという形であり、
ご指摘のssaudaは中期朝鮮語の語形ではないので
困っているわけです。(笑)いや、困る必要は
何ひとつないのですが。(ssaudaは現代語ですね。)

231 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 19:58 ID:ytLN4vVM
>>225 メットミュージアムさん
>>230 チルチルサー さん

 『李朝語辞典』はもう同僚の先生に返却してしまいましたので、手元に
適当な朝鮮語辞典がなく、確認出来ないのですが、「戦う」の意の中期
朝鮮語は濃音ssahodaではなく平音sahodaではありませんか。いや、
安本美典氏『日本語の成立』(講談社現代新書)所収の「日本語、朝鮮語、
アイヌ語の基礎語彙表B-1」に、to fightとして現代朝鮮語s'a'u-、中期
朝鮮語saho-と記されているもんで。

 ちなみに、平音の濃音化現象については李基文氏『韓国語の歴史』に
以下のように言及があります。

   十五世紀中葉にはK†z†-(牽く)であった語幹が、『法華経諺解』
   (七ー九一)と『杜詩諺解』(八ー六六)ではs†k†z-と現われ、それ
   以前の文献にはtih-(搗く)で現われていた語幹が、『救急簡易方』
   (一ー一〇・一四・一七)ではstih-と出る。激烈性を帯びた動作を
   より印象的に表わすため語頭音が濃音化した例がある。このような
   傾向は十六世紀になればより強くなる。『続三綱行実図』にskucis-
   (叱る、十五世紀kucis-)が処々に見え、『訓蒙字会』にspih-(下五、
   撒く、pih-)、ssip-(下一四、[ロ禽]カむ、sip-)等、『分門瘟疫易解方』
   にsk†rh-(沸く、k†rh-)、ssahΛr-([坐リ]キる、sahΛr-)等の例が
   見える。                  (同書「後期中世語」144頁)

    すでに十五、十六世紀によく現われたことのある平音の濃音化
   及び有気音化は、近代に入ってさらに広まった。まず濃音化の例
   として、次のようなものが初期近代語文献からつけ加えられる。
   例。ss†t-(新続三・烈女図 五ー一三、拭う、<s†s-)、stur-(朴・
   上一四、鑽ウガつ、<t†rp-)、skos-(訳・上四三、挿す、<koc-)。
   濃音の印象的効果を利用して表現が強化された例である。
                             (同書「近代語」224頁)

 李氏によれば、平音の濃音化現象は十五世紀に始まり、十六世紀に
なると例が増えるが、より盛んになるのは十七世紀以降ということの
ようです。また、近代語において非語頭音節のoがuに変化する傾向
が強いという記述も見えます(同書「近代語」229頁)。両者を加味
すれば、sahoda→ssaudaの変化の時期は十七世紀以降という
ことになりそうですが、実際はどうなんでしょうか。チルチルサーさん
はどうやら『李朝語辞典』をお持ちのようですから、この辺のところを
『李朝語辞典』でご確認頂ければ幸いです。

232 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 20:01 ID:ytLN4vVM
>>229 メットミュージアム さん

 ネット上にソースが転がっていればコピペで済ませられるのですが、
残念ながらそういうケースは稀ですので、手持ちの資料からせっせと
手打ちで入力しています。>>226-227はさすがに疲れましたyo!(^^;

233 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 20:16 ID:ytLN4vVM
 それにしても、いくらWeb辞書とは言え、実際に存在したかどうか極めて
疑わしいssaul-abiという語が、古語として堂々と朝鮮語の辞書に早くも
採録されていた(>>225のリンク先参照)ことには驚きを越えて呆れ果てま
した。 どうやらサウラビ=侍の既成事実化は着々と進んでいるようですね。
メットミュージアムさんの母国の悪口を言うのは大変心苦しいのですが、
韓国には学問的良心という言葉は存在しないのではないかと本気で疑わ
ないではいられません。

234 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/03/14(木) 20:55 ID:Df6R6fXk
私の韓日辞典(小学館)にはアビは<卑>ってある。そんな言葉を
武人に対し使うのかって聞きたい。たとえコリアの歴史では武人が
軽視されていたとしてもねえ。
>>233
まあヤフーコリア国語辞典ってありますから少なくとも正統な学者は
みとめないと思いますよ。サウルアビ自体、金容雲の造語でしょう。
まあそれ以外見たことないっすから。

235 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 23:01 ID:ytLN4vVM
>>234 :竹埼季長2 ◆T/zSkROU さん
 ん? もしかしてそのヤフーコリア国語辞典って、日本で言えば
2ちゃん用語集なりハン板の悪魔の辞典みたいなものなんでしょうか。
それなら>>233のように目鯨立てるほどのことはなかったかな。

236 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/14(木) 23:06 ID:9jRJTlIc
いちおう言って置きますが、225で私が言いたかったのは、
아비(アビ)という言葉には、父という言葉だけではなく、
他の意味もあるということです。

私が言い出した理由は、侍の語源に付いて言いたいわけではなく、
それとは別に韓国語には아비という言葉があるから、싸울아비という
言葉が中世韓国にあっておかしくないかなーという素人の考えがあったからです。
(証拠が、どうのこうのじゃなく、純粋に可能性の問題ですが)

娜々志娑无 ◆NcNEDmUAの文章では、「アビ=父」だから「サウラビ=侍」説はおかしい
とのことだから、それはちょっと違うのでは?と思いました。

それと、싸울아비=侍という珍説は、私も2chで知りましたね。
私が昔読んだ、韓国人による日本史の本でも、侍は「主人のそばにいる人」
と言う古語からきたとのことですから。(이야기 일본사と言うステディセラーの本です)

237 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/14(木) 23:39 ID:ytLN4vVM
>>236 メットミュージアムさん
>娜々志娑无 ◆NcNEDmUAの文章では、「アビ=父」だから「サウラビ=侍」説はおかしい
>とのことだから、それはちょっと違うのでは?と思いました。

 メットさんのおっしゃっているのは、>>165の書き込みのことだと思いますが、
「「アビ=父」だから「サウラビ=侍」説はおかしい」と主張されているのは私では
なく、>>165の在日の大学講師の方(かた)です。まぁ私も>>166でこの方の主張
にほぼ同意をしていますから、そう受け取られても仕方ないと言えば仕方があり
ませんけどね。この件についての私の主張は、

http://teri.2ch.net/korea/kako/979/979229365.html
日韓合作映画「サウラビ」のゆくえ

の308-312と329-331を御覧頂ければおわかりになると思いますが、私は主に
音韻の面からサウラビ=侍説を批判しております。既に何度も言っています
ように、朝鮮語は私の専門外ですし、一言もしゃべれませんが、abiが現代
朝鮮語のapсt∫i(父)、中期朝鮮語のapa(父)と同系の語であることくらい
はわかります。abiに「人」という意味もあるということはメットさんのおっしゃる
通りなのでしょうが、それでも「人」という意味は派生によって生まれた第2義的
なものであり、abiの本来の意味はあくまでも「父」であるということはお認め
頂きたいですね。それに、サウラビ=侍説論者に言わせれば、サウラビは古代
朝鮮語だそうですから、古く遡れば遡るほど、abiは第2義の「人」よりは本義で
ある「父」の意味で使用されていた可能性が高いはずです。

238 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/15(金) 00:09 ID:SnLF3mFE
>>237
アビについては、まあ、認めますよ。
私は、べつに「サウラビ=侍」説論者なわけでもないし。

私が言ってるのは、侍とは関係のない、サウラビという
韓国語があったとしてもおかしくはない、ということですから。
(あった、といってるわけではなく、あってもおかしくない、です)

239 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/15(金) 01:43 ID:QXuknRJ2
>>238 メットミュージアム さん
 とりあえずお認め頂けたのは有難いですが、>>238を読む限り、
どうもメットさんとしてはまだ完全には納得出来ていない様子ですね。
なるほど、金容雲がサウラビ説を主張し始める以前にssaul-abと
いう語が朝鮮語に100%の確率で存在しなかったことを証明する
ことは困難です。メットさんもご存知とは思いますが、あったことを
証明することは出来ても、なかったことを証明することは出来ません
からね。所謂悪魔の証明って奴です。しかしながら、ssaul-abiという
語が金容雲以前に朝鮮語に存在したということを立証出来る文献上
の証拠が存在しない以上、ssaul-abiという語が朝鮮語に存在した
確率は限りなく0%に近いと言ってよいはずです。「あってもおかしく
ない」という論法が常に悪いとは言いませんが、この論法、トンデモ系
の疑似科学者がよく使う論法であることにご留意下さい。そもそも、
学問はどの分野であっても、より確実性の高い推論の方を正とする
ことで成立しているものです。より確からしいものを捨ててわずかな
可能性にすがるのがいかに危険かは、まともな研究者を目指して
おられるメットさんなら当然おわかりになると思うのですがねぇ。

240 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/15(金) 01:48 ID:QXuknRJ2
>海底少年さん

 私儀、15日から19日まで旅に出ますので、その間こちらには
一切アクセス出来ません。てなわけで、しばらくご面倒をお掛け
しますが、留守の方、宜しくお願いしますね。ではでは(^^)/~~~。

241 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/15(金) 01:55 ID:SnLF3mFE
>>239
「悪魔の証明」か…、たしかにそう読めますね。
すみません。ちょっと逝っちゃいましたね。
ご忠告ありがとうございます。

私が言いたかったのは、ただアビには「人」と言う意味もあって、
だからサウラビは、165の「戦う父」じゃなく、「戦う人」とも
解釈できて、だから韓国語としては、165の引用文が言ってるような、
不自然な単語じゃないということでした。
やっぱし外国語で物を言うのは疲れることです。(w

242 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/15(金) 03:48 ID:qw2n5Sow
>>241 メットミュージアムさん
 いや、私の方も専門外の方に対して少々しつこく絡み過ぎた
かなと少々反省しております。メットさんがデムパでないことも、
そして今回の一連の書き込みでメットさんがおっしゃりたいこと
も、私は十分わかっているつもりですが、何せ私の専門領域に
関わることである上に、サウラビ問題は私にとってはハン板に
深〜く関わるに至った切っ掛けとなったことなものですから、
私としてはどうしてもこだわららないではいられないのです。
しかも、個人的にやや苦い思い出になってもいるんですよね。
何より最大の悔いは、サウラビ掲示板で紹介された韓国上古史
学会なる組織が、実はまともな学術団体ではなく、ただのデムパ
団体だった(野平俊水・大北章二著『韓国けったい本の世界・
韓日戦争勃発!?』138頁参照)ということを知らないまま、そこの
掲示板で活動しているアマチュア達を誉め讃えるするような発言
をしてしまったことです。ああ、恥ずかしや恥ずかしや(>_<)。
穴があったら入りたい…。

243 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/15(金) 04:05 ID:w9F5CE5s
 ちなみに、韓国上古史学会のHPはこちらです。

http://korea.hanmir.com/ktj.cgi?url=http://sanggo.mokpo.ac.kr/

一見まともそうに見えるんですけどねぇ(^^;。

244 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/15(金) 06:48 ID:SnLF3mFE
>>243
あーみえてもやってる本人達はまじめな場合が多いですからね。
あれは結局日本から入ってきた西欧的価値観を排除する一連の
運動の史学方面における暗部(?)ですから。「西欧と日本に
よる史観を否定する!」のはいいけど、そこからが問題…。
本末転倒になるわけなんですよ。だから上古代史なんてものが
出てきて、ファンウンとか、ダングンの帝国が後付けで出てきて、
ウリミンゾッマンセーになるから、史学からは遠ざかるわけですね。
それがまた、史学会内部の権力闘争にも使われるし。あほくさ。
そういうわけで、これからも頑張ってください。

うちの大学の図書館には東アジアセクションがあるんですが、
中国神話関連の原語の本を探してる途中に、森安という日本人が
書いた中国神話の本の中国語訳を見つけました。(w
太平天国を西洋人から見た一次史料が、日本語になってるし。(w

245 名前:@@@@ 投稿日:2002/03/15(金) 18:40 ID:C45nT25Y
ニューズウィーク買いました。
件の記事ですが、とても読むに耐えません。ひどいもんです。

246 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/15(金) 18:55 ID:NNt4PILA
>>245
買っただと?
あんな電波雑誌にわざわざ金をくれてやるとは・・・
謝罪と賠償は求めないから、記事全文うぷしる!

247 名前:のなめ 投稿日:2002/03/15(金) 23:09 ID:qfuqGyuI
>245
ああ、あの記事ですか。

百済王氏が天皇の家来だったことを書いてくれなくては困りますね。
同じ高野新笠を母に持つ「崇道天皇」に関する記述も無いし。

「崇道天皇」は、別名を早良親王といいます。
藤原種継暗殺事件に関与した容疑で逮捕。自ら飲食を断ち、淡路への移送中に死去。

248 名前:海底少年 投稿日:2002/03/15(金) 23:25 ID:JjQVwIbs
くっつ!雑事にかまけてレスを怠っていたら、お出かけとは…したり。
娜々志先生、「大夫」の解説ありがとうございました。
俺が留守を預かると、独り言で沈みかねませんが。

メットミュージアムさん、娜々志先生は、きっとブラインドタッチャーですな。
レスの早さと濃さは、文語の専門家の面目躍如でせう。

ところで、メットミュージアムさんはアメリカ在住ですよね?
韓国語を喋っている時に、日本人と間違われたことはあるのですか?
ほとんどの欧米人には、日本語と韓国語の区別はつかないと思えるのですが。

>>245
既出かどうか判らなくてもいいから、気になる部分の抜粋きぼんぬ。

>>246
>自ら飲食を断ち、淡路への移送中に死去。
のなめさん、「崇道天皇」は抗議のハンガーストライキをしたのですか?
それとも、懺悔の意味で断食したのでしょうかね?

249 名前:@@@@ 投稿日:2002/03/16(土) 06:35 ID:oz2yPoXU
ニューズウィークから引用

 大和朝廷の皇太子と結婚した高野新笠は、百済の武寧王の血を引いていた。だが第二婦人の彼女は、朝廷に渦巻く陰謀から必死に身を守らなければならなかった。
 夫の白壁王は770年に光仁天皇として即位。第一夫人とその息子は、朝廷に災いをもたらしたとして幽閉された。代わりに世継ぎとなったのが新笠の息子で、781年に桓武天皇として即位した。
 桓武天皇には「韓国人」の血が流れていた。だが、国体護持にこだわってきた日本は、この話を何世紀にもわたってあいまいにしてきた。朝鮮半島から継承した文化的、歴史的、血縁的な「遺産」を直視してこなかった。


 出だしからこれですよ。ここだけでもいろいろ突っ込めます。あとは推して知るべしです。

250 名前:@@@@ 投稿日:2002/03/16(土) 06:41 ID:oz2yPoXU
ニューズウィークから引用

 宮内庁は考古学者による天皇家の墓の発掘を拒否してきた。「私有財産」だからというのが理由だが、朝鮮半島とのつながりが明らかになるのを宮内庁が恐れているからだ、との見方もある。

 
 感動するほどの馬鹿丸出し!!!
 



251 名前:@@@@ 投稿日:2002/03/16(土) 06:48 ID:oz2yPoXU
 約1700年前に朝鮮半島から日本に騎馬民族が渡ってきた、とみる専門家もいる。言語学者によると、皇室の祝詞は古代新羅で使われていた言葉に似ている。新笠が生きていた時代の畿内では、人口の約30%は百済を中心とした渡来人だった、ともみられている。

 現在、在日朝鮮、韓国人の多くは奴隷扱いこそされていないが、差別を受けている。強制連行された人たちとその子孫約60万人は、居住権はあっても参政権はなく、事実上無国籍の状態だ。


 なんだか胸が悪くなってきたのでやめます。

252 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/16(土) 09:00 ID:WfBc9KqI
戦前は「天皇は半島からきたから朝鮮を支配できる」という理論がまかり
通っていたことを知らないのであろう。無知は怖い。

253 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/16(土) 11:27 ID:Z7KxHdIg
 現在、在日朝鮮、韓国人の多くは奴隷扱いこそされていないが、差別を受けている。強制連行された人たちとその子孫約60万人は、居住権はあっても参政権はなく、事実上無国籍の状態だ。

悪質なプロパガンダだ・・・


254 名前:名無しさんは@半世紀の歴史ニダ 投稿日:2002/03/16(土) 12:20 ID:HjJrXCiw
 >>253
 >参政権はなく事実上無国籍の状態だ。 
  よくこんな出鱈目なことを言えるね。
 例えば、北朝鮮について言えば、在日といえども北朝鮮の公民とされ、“17歳
以上のすべての公民は選挙権と被選挙権を有する”(金日成憲法66条)とされて
おり、17歳以上の在日朝鮮人も北朝鮮に、たとえ一時的にせよ帰国した場合であ
ったとしても参政権を本国での参政権を行使できるんだよね。総連の議長をはじめ
幹部の何人かは日本の国会にあたる最高人民会議の議員だったしね。北朝鮮の在日
にたとえ地方自治体の選挙権といえども付与することは、参政権の二重行使を許す
ことになりはしないかい。付与促進派はこの点についてどう考えてるんだろうね。
 ちなみに、あの在日党の李英和関西大助教授も北朝鮮留学の際、ちゃっかり選挙
権を行使している(「北朝鮮秘密集会の夜」より)。この人にもどう考えてるのか
意見を是非聞きたいね。

 



255 名前:海底少年 投稿日:2002/03/16(土) 12:27 ID:YeZoMGEI
す…凄すぎる…これがニューズウィークに載っているなんて…
抜粋の貼り付け感謝ハムニダ!

>皇室の祝詞は古代新羅で使われていた言葉に似ている。
突っ込み所か…と思っても具体例を出してるわけではないのね…。

>強制連行された人たちとその子孫約60万人は、
>居住権はあっても参政権はなく、事実上無国籍の状態だ。
強制連行とは、ひでえ言いがかり…しかも祖国に帰れば済むことを…。

256 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/16(土) 12:38 ID:fa9ZtKvM
ニューズウィークのバックには、中共がいるってのを
聞いたことがあるが、何か関係があるのか?

257 名前:Zep 投稿日:2002/03/16(土) 12:48 ID:wT1TrPJI
ニューズウィークったって,韓国版じゃなかった?

つまり韓国国内で韓国人が書いている,と。

258 名前:名無しさんは@半世紀の歴史ニダ 投稿日:2002/03/16(土) 13:09 ID:HjJrXCiw
 日本語版「ニューズウイーク」にも載せて欲しいね、こんな強烈な電波。


259 名前:>258 投稿日:2002/03/16(土) 13:18 ID:rLVyj9uE
日本語版だろ!ていうか極東版。

260 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/16(土) 13:21 ID:rLVyj9uE
>現在、在日朝鮮、韓国人の多くは奴隷扱いこそされていないが、差別を受けている。
強制連行された人たちとその子孫約60万人は、居住権はあっても参政権はなく、
事実上無国籍の状態だ。

これで日本政府が抗議しなかったらカスだぜ。
さすがに腸煮え繰り返ったから投書する。

ていうか本社に抗議しなきゃダメか・・・
こんなDQNクビにしなけりゃどうしようもない。

261 名前:<丶`∀´> マンセー 投稿日:2002/03/16(土) 17:17 ID:TbixdIxk
本家のニダーお誕生日スレにて先生の作品ハケーソ!
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1015457110/-100

262 名前:海底少年 投稿日:2002/03/16(土) 21:39 ID:AxePi4Yo
アンヌ隊員「死なないで、総督府!アゲ。」

>>261
筆まめな言語学者で、AAやら、民明書房やら、優れたネタ職人の娜々志先生。
しかし、何故か自ら主となったスレが「あぼーん」する…とも囁かれている。
つい…「器用貧乏?」…などという言葉が、頭をよぎるのであった。

263 名前:韓間 投稿日:2002/03/16(土) 22:07 ID:LHSsDC7I
俺が在日なら、反日言う。
そのほうが幸せ。
最近まで半島からの密航が多かった。
今は中国福建省からが多い。
徴用だけが在日ではない。
今の在日は半島で食えずに日本にやってきたもがほとんど。
ちょっとは感謝せんか!

264 名前:彷徨くん(流れ弾) 投稿日:2002/03/17(日) 08:18 ID:xY.Wx6sA
ニューズウィーク当該記事の記者名ウプキボーン

265 名前:名無しさんは@半世紀の歴史ニダ 投稿日:2002/03/17(日) 15:44 ID:22yDlHPU
 >>255
 この様な強烈な電波(プロパガンダ)をnewsweek誌が堂々と掲載するのは何か
他の意図があるのであろうか?例えば反日感情を煽ることで日韓を仲違いさせる
ことがアメリカ帝国主義の利益になるとか。

 >居住権があっても参政権はなく事実上無国籍状態だ。
 この様な理不尽な状況?に置かれてるとして、どうして在日は日本から離れない
のだろうか?

  >>263
 甘いですよ。差別を煽り立てる→日本人の贖罪意識に訴える→権利を獲得する
これが奴らの常套手段。奴ら(在日)は口が裂けても「そのほうが幸せ」など日
本への感謝の言葉を吐かないよ。

 

266 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/17(日) 17:48 ID:tb8h4hVk
>>264
文責はジョージ・ウェアフリッツと高山秀子となっとります。
日本語版のほうは少し時間が経たないと閲覧できないらしいので、
とりあえず英文版のほうをご覧ください。
http://www.msnbc.com/news/721979.asp?cp1=1

267 名前:彷徨くん(流れ弾) 投稿日:2002/03/17(日) 18:28 ID:xY.Wx6sA
左翼系思想論者の一番厄介なところは、メディアに入り込んでさも
当然のように主張を始めること。だな。

268 名前:266 投稿日:2002/03/17(日) 18:40 ID:lfmuwoio
記事では、江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」のほかに、
上田正昭氏や梅原猛氏らの説を引いてきてますね。
微力ながら一部を翻訳してみました。

 More recently, philosopher Takeshi Umehara, one of Japan’s best-known men
of letters,has taken up the theme. In his view, the rice god Ninigi was a
Tenson seafarer from Korea who introduced intensive rice cultivation and
imported an advanced culture, called Yayoi,which displaced Japan’s more
primitive Jomon tribes. His followers farmed in Takachiho and, after A.D.
300, interned their dead at Saitobaru,a broad plain where hundreds ofround
and keyhole-shaped burial mounds still dot the landscape.The biggest resemble
royal tombs found in Korea and Manchuria; several smaller tombs excavated
in the 1910s yielded terra-cotta ships shaped like ancient Chinese vessels
and saddles made of gold and copper similar to artifacts found in Korea.
“That mingling of the native Jomon people with the Yayoi people, who came
from abroad with rice-growing knowledge, created the Japanese people,”
he concludes.

 最近、日本でもっとも有名な哲学者である梅原猛氏はこのテーマを取りあげる
 ようになった。彼の考えによると、稲の神ニニギは、朝鮮から渡海してきた
 天孫族であり、集約的な稲作技術を導入し、「弥生」という先進文化をもたらし、
 日本の、より原始的な縄文の部族にとってかわった。
 ニニギに付き従ってきた人々は高千穂で農耕をおこない、そして、A.D300年以降は、
 西都原という広い平野に死者を葬った。そこには何百もの円墳・前方後円墳が
 点在する風景が今もある。
 最大級の古墳は、朝鮮や満洲で見つかった王墓に似ている。1910年代に
 発掘されたいくつかの小さな墓からは古代支那の舟をかたどった土器や、
 朝鮮で見つかった工芸品とよく似た金および銅製の鞍が出てきた。
 土着の縄文人が、外国から稲作の知識をたずさえて到来した弥生人と混じり
 合った結果、日本人が生まれたと梅原氏は推論している。

梅原さんは、最近出された『天皇家の“ふるさと”日向をゆく』という本のなかで、
天孫降臨神話は歴史事実の反映で、天孫族は韓国から来たとか言ってるんですよね。
神代のことはとりあえず神話として考えるのが無難ではないかと思う(神話の核に
何がしかの史実がある可能性は否定しませんが)。
しかも、記紀の読み方がずいぶんムチャな感じですし。

269 名前:266 投稿日:2002/03/17(日) 18:42 ID:lfmuwoio
上田正昭氏の話

 A similar Korean influence has been exposed in the formation of the Japanese
imperial state in the seventh century. Ueda, the Kyoto University historian,
was the first to note the signs: in 1965 he publicly identified Niigasa, the
Korean princess, as Emperor Kammu’s mother and credited the period’s greatest
religious relic, a massive bronze Buddha at the Todaji Temple in Nara, to a
Korean artisan. He was upbraided by his peers and threatened several times by  ultranationalists. “One right-winger wrote me a letter warning: ‘You’ll be
punished by heaven’,” says the dapper 74-year-old scholar.

 同様の朝鮮の影響は7世紀の日本古代国家の成立において明らかにされている。
 京都大学の歴史学者上田正昭氏はその証拠に初めて言及した人である。
 1965年に彼は、桓武天皇の生母の高野新笠が朝鮮人の妃であることを公に認め、
 巨大な宗教的遺物である奈良東大寺の大仏が朝鮮人職工の手によるものであるとした。
 彼は同輩から非難され、さらには国粋主義者から度々脅迫された。
 小柄な74歳の研究者はこう語る。
 「ある右翼はこんな警告の手紙をよこした。『貴様には天誅が加えられるだろう』」

上田氏には『帰化人』という著書がありますな。
高野新笠や大仏造営にかかわった職人は「帰化人」なのに、
記事にはKorean princessとかKorean artisanと書かれてしまう。

270 名前:266 投稿日:2002/03/17(日) 19:43 ID:5Hl7Lw7g
日本語の記事ありました。

「天皇が結ぶ日韓の縁 」
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_nih.html

271 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/03/17(日) 19:47 ID:j.xIG.Bo
コリア研究者は日本の朝鮮半島の出身を強調するが、それらが楽浪郡、
帯方郡によってもたらされた漢人系の文化ってのは無視するからな。


272 名前:大阪板から出張 投稿日:2002/03/17(日) 20:26 ID:QDkUl22I
街BBS大阪板
http://www.machibbs.com/kinki/bbs/read.cgi?BBS=osaka&KEY=1016032638
「日本一多い大阪の在日韓国人をどう思うか」スレッドで《88》なるデンパ在日が大暴れしています。
思う存分弄ってやって下さい。


> 187 名前: 88 投稿日: 2002/03/17(日) 19:44 ID:aIrcoc7U
>  ある人間が言いました 少年は心で決断する、大人は頭で決断するものだと!
> 確かに今の世の中、両方必要だし使い分けが俊敏に要求される毎日
> 良心との呵責にさいなまれることもしばしばや、されど頭でだけでしか判断
> できないような人間に魅力があるか?差別主義者の人間の特徴である
> 中途半端なIQだけを振りかざし、心ない発言を行い様ざまな人々を傷つけている
> 悲しく、寂しいことです
>
> 人間にとってEQ=心の知能指数が自分自身のためにもこの先出会っていく
> 大切な人達にもどれほど重要なのかを・・・・・・・・・・
>
> 俺は断言しとくど、年が若いからとか、そういう考えに至った経緯がどうあれ
> 間違いは間違いじゃー!!心ない発言で色んな人を傷つける卑怯な輩を
> 放置したり、知らぬふりは絶対せえへんど、憶えとけ!!


273 名前:メットミュージアム ◆wZ5sh2ek 投稿日:2002/03/17(日) 21:09 ID:.FXbSdtM
>>248
そんなことはありませんでしたよ。

274 名前:Zep 投稿日:2002/03/17(日) 21:18 ID:cqkcEdzI
>>270

THX.

なんだか,固定観念に縛られたステレオタイプな記事だね。

韓国サッカーチームの日本に対する敵愾心なんかも含めてさ。

275 名前:海底少年 投稿日:2002/03/17(日) 22:04 ID:NQ2Igd4Q
>266氏 翻訳と貼り付け、感謝ハムニダ。グッドジョブニダ。
最近、電波のゆんゆん濃度が高まってるような…頭が痛いニダ。

【韓国人で住んで行ったさむらい 】
http://korea.hanmir.com/ktj.cgi?url=http://newsweek.joins.com/
壬辰の乱時帰化した 日 長寿金忠善 韓-日 国民間に平和-理解の象徴になっている.
------------------------------------------------------------------------
1592年壬辰の乱当時倭軍侵略先鋒隊の一長寿だったサヤが(沙也可)が朝鮮に上陸した時何の考え
をしていたかは誰も分からない. しかし上陸後何日ぶりに彼は武器を捨てて数千名の旗下
さむらいと一緒に朝鮮に投降してしまう. ポルトガル船員たちによって導入した弔銃で武装した
彼らが矛・弓・盾で武装した朝鮮兵士らを殲滅することは難しくなかったはずだ.

それなのに彼は戦争が盛んでいる時自分の祖国を捨てて朝鮮に帰化を要請する. サヤがは
「この戦争は何らの大義名分もない戦争」と言いながら 「朝鮮の礼儀と文物風俗を美しく
思って礼儀の国で大人(聖人)の民になろうとする」と言う強化書を朝鮮長寿に送る.
先祖は彼の請願を受け入れて金忠善という名前を下賜する. 彼は朝鮮軍に弔銃作る方法を
教えて朝鮮が倭軍に対立して戦うように手伝ってくれる.戦争の終わった後 彼は真珠牧師の娘と
結婚して 5男 1女を置くようになる. 彼らの子孫は現在 7千名余に達してこの中数百人は彼らの
先祖が初めて定着した今の大邱市内で遠くないウロックリという所で住んでいる.日本では
さむらい村と知られている. 子孫たちは自分たちの詩調に対して大きい自負心を持っている.
サヤがの 14代手である金在席さんは「その方は平和を愛したヒューマニストだった」と
「多分現在生きていらっしゃったらノベル平和賞を受けたこと」と言う. 韓国と日本が
過去悲劇的な歴史を治癒しようと努力する現時点で ‘朝鮮人になったこのさむらい’の非凡な
一生は両国国民の間の平和と理解の象徴になっている. 金忠善の位牌の面倒を見た祠堂と彼の
遺品・文を集めておいた記念館は現在数千名の日本人と数万人の韓国人が毎年訪問している.
また日本高校生の数学旅行コースでも利用される. 日本人訪問者たちは長い間日本で卑怯な
表裏者に思われた人物が韓国では英雄もてなしを受けることに驚く同時に,日本を嫌悪する韓国で
7千名以上の韓国人たちが自分たちの先祖が日本人だったと誇らしく言うことを嬉しく思う.

一方韓国人訪問者たちは日本人に対する自分たちの否定的な先入観を変えてくれるこのさむらいの
人生に感銘受ける. 法務士であるシン・ハギュンさんは「このお方の偉い人生の前で普段感じた
日本人に対する敵対感が消える」と言う. 家族と一緒に記念館を捜したシンさんは金忠善が
“韓国人も日本人でもない世界人だった”と言った. 金忠善に対する記録は多くない. 一部学者
たちは彼が日本と韓国の間に位した対馬(対馬)島で育ったことで推正している.彼が帰化すると
彼の家族たちは滅族されたのか分からない. 多分そのためそれに対する記録が消えたかも
知れない.ではなければ彼が家族たちをいかすために仮名を使うことができたかも知れない.


276 名前:海底少年 投稿日:2002/03/17(日) 22:05 ID:NQ2Igd4Q
(続き)
事実はとにかく間に韓国では彼の英雄的な行績をよく記録している.
倭軍の弔銃に無気力な朝鮮兵士らの姿を見て彼は弔銃の製作法を伝授しただけなく
丙子胡乱とイグァルの私はでも大きい功を立てた. サムランの功臣で
調整から大きい官職と地を下賜受けた彼は高宗の時の楡林たちの上訴で兵曹判書に追書された.

彼は結局無事としての生を捨ててウロックに帰って来て学問に精進するようになる.
彼が書いた美しい詩調と文を見れば彼は無事利己よりは学者だった. 彼が子孫たちに
残してくれた遺言は異邦人として栄逹を望まずに静かに耕作して儒教の教えどおり
忠孝をつくしなさいというのだった. しかし彼の子孫たちにも栄辱はあった.
多くの数価ばらばらと散らばって暮したし, 約 2百家区だけがウロックに残った. 彼らは
現在唯一の日系韓国人たちだ.長い間楡林たちは彼の祠堂に祭祀を行って彼の功績を追慕した.

しかし日本では売国奴で知られて来た. 韓・日合併後朝鮮総督府はそれに対する記録が虚構だと
主張した.解放後にも彼の子孫たちは 韓・日関係が不便な時度に気苦労をしなければならなかった.
しかし最近になって日本も彼を再評価している.

1999年から一日本歴史教科書は彼が朝鮮に満開した「礼」と「義」「中華思想」を慕って
帰化したと書いている. 現在政治家たちを含んだ多くの日本人たちがウロックを訪問する.
彼の子孫たちはこの村を将来 韓・日友好の象徴で発展させる遠大な計画を持っている.
2010年この計画が完成されればここにはユースホステル・公園,
そして日本を象徴する桜たちが立ち入るようになる. (が病気鐘ソウル特派員)
------------------------------------------------------------------------

>韓・日合併後 朝鮮総督府はそれに対する記録が虚構だと主張した.
ここですら「韓・日」にすると日本が朝鮮を「併合」したのではなく、
朝鮮が日本を吸収「合併」したみたい…なんとも、ややこしい自尊心。


277 名前:ななし 投稿日:2002/03/17(日) 23:23 ID:nqYM4KCk
一応、検索したのですが、見つかりませんでした。
既出でしたら、すみません。

>ハングルをそのまま日本語として使っている言葉が多いと知り
>とても興味深く感じています。(ノッポ、もやもやする、
>はなから考えていないなどの、はな等)

ここで例としてあげられている、
ノッポ、もやもやする、はなからの三つは、
韓国語をそのまま使っているのですか?

278 名前:のなめ 投稿日:2002/03/18(月) 00:08 ID:18tgfe3M
ああ、上田正昭『帰化人』ね。金達寿とも繋がりのあった。
中公新書で、1965年の出版だったと思うが。(公に認めた?私人がかい?)
読んだのがずいぶん前なのでうろ覚えだが、内容的には朝鮮寄りですね。

>高野新笠が朝鮮人の妃であることを公に認め
いや、帰化人と書いてあったはず。
父・乙継は廷臣だというに。もし朝鮮人なら、日本名ならぬ「朝鮮名」を言ってみろ。

出来れば、『帰化人と古代国家』吉川弘文館/平野邦雄も紹介して欲しいところだ。
ムリか。
「武寧王陵は南梁文化そのまんま」とか書いてあるし。

279 名前:  投稿日:2002/03/18(月) 02:23 ID:Dqi.drS2
戦前は尋常小学校で教えていたんだろ?>カンムの外戚
隠すも何も無い(笑

280 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/03/18(月) 07:15 ID:cZjR654Q
なんか上田も関わってると思うが、七支刀百済下賜説って結構
信じられてるのかあ。

281 名前:266 投稿日:2002/03/18(月) 10:39 ID:bHc6Y1HU
>>275
これですな。
韓国に息づくサムライの血脈
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_rek.html

>金は朝鮮に鉄砲製造の技術を伝え、朝鮮軍はついに日本軍を撃退した。
鉄炮製造技術を伝えたのは金忠善ではなく、他の降倭であるらしい。
もし彼にそんな技術があれば、造兵部門に配属されたはずだが、
実際は北辺警備の任務についていることから、
彼は武人としての腕っ節を買われたのだといえる。
それに、朝鮮王朝が対日戦のなかで降倭を利用して造りえた火縄銃は
数が少ないうえに、役に立つとはいえない代物だった。
まともな火縄銃が造られ、定着するのは女真・後金(清)との戦いのころといわれる。

>「平和を愛するヒューマニストだった」と、14代目にあたる金在錫(キム・ジェソク)は言う。
>「今も生きていたら、ノーベル平和賞を受賞しただろう」
・・・笑うところですか?

282 名前:266 投稿日:2002/03/18(月) 10:43 ID:bHc6Y1HU
>>278
英文記事では高野新笠はKorean princessと紹介されていました。
この書き方では「朝鮮人の妃」「朝鮮(国)の王女」どちらの意味にも取れてしまい、
日本史に暗い人が「朝鮮の王家から姫を迎えたのか」などと勘違いしないとも
限らない。もちろん、新笠が「帰化人」であることもこれじゃ分からない。
執筆者はわざと混乱させようとしているんでしょうかね。

>出来れば、『帰化人と古代国家』吉川弘文館/平野邦雄も紹介して欲しいところだ。
あれは名著ですね。惜しいことに絶版となったようですが。
平野さんの「帰化」の定義は明快で分かりやすいし、
他のヘタレ学者と違って、「帰化」の語を学問的確信に基づいて
適宜に用いられているところが学者として信頼できますな。

>「武寧王陵は南梁文化そのまんま」とか書いてあるし。
韓国人の学者がそう指摘したらしいですね。

283 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/18(月) 10:54 ID:DJA01OH.
援軍派遣の感謝のしるしとして送るのを、半島では「下賜」というのかぁ(笑)

284 名前:のなめ 投稿日:2002/03/18(月) 11:36 ID:de4X.q.6
>執筆者はわざと混乱させようとしているんでしょうかね。
悪意でしょう。困ったものだ。
あるいは、「著名な人物は何代経ても朝鮮人」か?

>韓国人の学者がそう指摘したらしいですね。
金元龍。webcatにて「武寧王陵」で検索すれば出てくる。

285 名前:海底少年 投稿日:2002/03/18(月) 16:53 ID:vAvQI7yw
本気で頭イタイ…Korean princessが無い物ねだりの代名詞に聞こえてきた。
日本の皇室にこだわるくらいなら、李朝を復活させればいいのに…
…って確か、血脈は途絶えてなかったよね?

>>277
これはしたり、韓国語についての質問には企業家さんか、
メットミュージアムさんに、降臨いただかねばなりませんな。
「はなから考えていない」は「端(はな)」という日本語では
ないでしょうかね…いや、娜々志先生もお出かけしてるし…しばし待たれよ。

>>280
>七支刀百済下賜説って結構信じられてるのかあ。
剣に刻まれた銘文を、朝鮮に都合よく曲解した電波があったとか…
わりと昔の電波のようで、探しても見つけられませんでした。
「七支刀」といえば「七星剣」とも混同しがちで、
素人にはややこしいっスッドレ!(・∀・)

286 名前:74式 投稿日:2002/03/18(月) 18:17 ID:tAcgvinU
>>277>>285
ノッポに関しては、>>30で企業家さんが娜々志先生に質問しておられます。

私が血迷って、レスしてしまったので良く憶えています(w

>>53-58に娜々志先生のレスがありますよ。

287 名前:海底少年 投稿日:2002/03/18(月) 19:13 ID:AgFqleqo
>>286
なるほど、うっかり見落としてました。てへへ。

…って…総督府、また死んでるし…。

288 名前:277 投稿日:2002/03/18(月) 22:24 ID:D3nA36LQ
>>286
>企業家さんが娜々志先生に質問しておられます。
見落としていました、ありがとうございます。

>>287
企業家さんのスレまで出張していただいたようで、ありがとうございました。

あるMLで、「こんなの当たり前だけど」って感じで投稿があったので、
ビクーリして、質問したしだいです。
ただの電波だったみたいです。
ところで「万葉集や古事記は朝鮮語で読める」という電波を、
一番、わかりやすく撃退する答えはなんでしょう?
「古代朝鮮語って何?」…で良いんでしょうか?


289 名前:企業家 投稿日:2002/03/18(月) 22:39 ID:LGxjufO2
企業家です。
この「ノッポ」や「モヤモヤ」「はなからのはな」「ペコペコ」「クルクル」
「コツコツ」、確かに強弁すれば韓国語起源って言えそうなものは本当に
多いですね。
それで私も先生に質問したわけです。正直私は言語学的な「母音の変化」
「音韻の変化」等の規則はわからないものですから。
背が高いの基本形は「ノップダ」です。語尾をつけると「ノッパヨ」(昔はノッポヨ
で表記されていました)、ぞんざいな言い方で「ノッパ」です。
「なんだなんだ?」っていうのは韓国語では「ムウォ」。ぞんざいな言い方で
「ムウォヤ」で、口語ではこれを重ねて「ムウォヤムウォヤ」っていう事もあります。
ただ重ねずに「ムウォヤ?」って言うのが普通ですが。
ただ最近まで韓国語(ハングル)の表記って現在教えられているのと違うものが
ずいぶんありました。私の留学当時のテキストも今の標準表記と違うものがずいぶん
ありますね。

290 名前:ななしさん 投稿日:2002/03/18(月) 23:18 ID:N5eOUmfM
>「古代朝鮮語って何?」…で良いんでしょうか?

まさに。そのとおりです。(笑)

291 名前:在水原 投稿日:2002/03/19(火) 01:05 ID:g.kG/i0Y
>>288
専門家ではないのでよくわかりませんが、「万葉集が韓国語で読める」には、
二系統あるように思います。
一つは、意味は日韓同じで、言葉がそのまま韓国→日本と流れてきた、という
やつ。背が高いの「ノプタ」が「ノッポ」だっていうやつですね。
これだと、歌の解釈そのものには、大きな違いは出てきません。

もう一つは、全く違う意味の古代朝鮮語があって、それで読まないと万葉集は
解釈できないというやつ。
この二つは、韓国→日本という流れは同じでも、言ってることは全然違います。


292 名前:のなめ 投稿日:2002/03/19(火) 01:26 ID:6iacPZ8o
というふうに、「万葉集が韓国語で読めるニダ」という連中の間でも説が分かれている。
これは、古代朝鮮語とやらがほとんど分かっていないことに起因する。

「高句麗語の数詞のうち、日本語に似ているものが云々」というのが精一杯だろう。

293 名前:ななしさん 投稿日:2002/03/19(火) 02:48 ID:CStNysbQ
そんでもって、中期朝鮮語やら各地の方言やらを駆使して
読もうとしているが、中期朝鮮語自体は新羅系の言語で
あるため・・・(以下、略)。

294 名前:北斗名無星点 投稿日:2002/03/19(火) 16:34 ID:WRgRyLpg
 併合時に持ち込まれた日本語が、いつの間にか韓国古来の単語に
なっちゃってるのがあったりして、それで日本語と韓国語の語彙が
似ているので、日本語の起源は韓国語だなんて言い出してるっての
無いですよねぇ?

295 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/19(火) 17:34 ID:vuFY0St6
 ども。旅から無事帰って参りました。>おおる


>>244 メットミュージアム さん

 要するに、韓国上古史学会というのは、韓国超古代史学会(藁)みたいな
ものなわけですね。日本では上古という語は学問分野によっても多少異なり
ますが、大体奈良時代及びそれ以前の時代を指します。ただし、それ以前と
言っても上限はありまして、文献の存する頃までという制限が付きますが。
「超古代史学会」と名乗ってくれれば勘違いしないで済んだのに。ぶつぶつ。
まぁ日本にも創価学会という学会を名乗る宗教組織がありますので、韓国の
ことばかりあげつらうわけには行きませんが。


>>247 のなめ さん
>「崇道天皇」は、別名を早良親王といいます。

 細かいようですが、崇道天皇は諡号で、本名は早良親王と言うべきでは
ないでしょうか。


>>248 海底少年 さん

 まぁ一応ブラインドタッチは出来ますが、自慢出来るほどタイプが速い
わけではありませんので、長文はつらいです。それでも私がソースの打ち
込みにこだわるのは、将来を見据えてのことです。私が打ち込みさえすれば、
ネットにそのソースが新たに加わりますから、その後は誰でもそのソースを
簡単に利用出来るようになります。そうすれば、それをもとにして他の方々が
デムパ退治をして下さることを期待出来ます。さすがに私一人ではデムパを
すべて相手には出来ませんからね。私の打ち込んだ内容をコピペで利用して
もらえれば、わざわざ打ち込んだ甲斐があったというものです。そんなわけで、
今後ともどしどしご利用下さい。>おおる

296 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/19(火) 17:35 ID:vuFY0St6
>>251 @@@@ さん

 私はまだニューズウィークを見ていませんが、古代朝鮮語に似ている
というのは祝詞のことでしたか。それにしてもそういう話は聞いたことが
ありませんなぁ。試しにGoogleで検索してみたら、次のようなページが
ヒットしました。

http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNihonshi/Vol06.htm
> 奈良の天理市の近くに「石上神社」があるが、ここでは今でも毎年
>1月1日の早朝(紅白が終わってまもなく)祝詞を挙げる慣わしがある。
>内容は「ひふみよいむなや」で始まる意味不明の祝詞である。これを
>古代朝鮮語で訳した人がいる。内容は「返してよ、返してよ、お馬鹿さん」
>という意味だそうだ。

 このことですかねぇ。石上神社の祝詞については、既に過去ログその1

http://www2.yi-web.com/~kikaku/post/korea/kako/100/1000210540.html

の266-268で説明した通りで、古代朝鮮語なるものにお出まし願わなくても
まったく問題なく解釈出来るんですけどね。


>>262 海底少年 さん
 器用かどうかはともかく、貧乏は当たってます(藁。

297 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/19(火) 17:38 ID:vuFY0St6
>>277 ななし さん
 まず「のっぽ」については>>53で既に説明していますが、一箇所字句の
訂正をさせて下さい。

>これらの「のっぽ」系の擬態語の
>中で最も古い「のっぽん」の意味が
       ↓
>これらの「のっぽ」系の擬態語の
>中で最も古い「のっぽう」の意味が

 「のっぽん」ではなく「のっぽう」でした。

 次に「もやもや」ですが、日本書紀古訓に「もやもや」という語があり、
「頼りないこと」「不確実で心許ないこと」の意味で使用されています。
この語は疑問、推量の意を表わす助詞「も」「や」を重ねたものと言われ
ていますが、これと後世の「もやもや」が同一起源かどうかはわかりま
せん。現在の「もやもや」は『名語記』(1275年)が最古で、意味は「ある
思いや感情などが湧き起こったり広がったりするさま」「心にわだかまり
があって気持ちが乱れるさま」です。他に「ごたつくさま」「もめるさま」
「言い争うさま」「のぼせたり欲情が起こったりするさま」「煙や湯気が
たちこめてぼんやりしているさま」「朦朧として正体がはっきりつかめない
さま」「毛や草などが群がり生い繁るさま」など多くの意味がありますが、
これらの意味はせいぜい江戸初期にまでしか遡れません。

 さてこの語と間違いなく深い関係にあると思われるのが「もや(靄)」と
いう名詞です。「もや(靄)」は『日葡辞書』(1603−04)が最古ですから、
江戸極初期には存した語であることがわかります。『名語記』の例さえ
なければ、名詞の「もや(靄)」から副詞「もやもや」が生まれたと説明出来る
のですが、文献上の証拠からは、副詞「もやもや」から名詞「もや(靄)」が
生まれたと判断せざるを得ません。思うに、「もやもや」は同じ要素を重ねた
畳語の形になっているので、名詞化する際に「もやもや」から「もや」を異分析
によって抽出したものではないでしょうか。まぁ何にせよ、朝鮮語の「ムウォヤ
ムウォヤ(何だ何だ)」とは何の関係もなさそうですね。

298 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/19(火) 17:46 ID:vuFY0St6
(続き)
 最後に「はなから」ですが、この「はな」は「端」「先端」という意味で、
1182年頃成立の『有房集』という私家集に用例がありますから、少なく
とも12世紀後半には存在した語であることがわかります。「はな」は
「は(端)」「はし(端)」「はた(端)」と同じ語彙グループに属しており、
「は(端)」に接尾語「な」が結合して生まれた名詞であると推定されます。
即ち「は(端)」と「はな(端)」との関係は「こ(粉)」と「こな(粉)」、
「え(胞衣)」と「えな(胞衣)」、「す(洲)」と「すな(砂)」の関係と同じ
なのです。

 一方、朝鮮語の[hana](一)は古代語(新羅語)では[hсtсn]、
前期中世語でも[hΛtΛn]であったと推定されています(李基文
『韓国語の歴史』92頁)。tからnの変化は一般的ではありませんが、
あえて推定するなら、まずtが前の母音の影響を受けてdと有声化し、
次いでnに変化したのではないかと思われます。何にせよこちらも
無理でしょうな。

 そもそも、言語の系統を論じる際に名詞や動詞、形容詞から成る
基礎語彙の類を無視して、擬声語・擬態語の類や、名詞であっても
枝葉末節的なものを何の基準もなく恣意的に取り上げて比較し、
発音や意味が何となく似ているなどと言ってもまったく意味はあり
ません。まったく無関係の言語どうしであっても似た単語は少しは
必ず存在するからです。別に比較の対象は基礎語彙だけに限ら
なくてはならないというわけではありませんが、最低でも語彙の
選択には一定の基準を設ける必要があります。その上で比較し、
最終的に音韻法則を導き出すことが出来て初めて系統を論じる
ことが可能になるのです。

299 名前:ななし 投稿日:2002/03/19(火) 18:03 ID:vxOwIlSM
>>297

ありがとうございました。
これも日本の「自虐史観」の一種かもしれませんが、
日本語と韓国語で、音が似ていると、
無条件に「韓→日」で伝播(電波)と考える日本人が多すぎる気がします。
「自由」が韓国語の「ジャユ」だとか、
「社会」が韓国語の「サフェ」だとか…。

もうひとつ質問です。
韓国では、二十歳前後の人に対する呼びかけの言葉で、
「学生(ハクセン)!」というのがあります。
日本語の「学生」という言葉ははどのような歴史をもっているのでしょうか?

なんかスレのレベルを下げるようで気がひけるのですが。

300 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/19(火) 19:48 ID:vuFY0St6
>>299 ななし さん
 『日本国語大辞典・第二版』は「学生」について以下のように記しています。

   がく-せい【学生】〔名〕@学問をしている人。現在は普通、高校生以上、
     特に大学に通って学ぶ者をいう。生徒。書生。A旧陸海軍諸学校の
     准士官以上の生徒。
     [語誌](1)古くは「がくしょう」の読みで「大学」「国学」に学ぶ者や、
     寺院で専ら学問に従事する者を指した。近世では、一般に学問を
     する者を漢音系統で「がくせい」と呼んだと思われるが、それが、
     明治期の教育制度の確立と呼応して、具体的には英語のstudent
     の訳語として再登場し、一種の社会的身分を表わすようになった。
     (2)「文部省布達第一三号-明治五年八月三日」では大、中、小学、
     公、私学の別を問わず「生徒」としているが、「帝国大学令(明治一九
     年)第一五条」に「学生試験の件」とあり、また、「東京帝国大学官制
     (明治三〇年)第七条」にも「教授は〈略〉学生を教授し其の研究を
     指導す」とある。法令上で学生を大学に限ったのは、昭和二一年
     (一九四六)の帝国大学官制で、教授は「各学部に分属して其の講座
     を担任し学生を教授し其の研究を指導す」(第四条)とあり、一方、
     予科教授(専門部教授)は「生徒の教育を掌る」(第一四、一五条)と
     している。

 まず読み方についてですが、『日国大・第二版』を見る限り、「学生」を「がくせい」
と読んだ確例で最も古いのは1730年の洒落本のようですね。一方、「がくしょう
(がくしやう)」は平安時代に確例があります。まぁ両者の違いは漢音読みか
呉音読みかの違いですから、「がくせい」という読みが平安時代になかった
とは断定出来ません。特に漢音は奈良朝末期から平安時代初期にかけて、
時の政府が呉音を排して漢音を使うよう何度も奨励の勅を出していますから、
「がくせい」という読みも、定着はしなかったにせよ存在した可能性は高いで
しょうね。

 次に意味ですが、『日国大・第二版』には「がくしょう」と読んだ場合の意味
として以下のようなものが挙げられています。

   @令制で中央の大学、地方の国学に学ぶ貴族、有力者の子弟。平安
   時代、藤原氏の勧学院など諸氏の大学別曹で学ぶ者。文屋童(ふんや
   わらわ)。がくそう。A大寺にあって、学問を修めた僧。または、仏道を
   修めて、師匠の資格を有する者。修学僧。学侶。学匠。学僧。B学識。
   学問。C寺院にあって仏教以外の外典を習学する少年。

 @〜Cの中では@の用例が最も古く、「がくしやう」か「がくせい」かという
読みにこだわらなければ奈良時代にまで遡ります。もともと「学生」は漢語
で「学問を修める者。学校の生徒」という意味があったわけですから、@が
古くからあるのも当然ではありますね。漢語としてはその他に「弟子」「後輩が
先輩に対する自称。尊長に対する謙称」「同官の自称」「寺院に属して仏典
以外の学問をするもの」、更に現代中国語になると「商家の小僧」「男の子供」
という意味も付け加わるようです(『大漢和辞典』)。朝鮮でも当然「学生」という
漢語は使っていたでしょうから、半島独自の意味用法があってもおかしくは
ないですね。ご指摘の「二〇歳前後の人に対する呼び掛けのことば」という
意味は、日本の「がくせい」の@の意味が更に転じたもののようにも見えます
ね。ま、詳しくは朝鮮語辞典を見てみないと何とも言えませんが、もしかすると
朝鮮語の「学生(ハクセン)」は日本語から再輸入した漢語なのかも知れま
せんよ(w。

301 名前:ななし 投稿日:2002/03/19(火) 20:17 ID:vxOwIlSM
>>300
本当にありがとうございます。
勉強になりました。

銘旌(死者の官位・姓名を記した弔旗)・神主(位牌)・紙榜(紙で作った紙主)などで、
生前に官職につかなかった男子を高めて言う言葉

韓国Yahooの辞書にはこのように出ていました。

302 名前:のなめ 投稿日:2002/03/20(水) 21:52 ID:BdRffqy.
>295
例の記事に対する当てつけですよ。「そんなに天皇が好きなら、これでもどうぞ」。
慰霊のための追贈ですから、本名であろう筈がない。

『日本後紀』巻九逸文延暦十九年(八〇〇)七月条。
詔曰。朕有所思。宜故皇太子早良親王、追称祟道天皇、故廃皇后井上内親王、追復称皇后。
(注)
井上内親王は、廃太子他戸親王(これに代わって桓武天皇が即位)の母にして、わが子と同日に没した。

303 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/21(木) 00:14 ID:6AEpkm5I
>>302 のなめ さん
 なるほど。そういうことでしたか。しかしそれなら、廃太子とは申しながら、
早良親王はもったいなさ過ぎます。熊沢天皇あたりで十分だと思われ。

304 名前:ななし 投稿日:2002/03/21(木) 01:58 ID:mCCQYLj.
朝鮮語には「あいだのS」といって、合成語を作るときに
名詞+S+名詞のようにSをもぐりこませることがあります。
鼻水(khosmul)を例にすると、鼻(kho)+s+水(mul)のように
分解されるわけです。

ここから日本語の話に入りますが、「霧雨」「春雨」「氷雨」
のように「〇〇+雨」の場合も「アメ」が「サメ」に変わるので
「あいだのS」の影響がここにもあるから、同一起源だ!!と
わめきまくる人間が近所に居住しているのですが、無視しても
よいでしょうか?

305 名前:ななし 投稿日:2002/03/21(木) 02:34 ID:mCCQYLj.
奈良時代の日本語では、ある種の母音の連続を避けるために
paru + amE であれば、子音のsを挿入してparus+amEのように
したと理解しています。私は、日本語のこの現象は、あくまでも
音韻(ある種の母音連続)の問題であり、朝鮮語の「あいだのs」は、
形態上の問題であるため、同一視して扱うのは危険ではないか?と
考えていますが、娜々志娑无さんはどのようにご覧になりますか?

306 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/21(木) 08:17 ID:QwC79VkU
>>304-305 ななし さん
 大変興味深い話題なのですが、私、本日から2、3日、また
お出掛けなのです。この件に関しましては、戻りましてから
ゆっくりレスさせて下さい。取り急ぎ申し上げれば、日本語の
場合は(1)語彙が限定されている(「雨」と後は「稲」くらい)、
(2)母音連続を回避するためという機能がありそう、という
特徴があります。これらの特徴を見る限りは、日本語のそれ
と朝鮮語の「間のs」とでは随分性質が違うように思われますね。

307 名前:七支刀 投稿日:2002/03/22(金) 15:33 ID:qbSLGr36
なんかめちゃくちゃ下がってるのでage

308 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/22(金) 20:47 ID:m8oLbtmw
沈没寸前につき
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!age

309 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/24(日) 16:41 ID:M4bia.U2
>>304 ななし さん
 遅くなりましたが、無事戻って参りましたので、レスの方をば。

 まず朝鮮語の「間のs」について整理しておきたいと思います。
李基文氏の『韓国語の歴史』から関係部分を引用すれば以下の
通りです。

   古代語資料の示してくれる曲用語尾としては次のようなもの
  があった。主格 伊、是(-i);属格 矣、衣(-∧i/†i)、叱(-s);
  処格 中、良中など;対格 乙(-r)、[月兮](-h†r);造格 留
  (-ru)など。                 (同書「古代語」89頁)

   中世語の曲用語尾の特徴を挙げてみれば次のようである。
               (中略)
  属格語尾には-∧i/†iと-s(所謂「間のs」)があった。前者は人、
  動物のような有情物の平称に、後者は有情物の尊称と無情物
  に使用された。例。象 ∧i 香、m∧r∧i 香、syoi 香(釈・一九ー
  一七、象の香、馬の香、牛の香)、世導s 神力(釈・六ー七、世尊
  の神力)、c∧kyas os∧ran pasko 瞿曇∧i os∧r nip†sya
  (月・一ー五、自分の衣は脱いで、瞿曇の衣を着られ)、naras
  小民(竜・五二章、国の小民)等。語尾-∧i/†iは属格と処格に使わ
  れたが、有情物に用いられれば属格、無情物には処格となって
  区別された。               (同書「後期中世語」175頁)

注:主格…主語を示す格。日本語の「が」に相当。
  属格…名詞を他の名詞に連結させる格。日本語の「の」に相当。
  処格…場所あるいは位置を示す格。日本語の「に」「において」「で」
      に相当。
  対格…目的語を示す格。日本語の「を」に相当。
  造格…行為の手段やその行為に用いられる道具を表わす格。一般
      には「具格」と称するが、日本のロシア語学会ではそのロシア
      名から「造格」と称する。日本語の「で」「によって」に相当。

 これを見る限り、朝鮮語の「間のs」は新羅語に既に存在が確認され、
後期中世語ではもう一つの属格語尾-∧i/†iとともに属格を示したが、
両者には明確な使い分けが存したということがわかります。

310 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/24(日) 16:48 ID:M4bia.U2
 次に、日本語の方ですが、朝鮮語の「間のs」と関係がありそうなものと
しては、アメ/-サメ、イネ/-シネくらいしかありません(他に堅磐カタシハと
いう語もそれっぽく見えますが、美国ウマシクニ同様、堅カタシ+岩イハでしょう)。
以下、参考になりそうな文章を引用しておきます。

   雨アメが後項となって複合語が作られる場合、上代では「阿佐阿米の
  霧に立たむぞ」(記神代)のほかは、ハルサメ・ムラサメ・ヒサメ・ハヤ
  サメのように、すべてサメの形をとっており、サメには単独の例がない。
  サメのサは、接頭語とする説があり、「凍 暴雨、波也佐安女」(新撰字鏡
  享和本)「波夜佐雨久多美乃山」(出雲風土記楯縫郡)の例があるが、
  単独のサアメ、もしくはサメの例を見ないこと、接頭語を冠したままで複合
  語を作ることが類例に乏しいことから、なお問題を残す。コとアメとの複合
  によって起こる母音重複を避けるために、[s]音を挿入したものと解釈でき
  るが、他にそのような現象は、わずかにシネがそうかと思われるくらいである。
                  (『時代別国語大辞典・上代編』コサメの【考】より)

   しね[稲](名)稲。「和稲ニキシネ・荒稲アラシネ」(祝詞広瀬大忌祭)「み志禰搗
  ツく」(神楽細波)「十握ノ稲シネ之穂」(顕宗前紀)「稲種タナシネ三千斛サカ」(天智
  紀元年)【考】人名「味稲」(万三八五)が「美稲」(懐風藻)とあり、続後紀には
  「熊志禰」とあるから、「味稲」はウマシネと訓むのであろう。「熊志禰」のクマ
  は供米の意の奠クマか。また、「御真津日子訶恵志泥命」(記威徳)「観松彦
  香殖稲天皇」(威徳紀二年)の例がある。ウマシネ、ウヱシネはウマシ=イネ、
  ウヱシ=イネの縮約とみることもできるが、神楽歌や日本書紀古訓などに
  よってシネの語形の存在は確かであろう。そのシネがイネにs音の添加された
  ものとみるか、あるいは別に、もともとはひろくいね科植物をさした名称とみる
  かは、検討を要する。      (『時代別国語大辞典・上代編』シネの項より)

   さめ【雨】〔語素〕雨(あめ)。複合語の後項として用いられる。「春さめ」「秋さめ」
     「小さめ」「むらさめ」など。
     [語誌](1)母音ではじまる「あめ」が熟合する際、母音の連続を避けて
     子音sが挿入された形と見る説が一般的であるが、ほかには「いね」が
     「うましね」になるくらいで、子音の挿入される例はほとんどなく、「さめ」は
     「あめ」の古形だという説もある。
     (2)「はやさめ(早雨)」「はるさめ(春雨)」「こさめ(小雨)」に対しては、
     「はやさあめ」「はるさあめ」「こさあめ」という形も平安時代に見える。
     このことからすると、サメの元の形はサアメだとも考えられるが、もし
     サアメ→サメだとすると、このサがどういうものか説明がつきにくい。
     右の実例からは、サの前に立つのは、名詞、形容詞語幹、接頭語と
     さまざまであるが、このようなサという語は知られていない(「高さ」
     「早さ」などのサは形容詞語幹にのみ付くもので、別語と考えられる)。
     サメ→サアメと変化をしたものか。
                     (『日本国語大辞典・第二版』サメの項より)

311 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/24(日) 16:49 ID:M4bia.U2
   うる-しね【粳稲・粳】〔名〕粘り気のくすない米、または粟。もちに対して
     普通の米。うるち。うる。うるしめ。
     [語誌](1)シネは、イネ(稲)が複合語の後部にくるときの古形で、他に
     アラシネ(荒稲)・ニキシネ(和稲)などがある。コサメ(小雨)・ハルサメ
     (春雨)などのアメーサメの交替と同趣のもの。ウルは、潤うの意とする
     のが普通だが、オロ(愚)に通じる不十分・未熟の意とする説もある。
     (2)現代共通語としては用いられないが、方言形として岐阜・愛知に
     用いる地域がある。
                    (『日本国語大辞典・第二版』ウルシネの項より)

   うるち【粳】〔名〕粘り気の少ない澱粉(でんぷん)、アミロースを主成分とし、
     飯として常食にする米。うる。うるごめ。うるちまい。うるしね。
     [語誌]現代共通語として通用するが、関東・山梨・静岡東部・福島東部
     でも用いられる語。愛知・岐阜の一部に古形ウルシネがあるので、古く
     右記の地域にウルシネが行なわれ、やがてシネ(稲)の語義が忘れられ
     てウルシと下略され、さらにウルチになったと考えられる。
                     (『日本国語大辞典・第二版』ウルチの項より)

312 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/24(日) 16:58 ID:M4bia.U2
 このように、アメ/-サメ、イネ/-シネについては、大きく

   (1)母音連続を避けるために子音sを挿入した。
   (2)サメ、シネはそれぞれアメ、イネの古形。

の二つの説があるわけですが、(1)は類例に乏しい上に子音sとは何者
なのかという疑問を解決する必要があり、(2)はシネはともかくサメの単独
例が見えない点に疑問が残ります。(1)の子音sについては、渡り音(発音
運動において、ある単音から別の単音に移る際に生じる短い過渡的な音)
で説明する学者もいますが、なぜsでなくてはいけないのかが説明出来ない
のが最大のネックです。例えば、ココロツゴクという語が万葉集に見え、
「心動く」と解釈されるのですが、これなどは母音連続を避けるためにtが
挿入されたように見えます。ハルサメとココロツゴクを比べてみても、先部
成素はそれぞれル・ロであり、両者の音的環境に違いはほとんど認められ
ません。これらが渡り音の表記であればどちらも同じ音になるのが自然で
しょう。結局、s(tも)を渡り音と解釈するにはいろいろ問題があり過ぎるのです。

 そういうわけで、両者それぞれ問題があり、現状ではどれを是ともし難い
のですが、とりあえず愚見を述べれば、言語学の経験則「古語は複合語に
残る」を適用すれば、(2)でサメの単独例が見えないことも「極めて古い古語
だから」ということで一応説明可能ですし、sの由来についても、接頭語サと
いう極めて語形成力の活発な語が存することから、それぞれサ+アメ→サメ、
サ+イネ→シネということで説明出来ますので、私としては(2)の方が有力
かなと思っています。

 長くなりましたが、アメ/サメについての現状と私見は以上です。ま、その
ご近所にお住まいの方に対しては、上に述べたようなことを説明した上で、
仮に百歩譲って(1)の子音sが朝鮮語の「間のs」に由来するものであったと
しても、該当する例は日本語の語彙の数から見ればごくごく微々たるものに
過ぎないのであるから、日本語と朝鮮語の関係とやらもごくごく微々たるもの
ということになっちゃうねぇ、やれやれご愁傷様(藁、とでも言ってやって下さい。

313 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/25(月) 12:02 ID:05H0uNJU
アイゴー!主要住人がsageで書き込むから全然上がらないニダ!
謝罪と賠償(以下略)age!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           Λ_Λ
          < TД⊂ヽ
         ⊂    ノ
           人  Y
          レ (_フ

314 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/25(月) 16:10 ID:FZv.ZH9I
「万葉集は朝鮮語で読める」という説に関連して…

学研から『日本語の悲劇』(朴炳植)の文庫版が出てます。

http://www.gakken.co.jp/m-bunko/200203/edu_51.html

315 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/25(月) 17:01 ID:gZBRm4o2
万葉集が日本語で読める・・・と言うのについては
こんなHPがあります。
ttp://www.nicol.ac.jp/~choes/bibimbab/siru/intiki.html

トップページはこちら。
ttp://www.nicol.ac.jp/~choes/

朝鮮語についてのHPです。

316 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/25(月) 22:03 ID:d6edMp9c
最近はDNA解析などの発達により日本人のルーツもすこしづつ解明されて
きているようですが、こういった成果は日本語学に反映されているのでしょうか。

弥生時代に中国から人間が流入しているならもっと古い漢字資料がみつかっても
良いような気もするのですが。
(当時の漢字は使用頻度が低いということを差し引いても)

317 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/26(火) 00:42 ID:GraTLhl6
今のところ最古の漢字史料は志賀島出土の金印でしたっけ?

318 名前:のなめ 投稿日:2002/03/26(火) 02:26 ID:uZ.UKZaE
『玉勝間』本居宣長より。
--
儒者に皇国(日本)のことを問ふには、「知らず」と言ひて恥とせず。
唐国の事を問ふに、「知らず」と言ふをばいたく恥と思ひて、知らぬ事をも知り顔に言ひ紛らはす。
此はよろづを唐めかさむとする余りに、其の身をも漢人めかして、
皇国をばよその国のごともてなさむとするなるべし。
--
『閑田耕筆』伴蒿蹊(寛政11年)には、自国に疎い儒学者の話が出てくる。
 「『淡海公』(藤原不比等)を近江人と間違えた」
 「朝鮮通信使に日本のことを聞かれたが、何も答えられなかった」

新井白石・荻生徂徠クラスの学者ならともかく、一般の儒学者には、国史を軽視する傾向があったということだろう。
朝鮮通信使のご活躍を拝聴する際には、「こういう記述が出てくる背景」を考慮する必要がある。

319 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.ななし 投稿日:2002/03/26(火) 14:06 ID:p.Mgg9hU
娜々志娑无さま

309-312 にわたって、解説を頂きありがとうございます。
ともかく、言語学の素養の無い人間というものは、2,3の
共通点を見つけては「何かしら関係があるのでは?」と考えて
しまうものなのでしょう。

「あいだのS」について言えば、英語の所有格も 's で名詞と
名詞をつなぐのですから、(しかもこちらの方が、日本語の
「子音挿入」よりも生産的で朝鮮語の「あいだのS」に近似して
いますよね)英語と朝鮮語は同一祖語だ!と言ってもいいように
感じます。

320 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.SVLo 投稿日:2002/03/26(火) 14:30 ID:Fzd2ofSU
319は、私が書きこんだものじゃないです。
319で私が書きこんだのは、消えてしまっています(涙

321 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/26(火) 18:39 ID:iaDQLiPI


322 名前:漢文無知 投稿日:2002/03/26(火) 23:45 ID:HRtPxb0E
本家よりコピペ。本当でしょうか。「鮮」は知ってましたが。


「諸君」 4月号 「阿片としての中華意識」 高木桂蔵(静岡県立大学教授)

朝鮮という呼称も侮蔑的なものです。
中国皇帝に対して朝貢し、朝鮮国王を授かったとき、「貢ぎ物少なし」とつけられた。

「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」なのです。


323 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

324 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/27(水) 00:37 ID:Gdy5fRSM
>>322
大学の歴史の先生は、
朝鮮すなわち「朝(日)が鮮やかな所」という意味で、
中国からみて朝鮮は東に位置するからそう名づけられたんだと仰ってましたね。
その先生はヴァイキングの研究者なので、ちょっと真偽不明ですが。

それはそうとこんな本が出てました。

大野敏明『日本語と韓国語』(文春新書)
http://bunshun.topica.ne.jp/search/html/6/60/23/4166602330.html

本屋で見かけたので、ちょっくら立ち読みしたところ、
奈良←ナラ(国)説、百済←クンナラ(偉大な国)説など
しょっぱなから電波飛ばしまくりでした。
やっぱりこういう本は新聞記者とかじゃなく、ちゃんとした専門家に書いてほしい・・・

325 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 00:44 ID:vhm44Awg
>>320 鍋屋ヒョンニリム
 ヒョンがどういう内容を書き込まれたのか興味を引かれますねぇ。ぜひもう一度
書き込んで下さいな。


>>322 漢文無知 さん
 寡聞ながら、そういう話は聞いたことがありませんね。『大漢和辞典』をひもといて
みますと、朝鮮の国名の由来については、

(1) 国土に汕水が流れているから。「鮮」と「汕」は音通。
(2)東表日出の地であるから。

という二説が記されていました。ネットで検索すると、「朝の鮮やかな国」という説も
ありましたが、これを合わせれば三説あるということになります。このうちどれが
正解なのか、或いは他に正解があるのか、私には判断出来ませんが、『大漢和』
を見る限り、「朝」という漢字には「貢ぎ物」という意味はありませんので、少なくとも
その「貢ぎ物少なし」説はある一定の予断に基づいて作られた、まったく信ずるに
足りない説であると思います。どうせ捏ち上げるなら、「朝」に「まみえる」という意味
があることを利用して、「まみえること少なし」と訓み、語源は「宗主国に滅多に朝貢
にやってこない不誠実な国ということから」とでも主張すればよかったのにねぇ。
惜しいことです(w。

326 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 02:44 ID:Up4Yqr3Y
>>325
 修正ニダ!

ある一定の予断に基づいて
       ↓
ある種の予断に基づいて

327 名前:竹埼季長2 ◆T/zSkROU 投稿日:2002/03/27(水) 06:40 ID:nlAY9jK.
私は「朝貢する鮮卑」=朝鮮ってのは聞きましたな。
鮮卑が朝鮮民族ってのはコリアとしてはやりたいだろうなあ。以前KBSのシルク
ロード番組で鮮卑が朝鮮民族なんたらっていってた。北魏、隋、唐は鮮卑系列
の王朝だからウリナラマンセーには最高。


328 名前:漢文無知(仕事中) 投稿日:2002/03/27(水) 11:32 ID:93s97kes
有難うございました。何故か削除されてしまった(?)誰かの投稿によれば漢文の専門家
でもなさそうだし、おかしいなと思っていたのですが。

その先生、中国に留学していたようですから、そちらで中国の「伝説」を信じ込んだの
でしょうか。

329 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.SVLo 投稿日:2002/03/27(水) 16:29 ID:ZamSTXEk
>>325 娜々志娑无先生
内容・スレの流れのタイミングとも、間抜け晒しそうでナニなんですが(汗、、

>>316さんへのレスで「わたしド素人で書きこむの躊躇われるのですが、当時の中国で、
その地域に住んでた人間の極々一部しか漢字を読解したり書いたりできなかった(と思う)
ので・・」という内容です。

で、この上の内容は、誰かに教えてもらいたい次の内容(スレの趣旨からズれてるんで
すが)に続きます。

それで、その時代より下がって、藤原鎌足が出てきて、礼儀撰述とか律令刊定を行ったと
高校ん時習ったの憶えてます。
なんで鹿島で生まれた人間が、(この時代と同時代の中国でも)漢字を読み書きする極々
一部の人間の中でもその又極一部の人間しか、読解したり使用したりできない律令という
漢字の塊を自由に出来たのか?不思議だ、という内容です。

330 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.SVLo 投稿日:2002/03/27(水) 16:31 ID:ZamSTXEk
「読解したり、書いたり」ってヘンですね、すんません(汗

331 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.SVLo 投稿日:2002/03/27(水) 16:32 ID:.jg3uulY
あ、ヘンじゃなかった、か
勘弁>aii ん

332 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/03/27(水) 20:22 ID:nerAybd.
素朴な疑問なんですが、邪馬台国では漢字を使ってたんですかねぇ。
せめて中国語ができないと使者にもならないと思うのですが。

333 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 22:02 ID:SwamH3Mw
>>329 鍋屋ヒョンニリム
 日本列島に漢字がいつごろやってきたのか、正確なところはもちろん
わからないのですが、目下のところ、例の志賀島の「漢委奴国王」の
金印が現存する日本最古の漢字資料ということになりそうです。奴国
が漢に使いを送ったのが紀元後57年のことですから、金印も当然その
頃の資料と考えてよいでしょう。使いを送ったからには、当時の中国語
を多少なりともしゃべれる人間が奴国側にいたはずですが、それが倭人
(日本人)だったかどうかは何とも言えません。その後、所謂『魏志倭人伝』
にも記されている通り、239年に邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送って
います。この時に授けられた「親魏倭王」の金印は残念ながらいまだ発見
に至ってはいませんが、当然この時にも通訳をしたり上表文を書いたりした
人物がいたことは疑いを容れません。更に『宋書倭国伝』には421年以降
倭王が南朝・劉宋に度々朝貢をしていますが、478年の朝貢の際には倭王
の奉った上表文の内容まで引用されています。既にそれだけの漢文が
書ける者が5世紀当時の倭国にはいたことがわかりますね。

 実はこの5世紀という時期は日本人と漢字との関わりを考える上で極めて
興味深い時期なのです。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣銘には
「辛亥年」という年次と「獲加多支鹵(わかたける)大王」という王の名が刻まれて
おり、雄略天皇(大泊瀬幼武オホハツセノワカタケル)15年、即ち471年のものである
ことがわかっています。また熊本県の江田船山古墳から出土した太刀銘には
やはり「治天下獲□□□鹵大王」という銘文が刻まれており、やはり同時期の
ものと推定されています。5世紀後半の段階で埼玉と熊本という離れた場所
から雄略天皇の本名を漢字で記したものが発見されているという事実は、
大和朝廷の権力が既に日本列島の大半にまで及んでいて、「治天下」などと
中国に対して不遜な物言いが出来るくらいになっていたこと、そして日本語学的
な面では、それなりに漢字を読み書き可能な人々が、数としては少数だった
にせよ、全国的に分布していたことを我々に示してくれます。

334 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 22:06 ID:SwamH3Mw
(続き)

 問題はこの識字層がどういう人々だったかですが、4世紀後半から
俄かに半島を中心に多くの帰化人が来朝しています。彼等のすべてが
識字層であったとは当然考えられませんが、大陸からやって来た以上、
識字層がそれなりにいたことは容易に想像がつきます。そのような人々
の中には史(ふひと)として大和朝廷に迎え入れられた者もいたことで
しょう。既に述べたように、彼等の来朝以前にも文字の読み書きが出来る
人間が日本にいたことは間違いのないところですが、彼等の来朝以後、
日本に急速に識字層が増えたであろうこともまた否定は出来ません。
実際、4世紀の頃の制作と推定される[イ方]製鏡(ぼうせいきょう。中国の
鏡を模して日本で作られた鏡)の中には、漢字が左右逆転したり文様化
したりしたものが知られていますから、その頃の識字状況も高が知れよう
というものです。そういう意味では、日本人への漢字の普及に第一波の
帰化人が果たした力は間違いなく大きかったと思います。所謂王仁博士
の神話もそういう歴史的事実の反映なのかも知れませんね。

 なお、その後も帰化人達は5世紀末に第二波、7世紀後半に第三波と
いう形で日本に来朝してはいますが、彼等はその都度新しい知識を
もたらしてくれこそすれ、もうその頃には日本人の中にも一定の識字層
は存在しており、こと漢字の普及という問題に関してはせいぜい補助的
な役割を果たしたに過ぎないものと思われます。なぜそのように推定される
かと言うと、前記江田船山古墳出土太刀に「八十練=やそねり」という、
中国人とも半島人とも異なるいかにも日本人的な発想に基づく表現(和臭)
が既に見受けられるからです。古代の日本人にとっては「4」及び「8」が
聖数でしたが、中国人は奇数、高句麗・百済は「5」、新羅は「6」を尊んで
いたことが神話などの研究により明らかにされています。古代の日本人に
とっては「8」は「4」以上の聖数であり、「80」も日本神話には「八十国ヤソクニ」
「八十隈ヤソクマ」「八十島ヤソジマ」「八十万ヤソヨロヅ」のように「多数」の意味で
盛んに使用されています。これらの用例を見れば、「八十練」が極めて日本人
的な発想であるというのも納得頂けるのではないでしょうか。

335 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 22:10 ID:SwamH3Mw
(続き)

 そんなわけで、遅くとも5世紀には日本人の中にも識字層がいたことは
確実であり、その後も帰化人によって新たな漢字の知識が継続的に
もたらされていたわけですから、7世紀の段階では漢字・漢文に関して
相当の蓄積があったものと思われます。6世紀末から7世紀にかけて
推古遺文と呼ばれる金石文を中心とする10点の文献資料が存在します
が、その多くは和化漢文と言われる、日本語の語順に合わせた変体漢文
で記されています。和化漢文は日本語の表記という点で言えば、純粋漢文
よりも一層進んだものです。最早漢字・漢文を外国語ではなく自国語を
表記するものとして使いこなすに至っているわけで、これは漢字及び日本語
に対する十分な理解があったればこそのことです。その頃にはもう漢字は
史(ふひと)と呼ばれる書記や一部の官僚だけのものではなく、少なくとも
貴族階級は漢字・漢文をそれなりに使いこなしていたでしょうね。

 最後に大織冠・藤原鎌足が律令などを本当に理解し制定することが出来た
かですが、鎌足の周辺には遣隋使とともに隋に渡って直接学んで来た高向
玄理・僧文・南淵請安と言った留学組がひしめいていましたから、実質は彼等
が律令等を制定したのであり、トップである鎌足自身の素養は特に関係ない
でしょう。ま、大化の大出世以前にも神祇伯に進められたこともある人ですから、
一応それなりの識字層ではあったのではないでしょうか。鎌足が常陸・鹿島の
出身というのはどうも確証がないみたいですが、例え仮にそうであったとしても、
この時期であればどこの田舎であっても上流階級は漢字くらいは読み書き
出来たでしょうね。さすがに漢文を自家薬篭中のものとしていたとまでは
言えないですけどね。

336 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/27(水) 23:43 ID:6mztX3YY
 なお付言すれば、>>333-335>>316-317、及び>>332の諸氏への
レスも兼ねておりますので、あのように長文になってしまいました。
何にせよ、>>316さんと>>317さんには、レスが遅くなってしまい、
申し訳ない次第です。

337 名前:鍋屋犬左衛門 ◆a.3.SVLo 投稿日:2002/03/28(木) 11:14 ID:LzIQTF6s
娜々志娑无先生、ありがとう御座います。

338 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/03/28(木) 15:10 ID:MimmR3hQ
>>333-335
 補足です。今日、『古代日本の文字世界』(平川南編、大修館書店)という本を
購入して読んでみたら、最近はもっと多くの文字資料が見つかっていることが
わかりました。どうも考古学の方面には疎くて、申し訳ありません。以下、概要
だけを記せば次のようです。

@三重県安濃町大城遺跡出土・高坏脚部破片
  「奉(年?)」字を刻書。2世紀前半のもの。
A福岡県三雲遺跡出土・甕
  「竟?」字を刻書。3世紀半ば。
B長野県木島平村根塚遺跡出土・土器片
  「大」字を刻書。3世紀後半。
C三重県嬉野町片部遺跡出土・小型丸底土器
  口縁部に「田」字を墨書。4世紀初頭のもの。
D千葉県市原市稲荷台一号墳出土鉄剣銘
  「王賜」で始まる推定12文字の銘文が銀象嵌。5世紀半ば。

 日本最古の漢字資料についても私の知見を改める必要が出て参りました。
日本各地で新代の貨泉(紀元後14〜39年)や漢代の五銖銭が発見されて
いますが、これらの貨幣には漢字が記されています。よって、特に貨泉の方は
確実に「漢委奴国王」の金印よりも古い漢字資料ということになります。

 その他付け加えるべきこととしては、木簡に記された文字資料があります。
木簡はこれまでは7世紀後半以降の資料しか見つかっていませんでしたが、
最近では7世紀前半にまで遡るものが発見されているそうです。いずれにしても、
これらの木簡資料は先述した推古遺文と同時期のものであり、推古遺文と
同等の価値を有する極めて貴重な文字資料と言えましょう。

339 名前:海底少年 投稿日:2002/03/28(木) 20:05 ID:jA6afJ/Q
娜々志先生、挨拶もおろそかに、永らく留守にして済みません。
雑事に追われて、いましばらく手も頭も回りそうにないです。
疲労困憊って奴ですわ…申し訳ないッス。

340 名前:317 投稿日:2002/03/29(金) 00:49 ID:p9NVoY3.
娜々志娑无先生、解説ありがとうございました。
「八十練=やそねり」が日本人的な発想に基づく表現である
というお考えは非常に面白い。国語学者ならではの着眼ですね。

341 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/04/01(月) 01:36 ID:g9qu9NiI
こんなの見つけた。

例の吉野家コピペを方言で
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1010225642/


342 名前:こんなの見つけた 投稿日:2002/04/02(火) 22:19 ID:uG03U0JA
カタカナ:仏典「判比量論」にカタカナに類似した文字 [毎日新聞4月2日]
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20020403k0000m040114001c.html

 大谷大(京都市北区)が所蔵する朝鮮半島の新羅(しらぎ)の僧元暁(がんぎょう)
(617〜686)が著した仏典「判比量論」の8世紀中ごろの写本(重文)の行間から、
カタカナに類似した文字が見つかったと、小林芳規・広島大名誉教授(国語学)が2日発表した。
カタカナは平安時代以降の文献に見られ、800年ごろ国内で発生したとされる。
書き込まれた時期は不明だが、写本が完成した時点で記されていたとすれば、
名無しさんは@ネチズンニダ!

343 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/04(木) 13:40 ID:cYHqfZb.
>>342
日経の記事はカタカナにあたる概念は新羅発祥の可能性あるって解説だったね。
もともと漢字がメインで無い国であれば普通の発想かと思いますが、本家じゃ大騒ぎですな(w


344 名前:名無しさんは@ネチズンニダ! 投稿日:2002/04/04(木) 13:41 ID:Lq91ybEw
 こっちの方が写真入りでなおかつ詳しい記事なので

 「カタカナのルーツは朝鮮半島?」
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002apr/03/W20020403MWC1K1A0000018.html

345 名前:古代人 投稿日:2002/04/04(木) 19:44 ID:el6RaAHY
もしかしてガイシュツかもしれませんが、朝鮮半島から木簡は出土しないの
でしょうか。ハングル以前、三国遺事とか以前の文字資料は、少数の金
石文だけなのでしょうか。
日本では木簡の出土が続いているようなので。
http://osaka.yomiuri.co.jp/oldtopics/monosiri/ms1119.htm

346 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/04(木) 21:08 ID:Y67/Ht6o
>娜々志娑无先生
>>342 >>344の解説をお願いします。
ハン板の方では少し感情的な議論になってますので、ここは先生の冷静で
客観的な解説をお願いしたいです。

347 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/04(木) 21:23 ID:NSzDZHK.
>>346
ハン板のスレの>97を読むといいよ。

あのスレ論点がずれてきいるような……
娜々志先生が電波の可能性も、とか言っている人いるし。

348 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/05(金) 00:10 ID:21R687/E
>all

 >>342>>344の件につきましては、行きがかり上、本家の方に
書き込みましたので、御覧下さい。新聞報道によりますと、今回の
小林氏のは研究発表ではなく講演だったようですね。講演なら、
聴衆の興味をかき立てるために、少々あやふやなことでも確定的な
ことのように断定的な口調で話したりすることはよくあることです。
多分今回の事件は、小林氏がついサービスし過ぎたのを、マスゴミが
そりゃスクープだとばかりに面白おかしく取り上げたということなの
ではないか知らん。

349 名前:彷徨くん ◆NAtestWU 投稿日:2002/04/05(金) 08:06 ID:oktRD2mQ
>>348
ありがとござーまーす

350 名前:のなめ 投稿日:2002/04/05(金) 17:26 ID:1O4.lwy2
八世紀ということなら、新羅-日本の通交はあった。
(新羅に留学した僧侶は、還俗して官僚になっている)

で、「何で半島にはカタカナが残っていないのか」
ということになると、朝鮮語の完全な表記には不向きで、
一般的にはなり得なかったのではないかと思います。
郷札が廃れていった原因(表記の複雑化)を考えると。

しかし、今回のようなことを言うなら、アルファベットは
どうなってしまうのやら。
(日本だけ狙い撃ちだからいいのか)

351 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/05(金) 22:44 ID:/3cScXNU
娜々志娑无さん、こんばんわ。
以前、サウラビに関して発言したものです。
今回の小林氏の発表に関して、またまた某掲示板にて在日の朝鮮語の講師の方に
質問してみました。以下がその返答です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リンクされている記事の「角筆」の資料は、最近にわかに注目を浴びているもので、日本に
おいてよりも韓国でさかんに研究が進められている分野です。
 カタカナのルーツが朝鮮半島にあるかどうかはさておき、この角筆の文字がカタカナに
似ているというのは充分考えられることです。なぜなら、角筆の文字もカタカナも、その
起源はおそらく、漢文を読解するために漢文のところどころに朝鮮語(日本の場合は日本語)の
要素を漢字で表記して読みやすくしていたものが、だんだんと画数を省略していったもので
あると考えられるからです。朝鮮での「口訣」という文字も同様のものですが、これもやはり
カタカナと似た文字や同一の形の文字があることが知られています。
 「漢文」という文法体系の全く異なる言語を読解しようとするとき、似通った文法を持つ
朝鮮語話者と日本語話者が考えつくことというのは、やはり似たり寄ったりなんでしょうね。


352 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/06(土) 17:39 ID:HOT7uZXI
ウリナラマンセーウリナラマンセ /∧ウリナラマンセー/∧ ウリナラマンセーウリナラマンセー
ウリナラマンセーウリナラマン/ / λウリナラマン/ / λ ウリナラマンセーウリナラマンセ
ウリナラマンセーウリナラ/  /  λウリナラ/  /  λウリナラマンセーウリナラマンセ
         /   /  /λ /   /  /λ
        /    / / //     / / //λ
      /           ̄ ̄ ̄      _\
     /      (●ヽ      ⌒⌒   /∵ ) ヽ
   /        \丿\    ⌒⌒  / ●/   \
  /           \/ ヽ ∧(● ●)∧  ̄/    \
|      へ        ̄ ヽ ` ー― /  ̄     ヘ  |
|       \         |V V V V/      /    |
|         \       ゝ|   |/     /    /
 \          \      ∪\AA/   /     /
   \                ∪          /
    \                        /
      >             υ         <

あげるニダ

353 名前:ご案内 投稿日:2002/04/08(月) 00:20 ID:8WxgTZ9g
歴博「古代日本 文字のある風景 〜金印から正倉院文書まで〜」
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index64/index.html

古代朝鮮の文字資料の展示というのが少し気になります…

354 名前:tenpura ◆UMAIu01k 投稿日:2002/04/17(水) 16:45 ID:lEdtHKkg
くやしいのであげ(w

355 名前:倭呂太 投稿日:2002/04/20(土) 17:19 ID:efBORjnE
age

356 名前:南の猫 ◆Zqvj2L/. 投稿日:2002/04/20(土) 23:00 ID:/i6b/0QU
取りあえずレスをいれなきゃいかんかなあと(笑

357 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/24(水) 20:44 ID:M4bia.U2
 スレ主さんが逐電(笑)してもう1ヶ月近く。このスレもすっかり寂れて
しまいましたね。私はスレ主さんではありませんが、一応このスレでメイン
スタッフとして活動して来た経緯もあり、さすがに寂しく感じております。
ま、愚痴をこぼしても仕方がないので、たまには私が話題の提供をば。

 と言っても、すぐには適当な話題が思い浮かびませんが、以前私が
書き込んだ内容に関して、一部不正確な部分があることに最近気が付き
ましたので、今日は懺悔を込めてその辺の修正をしておきたいと思います。
問題の部分というのは朝鮮語の数詞の変遷に関してです。以前私は本家の

日本の歴史教科書は韓国が決める(第六章)
http://teri.2ch.net/korea/kako/989/989685587.html

の618に、日本語・高句麗語・朝鮮語の数詞を一覧表にして、

  日本語 高句麗語  朝鮮語
             (11C高麗時代)
1 pito    −−     hana
2 puta    −−     tuwul
3 mi      mil      seis
4 yo     −−     neis
5 itu     utu     tases
6 mu     −−     yesse
7 nana    nanun     ilgop
8 ya     −−     yedal
9 kokono   −−     ahop
10 towo    tek       yel

のように示し、高句麗語の数詞は朝鮮語のそれとは言語的に大きく異なって
おり、むしろ日本語の方に近いと述べました。この一覧表はその後私が韓国
のサウラビ掲示板に殴り込みをかけた際にも、ウリネッチズンのデムパを
論破するための基礎資料として使用し、大いに役立ちました。実際この表は
目で見てわかりやすいため、その後、いくつかのスレにコピペされているのを
見たことがあります。私としては作った甲斐があったというものでして、幸いな
ことだと思っておりました。

 ところが最近になって、上記の一覧表を作る際に参考にした村山七郎氏の
論文を読み直していて、私が11世紀の高麗時代の朝鮮語と思い込んでいた
ものが、実際には現代朝鮮語であって、11世紀の高麗時代のそれとは別で
あったということに気が付きました。すべては私の早とちりによるものでして、
誠に恥ずかしい限りです (>_<)。このまま訂正せずに放置しておくと、不正確な
知識が世間に広まってしまいます。自ら播いた種とは言え、これは私としては
誠に不本意です。そこで、誤りを訂正しつつ、新たに新羅語と中期朝鮮語
(15〜6世紀李朝時代)の数詞をも加えて、あらためて数詞対照表を作り直し
ました。即ち、以下の表です。

358 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/24(水) 20:45 ID:M4bia.U2
  上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   pito"    −−   hсtсn  hсtсn   hΛdΛh    hana
                 (一等)  (河屯)
2   puta    −−   tu"pс"r duβсr   durh     tu:r
                 (二尸)  (途孛)
3    mi     mil    −−    sei    s∂ih    se:s
            (密)          (洒)
4    'jo"     −−   −−    nei    n∂ih    ne:s
                        (廼)
5    'itu     'utu   −−   ta∫us  dasΛs    dasсs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−  −−    'jur∫us  'jсsΛs    'jсsсs
                       (逸戍)
7   nana   nanun  −−    nirkup  nirgub    'irgob
            (難)          (一急)
8    'ja     −−  −−    'jurtap   'jсdщrp   'jсdсr
                       (逸答)
9   ko"ko"no" −−   −−   'ahop   'ahob    'ahob
                       (鴉好)
10   to"'wo"   tek   −−    'jсr    'jсrh     'jс:r
            (徳)          (噎)

359 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/24(水) 20:47 ID:M4bia.U2
 なお、11世紀高麗時代の数詞の資料は『鶏林類事』という中国資料ですので、
高麗語はすべて漢字による借音表記となっております。そのため、正確な再構
には困難を伴うのですが、とりあえず『河野六郎著作集2』の朝鮮漢字音の研究
に従って私なりに再構を試みました。その後の音韻の変遷を考慮するといささか
妙な語形のものもありますが、あえてそのままにしております。

 さて、上記の表を見てもわかりますように、数詞を見る限り、高麗語(新羅語も)
が現代朝鮮語と言語的に直接つながるものであることは間違いありません。
結果的に私のこれまでの持論を変える必要はなくて済んだのは不幸中の幸い
でしたが、過去の書き込みに不正確な部分があったことは事実ですから、この場
を借りて深くお侘びしたいと思います m(_"_)m。

360 名前:拾い物 投稿日:2002/04/24(水) 22:45 ID:2NI4trCw
しお韓で拾いました。来月あたりには定説になろうかと..。

トトロの名前 韓国語なの?  
韓国では、宮崎駿さんのアニメーションに人気があります。
来日して、アニメの勉強をしたいと言う韓国の学生にも会いました。
私は「となりのトトロ」を何回見ても、実におもしろいと思いました。
あのトトロはドングリに関係が深いような印象を受けました。韓国語でドングリのことを「トトリ」と呼びます。
宮崎さんは、韓国語からこの名前を付けたと考えますが、正しいでしょうか。
「千と千尋の神隠し」では、名前を奪われた登場人物が本来の名前を忘れると、
元の姿に戻れないというシーンがあったように覚えています。これは、かつて日本が朝鮮の人たちに、
日本式の姓名への改名を強制した創氏改名と、どこかでつながっているのではないか、と思いました。
宮崎さんの作品には、韓国をはじめアジアの人々や文化へのメッセージが込められているようです。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7931/asahi-01.jpg


361 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/24(水) 23:02 ID:9FYtCYVU
>>360
それ、マスコミ板の基地外投稿スレでお祭りになってましたね。

362 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/04/25(木) 00:22 ID:Zz/knPRA
娜々志娑无帰還age!
やっぱ、それなりに言語の知識ないとこのスレには
レスしづらいな。

363 名前:海底少年 投稿日:2002/04/26(金) 11:29 ID:fg/Q1P5M
娜々志先生、御無沙汰してすみません、もう少し時間的猶予をば下さい。
頭のモード切り換えがままならず、思うように書き込みできません。
質問したいことは山ほどあるのですが、毎度のようにいささか板違いな
言葉の雑学っぽい愚問でありますし、せっかく解説していただいても
今は、頭が理解吸収をこなせる状態ではないので控えております。

スレッドは、誰が立てても皆で自由に使えるものですが、やっぱし総督府の
人口が少ないですな…いや、人が多ければそれだけ沈むのも早いんだっけ…。

ところで、娜々志先生がスレを立ててる!?と思ったらトーナメントって…。
今の俺にはややこしいので…チョト失礼します。雑事が一段落したら、戻ってきます。

364 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/26(金) 15:22 ID:4dysMVsM
>>363 海底少年 さん
 おお、生きておいででしたか。スレ主という立場上、時折顔を出してほしい
ところですが、ま、無理なさらず。

>>358
 高麗語の7に関しては、漢字音通り['irkup]とすべきでしたね。うっかりして
ました。でも、

   'irkup(11C) → nirgub(15C) → 'irgob(現代)

というのは、どう考えてもまともな音韻変化とは言えないことも確かです。
11Cのが[nirkup]であれば何の問題もないのですがねぇ。思うに、11Cのは
高麗時代で15Cのは李朝時代ですから、或いはこれは方言的な差異の反映
なのかも知れません。両者を比べれば明らかに頭子音nを持つ語形の方が
古形でしょうから、ある時期のある方言に頭子音nの脱落現象が発生し、その
結果頭子音nを残す方言とnを脱落させた方言に分かれたのではないでしょうか。
その後、高麗時代においては頭子音nの脱落した地方の方言が共通語になって
いたが、李朝時代には逆にまだ頭子音nの残存している地方の方言が共通語と
なった。しかしそれも、次第にnの脱落した語形に取って代わられたーというような
事情が想像されますが、勿論確証は何もありません(w。

365 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/04/30(火) 14:52 ID:.vw2Fk1w
>>358の表ですが、>>364のような問題点がありましたから、再度作り直しました。
今度こそ大丈夫だろうな。<わし

  上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   pito"    −−   hсtсn  hсtсn   hΛdΛh    hana
                 (一等)  (河屯)
2   puta    −−   tu"pс"r tuβсr   durh     tu:r
                 (二尸)  (途孛)
3    mi     mil    −−    sei    s∂ih    se:s
            (密)          (洒)
4    'jo"     −−   −−    nei    n∂ih    ne:s
                        (廼)
5    'itu     'utu   −−   ta∫us  dasΛs    dasсs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−  −−    'jur∫us  'jсsΛs    'jсsсs
                       (逸戍)
7   nana   nanun  −−     'irkup   nirgub    'irgob
            (難)          (一急)
8    'ja     −−  −−    'jurtap   'jсdщrp   'jсdсr
                       (逸答)
9   ko"ko"no" −−   −−   'ahop   'ahob    'ahob
                       (鴉好)
10   to"'wo"   tek   −−    'jсr    'jсrh     'jс:r
            (徳)          (噎)

366 名前:T@極東 投稿日:2002/05/01(水) 16:46 ID:EZB2RhIs
【人気】極東板トーナメント対策本部【投票】Part3
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1020235202/

 極東アジアニュース板の選対本部がパート3に
なりますた。今後ともよろしくおながいいたします。

367 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/05/03(金) 01:36 ID:/aVoFILQ
マスコミ板の 朝日のドキュン記事−その9− によると、掛け声の「せーの」
地名の「我孫子」は韓国が起源になるそうです。
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1020277956/22
いったい、朝日は何処の国の新聞やら




368 名前:海底少年 投稿日:2002/05/04(土) 01:16 ID:Hszkuids
娜々志先生、トーナメントに協力できなくてすみません。
デムパが発信されたようなので貼っていきます。

http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=cul&cont=cul0&aid=20020503221955700

『おもしろい日本語のルーツ』李南教(イ・ナムギョ) 怨恨を意味する日本語「恨み」は
韓国語のウルム(泣くことの意)が変形したもので、夫人という意味の
日本語の「女房」は韓国のヨボ(夫婦間で相手を呼ぶ際につかう言葉)と発音が似ている。

福岡韓国総領事であり比較教育学を研究した著者は、日本の文化と日本語を韓国の
古代文化に代入させた上で両国を比較している。
「韓国に渡っていった日本語、日本文化の物語」という副題が付けられている。 著者は、日本の五十音も
伽耶(カヤ、4〜6世紀、韓半島南部)の子守歌から由来したという見方を示している。
著者は価値観の異なる現在の両国の姿を比較しながら、調和の取れた韓日関係も模索している。


369 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/05(日) 01:22 ID:uV4D47lg
>>368 海底少年 さん
 いえいえ、所詮お遊びなのですから、お気になさらず。

 で、書き込みの件ですが、本家の

【飽きた】日本語は韓国語の古代語が起源【クドイ】
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=1020444670&st=66&to=67&nofirst=true

にコメントを書き込んでおきましたので、ご覧下さい。つっても、大したことは
書いていませんがね。

370 名前:海底少年 投稿日:2002/05/08(水) 15:55 ID:AMezk8Hc
--------------------------------------------------------------------
66 :娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/05/05 01:00 ID:mbo+wqUD
 ゴキブリがまた湧いて出たか(藁)って感じですな。こんなの、言語学的に
何の意味もありませんよ。この著者は間違いなく言語学のゲの字も知らない
人間です。言語学を少しでも齧ったことのある人なら、とてもこんな恥ずかしい
ことは言えません。この韓国人は、一般に言語学的に有用とされる手法に一切
依らず(多分依りたくても知らないから依りようがないのでしょうが)、朝鮮語と
日本語を漫然と比べてみて、意味と音が何となく似ているかな〜というものを
集めて、朝鮮語→日本語と主張しているだけのことです。その点では、>>9氏や
>>17氏の紹介された噴飯物のトンデモ説と何ら変わりはありません。実際、
彼が本当にやりたいことは言語学的な事実を云々することではなく、韓国人
お得意の小中華思想に基づいてウリナラ史観を開陳し、韓国をマンセーし、
日本を腐すことですよ。そんだけ。ほんと、下らない。

 彼の愚かな点は、彼にとって明らかに専門外の学問領域に対し、何ら敬意を
払うことなく愚説を並べ立てて日本語学及び朝鮮語学を汚したことだけでは
なく、結果的に彼の専門である比較教育学をも愚弄していることに気付いて
いないという点です。言語学も比較教育学も同じ文系の学問だから、専門外で
あっても簡単に口を出せるとでも思ったのでしょうが、その理屈が成り立つ
のなら、逆に比較教育学に対しても素人がいくらでも専門家の顔をして口を
出せるということになるのですがね。文系理系に関わらず、私は他の学問
分野に対しては一定の敬意を払うことにしています。自分の専門領域の学問に
多少なりとも誇りを持っている人間ならそうするはずです。この辺は国旗問題
と似ていますね。自国の国旗に敬意を払えない人間は他国の国旗にも敬意を
払うことは出来ないはずです。結局彼は自分の学問にも誇りを持っていないの
でしょう。そういう意味では可哀相な人間ではありますな。
--------------------------------------------------------------------

娜々志先生、一応こちらにも貼っておきます。
一顧だにできないデムパも、専門家のコメントが有るか無いかで
素人には見え方が変わりますので…。

ここ↓で、娜々志先生の解説が参照されてますな。やはり需要があるのは嬉しい。
【ユネスコの奇妙な歴史観 】
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1020738945/

371 名前:( ´∀`)ワショーイ 投稿日:2002/05/11(土) 18:32 ID:fMmDIG36
折角ですから上記のスレより娜々志娑无先生の解説を転載しておきます。


199 :娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/05/08 18:05 ID:HY6IipWB
 ワッショイ=朝鮮語説については既に野平俊水氏の著書等で完膚なきまでに
否定され尽くしておりますので、ここではワッショイ=国内起源説について一言
申し述べておきたいと思います。

 そもそも、ワッショイのような感動詞は名詞などの基礎語彙に比して時間の経過
に伴う語形の変化が著しいため、原形が保たれていることを期待する方が無理と
いうものですし、内容的にも文献上で辿るのが難しいのですが、とりあえず1899年
刊の『東京風俗志』に見えることから、その頃には確実に存したことがわかります。
同書には「和を背負う」から来たという語源説が載っているそうですが、当時「和を
背負う」という表現が巷間に流布していたという話は寡聞にして聞いたことがありま
せんから、まずもってこの説はワッショイに適当な語をあてはめただけの民間語源
の類であると考えてよいと思います。

 では正しい語源は何かと言われると、残念ながら現状では不明と言わざるを
得ませんが、個人的にはワッショイの語源は副詞「わっさり」ではないかと考えて
います。「わっさり」は室町末から口語系の文献に用例の見える語で、意味も
「あっさりしたさま」「気分が晴れやかなさま」「量の多いさま」など種々の意味が
ありますが、その中に「明るくにぎやかで威勢のよいさま」というのがあります。
この意味の「わっさり」から派生したと見られるのが江戸後期の口語辞典『俚言
集覧』(1797年頃成立)に初出の「わっさわっさ」という語でして、これは「多くの
人がいっせいに掛け声を出して騒ぐさま」という意味です。これらの「わっさ」系の
語が掛け声という特殊な環境のもとで不規則な音変化を起こして生まれたのが
現在お祭りの掛け声として使用されるワッショイなのではないでしょうか。

372 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/05/12(日) 02:43 ID:QT3R.iJI
ふと、思ったので質問ですが、
祭りの掛け声として、
「ワッセ」と「ワッショイ」が
ありますが同じような変化?として、
起き上がる時の掛け声(w
「ヨッコラセ」と「ヨッコラショイ」が
あります。
語形としてはどちらが古いのでしょうか?


373 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/12(日) 16:06 ID:AoYpNuM.
>>372
 正直に言えば、語彙の中でもワッショイやヨッコラショのような感動詞の史的研究は
残念ながらあまり十分になされているとは言えません。日本最大の収録語数を誇る
『日本国語大辞典・第2版』も、ヨッコラショ系の語で見出し語として収録されているのは
ヨッコラショただ1語のみ(類語としてはドッコイショも載っていますが)という状況です。
しかし実際には、ヨッコラショ以外にもヨッコラショイ・ヨッコイショ・ヨッコラセ・ヨッコイセ
など数々のバリエーションを、私個人の内省だけでも挙げることが出来ます。

 感動詞の史的研究が進んでいない最大の原因は、感動詞が基本的に口語の世界に
属する存在であるため、文献に登場しにくいことにあります。実際、古代語の感動詞で
知られているのはアナ・イサ・アハレなど少数の語に限られていますが、口語が文献に
頻繁に登場するようになった江戸期になりますと、感動詞の数は大幅に増えています。
また、>>371にもありますように、時代により個人により語形の変容が著しいという点も、
名詞などと比べるとどうしても体系的に取り扱いづらいため、研究が進まない原因の
一つにもなっているんですよね。

 言い訳はこれくらいにして、ヨッコラショの件に戻りますが、ヨッコラセのような数々の
バリエーションがある中で、ヨッコラショのみが辞書の見出し語として採られていること
から、一般にヨッコラショがその右代表として取り扱われているということがわかります。
辞書に見えないからヨッコラセの方がヨッコラショよりも新しいとは言えませんが、同じ
感動詞仲間のヨイショとヨイセではヨイショの方が古い(ヨイショ:1885、ヨイセ:1912)
ことから、ヨッコラセはヨッコラショからの変化形と考えてよいのではないでしょうか。
なお、ヨッコラショの用例としては1925年の川端康成の小説が示されていますから、
少なくともその頃から存することは確かなようです。

 ちなみに、類義語のドッコイショは1888年の用例が最古ですから、ヨッコラショよりも
古いことがわかります。更に言えば、ドッコイショよりもドッコイコリャコリャ(1780年の
用例あり)、ドッコイナ(1702年の用例あり)、ドッコイ・ドッコイドッコイ(ともに1679年
の用例あり)の方が古いようです。ヨッコラショの文献への登場はこれらドッコイ系の
感動詞やヨイショよりも明らかに遅れますので、もしかするとヨッコラショはヨイショと
ドッコイの融合によって生じたという可能性もあるかも知れません。ただ、それなら
ヨッコラショではなくヨッコイショになるはずですから、ヨッコラショが基本形となって
いることを説明出来なくなってしまうなァ…。う〜ん、弱った弱った(汗)。

374 名前:372 投稿日:2002/05/12(日) 23:38 ID:ygQcYX4o
娜々志娑无先生、詳しい解説ありがとうございました。
感動詞の歴史をたどる事は、難しいのですね。
言われてみれば、「チョベリバ」のように生まれて早々に、
死語の世界に逝ってしまった言葉もありますし(w。
#もしかして、100年ぐらい経ったら、流行語大賞は重要な言語資料(w


375 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/05/13(月) 09:28 ID:MNQR6G6M
既出かもしれませんが以前のスレで出ていた百済王氏の子孫の話です。
百済王氏の子孫は現在でも日本に残っているようです。
現在は三松氏になっているようです。

http://www1m.mesh.ne.jp/KODENSHA/jis/sec1/report02.html

もう出ていたらごめんなさい。

376 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/25(土) 02:16 ID:iuFxx282
 ここんとこ2ch人気トーナメントの選対の仕事にかまけて、すっかりここを
さぼっております。とは言え、さすがに放置するのは申し訳ないので、選対
の仕事の合間に本家のさるネタスレに書き込んだ内容でもコピペしておきます。

韓国に行って何もかもが好きになりました。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1021877338/611

611 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:02/05/21 00:17 ID:yAq79joo
 『故郷』の2番の歌詞は「つつがなしや 友垣」が正解ですよ。
「つつがなきや」と誤って記憶している人がかなり多いですが、
文末用法の場合、疑問の係助詞「や」は終止形に接続するのが
一般的です。連体形に接続するのは「か」が下接した場合。
古典文法を学ぶ高校生諸君は「ありやなしや」「あるかなきか」と
用例のまま覚えると吉。

 ちなみに、ツツガムシ→ツツガナシ説は語源説としては有名
ですが、ツツガムシの用例が中世以降のものしかないのに
対し、ツツガナシは平安期から用例が見えるので、疑わしい
というのが現在の一般的な見解です。「さしさわりになる」
「病気になる」の意の動詞としてツツムという語が奈良時代
から見えますから、おそらくツツガナシはツツムの語幹ツツ
と連体助詞ガと形容詞ナシ(無)の結合によって生まれた
語と思われます。ツツガムシもまたツツ+ガ+ムシという
結合で生まれたのでしょう。そういう意味では、ツツガムシと
ツツガナシにも意味的な関連はあるとは言えますが、→で
説明できるような関係ではないということです。以上。

377 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/25(土) 03:11 ID:iuFxx282
>>376
 このレスは上記スレで文部省唱歌「故郷」の歌詞が話題になった際、
歌詞に誤りがあったのと、「故郷」の歌詞に出てくる形容詞ツツガナシに
ついて誤った語源説が披露されていたので、それを訂正したものです。
ただ、ツツガナシの語源説についてはいまだ定説がないため、とりあえず
私なりに語源を推定して上記のような書き込みを致しました。しかし、
今考え直してみると、私の唱えた説にも少々問題ありそうです。一番の
問題点は、ツツガナシの語構成を、

  ツツ(動詞語幹)+ガ(連体助詞)+ナシ(形容詞)と

分析したことです。動詞と形容詞をガが連結して新しい形容詞を作った
例としては、アリガホシ(ありたい、居たい)・ミガホシ(見たい)という例が
ありますので、上記の如き分析も無理があるというわけではないのです
が、残念ながらアリガホシ・ミガホシ以外に例がないのがネックです。
しかも、ホシ(欲)ばかりでナシ(無)のものが一つもなし(藁)という状態
です。そんなわけで、どうもツツガナシのガを助詞と見るのは少々苦しそう
なのですわ。

 そうなると別の語源を考えなくてはなりませんが、ツツが動詞ツツムの
語幹であることは、ツツガナシとツツムの意味的な類似点に加えて、両語の
古代アクセントがともに高起式で一致するという点からもまず動かないところ
です。後はガをどう処理するかだけですが、助詞でないとするとあとは名詞
しかないでしょう。日本語にはカという一音節名詞はいくつかありますが、
この場合にふさわしいものとしては一つしかありません。即ちカ(処)です。

 カ(処)は場所を意味する語ですが、上代においてさえ単独での使用例
はなく、用例としては複合語の後部成素の例しかありません。そういう意味
では、名詞と言うよりは接尾語と言った方が適切かも知れません。以下、
例を挙げれば次の通りです。

  アリカ  アリ(有)+カ     オクカ  オク(奥)+カ
  スミカ  スミ(住)+カ     クヌガ  クヌ(国)+カ
  カクレガ カクレ(隠)+カ   ヲカ   ヲ(丘)+カ
  ウミガ  ウミ(海)+カ     ヤマガ  ヤマ(山)+カ

 このカ(処)がツツ(差し支えること)に付いて差し支えのあるところという意味
のツツガという語がまず生まれ、次いで形容詞ナシとくっついてツツガナシと
いう語が出来たと考えるとうまく説明出来そうです。ツツガムシはツツガ(この
場合は病気の意)とムシが結合して生まれた複合名詞なのでしょう。この説の
泣き所はツツガの単独例が文献に見えないという点ですが、>>376の説に
比べればこちらの方がずっと正解に近そうです。

378 名前:みや ◆F/o4D3II 投稿日:2002/05/26(日) 02:22 ID:ZlY9HxI2
娜々志娑无先生に質問です。

ttp://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1020478583/l50
の970に
ttp://www.visitseoul.net/japanese/j-wt-do/cen_exp_marcial2.htm
テッキョンとは、韓国民族文化の一つで、原始時代から始まった物だという。
はっきり確かめられてはいないが、三国時代(百済、高句麗、新羅)以前からだという記録が
『後韓書』と『日本書記』に残っており

一通り講談社学術文庫の「日本書紀」は、読んだつもりなんですが、
武術関係の記述が「日本書紀」にあったとは記憶にありません。

該当の記述が「日本書紀」にあるのでしょうか?

379 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/26(日) 16:18 ID:4dysMVsM
>>378 みや ◆F/o4D3II さん

 そのテッキョンのHPを見ましたが、なにぶん情報量が少なくて、具体的に
どういう記事が日本書紀に出て来るのかが判断しづらいのですが、幸い私は
岩波古典文学大系所収の日本書紀のテキストデータを持っておりますので、
まず文献上でのテッキョンの漢字表記だという「手拍」について検索してみた
ところ、1件だけヒットしました。と言っても、「大伴宿禰手拍(てうち)」(持統紀
三年六月条)という人名ですので、これはどう見てもあてはまりません。次に
テッキョンの特徴である足技に注目して「蹴」で検索をかけてみたのですが、
これも適当な記事がヒットしません。そこで、発想を変えて、いつもの伝で
連中は「相撲」の記事をテッキョンのそれと見なしているのではないか(藁)と
考え、相撲関係の記事を探してみたら、それっぽいのがいくつか見つかりました。

 まず一つ目は有名な野見宿禰と当麻蹶速の説話です。力自慢の当麻蹶速
の話を聞いた垂仁天皇が、蹶速を出雲国の力士・野見宿禰と戦わせたという
話ですが、野見宿禰が当麻蹶速を倒した技はことごとく足技でした。以下、
本文を引用します。

(垂仁天皇)則ち當麻蹶速と野見宿禰と[才角]力(すまひと)らしむ。二人
相對(むか)ひて立つ。各足を擧げて相蹶(ふ)む。則ち當摩蹶速の脇骨を
蹶み折(さ)く。亦た其の腰を蹈み折(くじ)きて殺しつ。(垂仁紀)

 相撲の話をテッキョンの起源として取り込もうとすれば、この説話はまさに
うってつけの内容でしょう。時代も垂仁天皇ですから、所謂三韓時代よりも
前の話になり、「三国時代以前」というテッキョンHPの記述とも一致します。

 二つ目は皇極紀元年七月の記事です。この月の二十二日に百済の使いを
宮中で御馳走するという行事がありましたが、その時彼等の前で相撲が取り
行なわれたという記事があるのです。これはテッキョンのHPの「当時は武芸
競技が国際的・外交的に重要な儀式の一つであった」云々の記述と対応する
ものです。

 以上を鑑みるに、ほぼ間違いなくテッキョンのHPの執筆者は日本の相撲の
記事を意図的にテッキョンの記事として見なしていると断ぜざるを得ません。
まぁ何というか予想に違わぬ朴李ぶりですな。『後韓書』はおそらく『後漢書』の
間違いでしょうね。残念ながら私は『後漢書』の方はテキストデータを持って
いないので確認は出来ませんが、どうせこちらも似たような朴李をやらかして
いるものと思われます。

380 名前:みや ◆F/o4D3II 投稿日:2002/05/26(日) 19:02 ID:ZlY9HxI2
先生お手間を取らせて恐縮です。
講談社学術文庫版にも該当の記事がありました。
垂仁7年および皇極元年7月22日
両記事を見ても、これがどうしてテッキョンの起源になるのか
全く不思議です。

はぁ デムパは、飛ばすより、叩く方が大変。

381 名前:名無しさん 投稿日:2002/05/26(日) 22:01 ID:in0/iqEc
http://www.asahi-net.or.jp/~gz4m-frkw/gokanjo.html#Top
テキストデータというか、東夷伝の一部ですが、これでいかがですかね?

382 名前:みや ◆F/o4D3II 投稿日:2002/05/26(日) 23:01 ID:KDgx1eZk
>>381
名無しさん ありがとうございます。
私の環境(2K+IE6)では、残念ながら一部文字化けがあります。

383 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/05/27(月) 00:38 ID:la6gyyDU
娜々志娑无がモナー板で職人さんって呼ばれててワロタ。

384 名前:774-3 投稿日:2002/05/27(月) 01:10 ID:QIxjefUw
 皆様お久しぶりです。いきなりですが、これ、何とかなりませんか・・・。

【電波計測器破壊】韓国語は全世界語の母胎である
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1022386930/


385 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/05/27(月) 01:29 ID:vhm44Awg
>>384 774-3 さん

 いやはや、誇大妄想もここに極まれりですね。もはや言語学者はお呼びじゃ
ありません。精神科の医師にご相談下さい。

【診断】
 重度の誇大妄想を伴うサイコパシー。半万年の入院加療を要する。
但し、予後は極めて不良につき、治癒の見込みはほぼジェロであると
思われる。ご愁傷様。


 まぁこれは冗談ですけど、韓国人だけでなく、日本人にも似たような
ことを考えている連中がいるから困りものです。前々スレに出て来た

「バベル」への周遊−日本語から人類祖語へ−
http://www4.justnet.ne.jp/~kenji99/japanese.htm

なんてのがまさに同じレベルですし(藁。

   石川や浜の真砂は尽きるとも言語デムパの種は尽きまじ(嘆息)

386 名前:S ◆eC/UtYBg 投稿日:2002/05/27(月) 01:33 ID:oF2JEM8w
>>384
民間人が韓国国内で言ってる分には無視していいのでは。
それを言うなら、日本にも日ユ同祖論等の電波は大量にありますし。

387 名前:製本業者@死して屍拾う者無し 投稿日:2002/05/27(月) 17:45 ID:oxO4BGBE
>>384-386
問題は、その電波をどう扱うかで……

日本の公共機関:勘違いはあっても、文献によらない電波は基本的に無視
韓国の公共機関:文献自体存在しないから平気で電波を採用する

って点がきわめて こ ま る ぅ (藁


388 名前:製本業者@死して屍拾う者無し 投稿日:2002/05/28(火) 08:41 ID:l5ofO0CE
関係ないけど

全ての日本文化の起源は韓国だった!!!!!! 10
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1021370976/
の 931 の説には藁多
なんというか、説得力が……(ないない


389 名前:彷徨 ◆NAtestWU 投稿日:2002/06/01(土) 13:41 ID:uJjI1o8Y
隠密同心ハッケン

スレ汚しスンマソンで。

390 名前:名無サラム ◆H/u/wdHc 投稿日:2002/06/01(土) 19:36 ID:JJ2IFxXI
>>388
スレがDAT落ちという罠…。
ついでにサルベージ。


391 名前:名無しさんはウリナラマンセーニダ 投稿日:2002/06/04(火) 12:14 ID:8.cwWs.Q
サルヴァゲ(・∀・)

392 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/06/07(金) 16:00 ID:ged2DWL2
ジェニヨコセ<ヽ`∀´>ageニダァ

393 名前:ななし 投稿日:2002/06/07(金) 16:37 ID:jex1u5LY
韓国語とは、ほとんど関係ないのですが、質問です。

異性に人気があるという意味で「もてる」と言い方をしますよね?

ある韓国人が、
「日本語の『モテル』は、『持つ』の可能動詞ニダ」
「人気がある→女を持つことができる→モテル」
「したがって、女をモノのように考えていたニダ」
「女性差別ニダ!」と言われました。

僕は、
「だったら、『女を持てる』って、助詞は『を』になるんじゃ?」
とだけ言っておきましたが、実際のところ、
「もてる」の語源はなんなのでしょうか?
選対でお忙しいと思いますが、時間のあるときに、
よろしくおねがいします。

394 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA 投稿日:2002/06/08(土) 18:51 ID:K.7oZ0b6
>>393

 日本語の「もてる」が「持つ」の可能動詞から来たというその韓国人の
指摘はある程度当たっています。但し、その場合の「持つ」は「ものを所持
する」という意味ではなく「保つ」「維持する」という意味です。四段(五段)
活用の「持つ」は「所持する」という意味で他動詞として用いるのが本来の
用法ですが、鎌倉時代に「保つ」「維持する」という意味が派生し、江戸
中期に「保たれる」「維持される」という自動詞の用法も発生、現在に至って
います。後者の意味では今は自動詞の方が普通ですね。

 一方、下二段(下一段)活用の「もてる」は、「保つ」「維持する」の意味の
他動詞「持つ」から江戸極初期に派生した自動詞で、意味は「保たれる」
「維持できる」という可能・自発系のものでした。その後、先述したように、
江戸中期に自動詞五段活用の「持つ」(意味は「保たれる」「維持される」)
が生まれると、ほどなく本語に新しい意味が加わります。即ち、現在の
「もてる」の意味である「もてはやされる」「厚遇される」「ちやほやされる」
「(特に異性に)人気がある」です。それでも「自然に〜なる」という自発の
意味は依然として残っていることに注目して下さい。なお、本来の意味の
方も明治の頃までは使われていたようですが、今は自動詞五段活用の
「持つ」に完全に取って代わられた格好です。

 問題は、なぜ江戸中期に「もてる」に「人気がある」という意味が付け
加わったかですが、人を歓待するという意味の「もてはやす」「もてなす」
という語がありますので、おそらくはそれからの類推によるものではないか
と思われます。「もてはやす」「もてなす」の「もて」は、一見下二段「もてる」
の連用形のように見えますが、実際のところは四段他動詞「持つ」の連用形
「もち」に接続助詞「て」の付いた「もちて」が促音便を起こして「もって」となり、
更に促音脱落を起こして「もて」となって接頭語化したものですので、下二段
の「もてる」とは本来別物なのです。しかしながら、当時の人には同じものに
見えたでしょうね。

 なお、「所持する」の意味の「持つ」の可能動詞である「持てる」がいつごろ
から存在するのかは調べ切れませんでしたが、五段他動詞が下一段化
して可能動詞となるのが一般化するのは明治以降と言われていますから、
多分その頃でしょうね。こちらは「Aガ持てる」「Aヲ持てる」というふうにガ格
乃至ヲ格を取ります。一方、「もてる」の方は「Aニもてる」のようにニ格を
取るので外形でも区別出来ます。>>393さんの説明の仕方は外国人に
説明するにはよいやり方だと思いますよ。

395 名前:ななし(393) 投稿日:2002/06/08(土) 21:33 ID:U/lBtlxw
>>394 娜々志娑无 ◆NcNEDmUA ソンセンニム

お忙しいところ、ありがとうございました。

>人を歓待するという意味の「もてはやす」「もてなす」
>という語がありますので、おそらくはそれからの類推によるものではないか

なるほど!
勉強になりました。

396 名前:彷徨 ◆NAtestWU 投稿日:2002/06/09(日) 03:47 ID:ChNBNDeM
ただ、一つ言えることは韓国人が「日本人」の女性差別とやらを指摘する
資格はないんじゃないかと。

397 名前:製本業者@死して屍拾う者無し 投稿日:2002/06/09(日) 14:08 ID:Sua8zQng
製本業者@死して屍拾う者無し 投稿日:2002/06/09(日) 14:28 ID:Sua8zQng
age

399 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/06/10(月) 14:41 ID:8J.MAXoA
韓国人が世界で悪さして嫌われて、差別されるのは1000間の間中国の属国
だったのと、ニホンが支配階級 両班>常人>被差別階級 白丁 の序列を
廃止し、頑張ればうえにいける社会をつくったことですか? 1900年当時
は金で支配階級 両班の地位を買う常人もあり、両班の占有率が5割を超えて
いたとか? 200万円くらい払って日本に密航が成功するも、1週間で
見つかって強制送還されるようなものですから。

400 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/06/10(月) 15:04 ID:4Pq8AdiQ
サルヴァゲ(・∀・)

401 名前:! ◆IMFmcOu. 投稿日:2002/06/12(水) 15:18 ID:IEwMzDG6
さるべーじ!!( ̄ー ̄)ニヤリッ

402 名前:age 投稿日:2002/06/12(水) 21:58 ID:ygQcYX4o
age


403 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/06/12(水) 22:22 ID:lxp863QQ
別スレででていた関連で。
うちの某師匠(故人)の口真似……こんなんでしたな。
------------------------------
なんでぇ、あーんなショボショボの泳ぎしやがってよぉ
屁ぇみてぇな泳ぎ方してやがる。
(ぷかー…とたばこを吹かす)

あーあー、ダメだダメだ。そんな嬢ちゃんみたいに上品にやってたって
そこでパチャパチャやるだけでちぃっとも前に進みゃしねぇ、前に
進むんだよ、前に。

手を伸ばすってのは、こう、こうやるんだよ。
(実演、ざばーと凄い勢いで進む。人間業とは思えない)
こんなん誰だってきちんとやりゃできるんだ。稽古しろ、稽古。

泳ぎってのは脳みそ使わなきゃできねぇんだよ、ちったぁべんきょうしろ。
テメェの頭は帽子掛けにしかならねぇのか、脳味噌へぇってねぇんじゃねぇか。

おー、きたか。
おまえはそこでけのびやってろ。
(そのまま一時間くらい放っておく)
------------------------------
ほんっとクソジジイで、いい師匠でした。
いや、ほんとに。こういう話し方してたんですよ。
ただねぇ、汚い口調を書くと、とても差別表現が増える
(穏やかな例:『女の腐ったのじゃあるめぇし、しゃんとしろ、しゃんと』)
ので、やっぱり書けない…。


404 名前:tenpura ◆UMAIu01k 投稿日:2002/06/12(水) 22:23 ID:lxp863QQ
>>403
あ、これ、ワタシの書き込みです

405 名前:( ´∀`)ワショーイ 投稿日:2002/06/13(木) 11:39 ID:0tDG4F2s
ただいま上野の国立博物館で広開土王碑拓本の展示をやっとるそうです。
ttp://www.tnm.jp/doc/Guide/Dyn/eret/eret79.html

406 名前:名無しさんは反省しるニダ 投稿日:2002/06/14(金) 19:31 ID:1Qh6ivlw
        ∧_∧ ∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (; ´Д`)/  < 先生!とりあえずageます!
  __ / /   /     \____________
  \ ⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  ||\           \
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